第72話 私も面倒は嫌いなの

 ダンジョンから出るその直前、アーデルハイトとクリスが耳に装着している通信機へと連絡が入った。誰から、など分かりきっている。初配信以降も一応は装着していたものの、しかし結局それ以外では使う機会のなかった機材だ。そんな忘れかけた機材から突然聞こえてきた声に、アーデルハイトは珍しく小さな悲鳴を上げた。


【あーあー、テステス。お嬢聞こえるッスか?】


「ひゃっ!?誰ですの!?」


【いや、ウチっすよ。みぎわッス。てか他に居ないでしょ……】


「あぁ、ミギーですの。そういえば付けてましたわね、こんなものも……」


 異世界方面軍の配信中に行われることは極めて稀だが、しかしこれ自体は他の配信でもよく見られる光景である。そんな、ダンジョン配信者としては極々ありきたりな機材班との通信だった。だが、視聴者達はアーデルハイトの言葉を聞き逃さなかった。


『ん?』

『ん?今なんか言ったよね?』

『恐ろしくスムーズな会話。俺達じゃなきゃ見逃しちゃうね』

『ほぅ……例の娘っ子はミギーと呼ばれているのかね?』

『中々可愛らしいあだ名じゃあないか、え?』

『ふぅん、続け給え』

『正体現したね』

『ほーん、ええやん。ちょっと右腕に宿ってそうなアレはあるけど』

『うちのスタッフ、とは前にも言ってたけど……』

『早々にフリー素材と化したクリスと違ってガード堅かったなぁ』


 俄に加速し始めるコメント欄を見て、二人は漸く気づく。


「あっ」


【あっ】


 確かに、そう遠くない内に演者として出演───渋々ながらだが───する予定ではあった。しかし、それは本来であればみぎわが魔法の習得に成功してから、重大発表と称して大々的に行うつもりであった。


 みぎわの隠れたファンは意外と多い。初回の配信にのみ一瞬映った、恐らくは機材担当であろう少女。アーカイブではもう見られない、謂わば幻の存在。それが視聴者達にとってのみぎわである。どう考えても数字の取れる、異世界方面軍にとっての『残弾』、その一つといえるだろう。

 故に彼女達としては、みぎわを最も効果的に使えるであろうタイミングを探っていたのだ。それまでは情報を出さずに焦らそうと、そういう計画を立てていたのだ。そんな彼女達の計画は、ほんの小さな不注意で漏れ出してしまった。


 アーデルハイトとみぎわの頭が高速で回転を始める。誤魔化すべきか、それともいっそ簡単に説明をするべきか。そうして導き出された二人の答えは、奇しくも全く同じものだった。名前を知られてしまったが、しかし言い換えれば名前しか知られていない。事ここに至り、彼女達に取れる方策は一つだけだった。すなわち───


「それで、何ですの?もうすぐそちらに着きますわよ?」


【いやぁ、討伐隊云々の話が出た所為もあって、こっちは結構な人だかりになってるんスよ】


 二人は何も無かったことにした。誤魔化しても説明しても、どのみち色々とツッコまれるのは避けられないだろう。どちらにしても面倒事が避けられないのであれば、下手に誤魔化すよりも無視したほうが精神的に楽な筈、という考えだ。これは酷く場当たり的な、謂わば問題の先送りに過ぎない。しかし今の彼女たちに出来るのは、この程度の時間稼ぎが精一杯であった。半端に燃料を投下された視聴者達が暴れだす前に、みぎわが魔法を習得出来れば何も問題はない。やらかした二人はそう思うことにした。


「あら、では先に生贄を送り込むことにしますわ」


【それがいいッスね。あと、戻ったら別室送りが決定してるっぽいッス。さっき協会の人に言われたッス】


「あら、では生贄を送り込むことにしますわ」


【そっちは多分無理ッスね……】


「あらぁ……」


 みぎわの口から伝えられた、どうあっても避けられない面倒事を前に、アーデルハイトはがっくりと肩を落とした。クリスは恐らくそうなるだろうと予測していたようで、さもありなん、といった表情を浮かべている。何も知らない月姫かぐやだけが、状況を飲み込めずに目をぱちくりとさせていた。


『なんか誤魔化せた感じ出してね?』

『逃さねぇぞコラァ!!』

『ちゃんと紹介してほしいんですけどねぇ!!』

『あぁん?おぉん?舐めんなよオラァ!』

『作戦失敗してて草』

『ある意味楽しみは増えたかな』

『毎回リスナーが山賊みたいになるのもお約束になってきたな……』


 なお、当然のように誤魔化しは失敗し、視聴者達は早くもチンピラと化していた。結局アーデルハイトは、次の雑談枠でみぎわの紹介することを視聴者達に約束し、しわしわになりながら本日の配信を終了することになったのだった。




 * * *




 先に報告へ戻った探索者や、救援に向かう準備を整えていた者達。探索者各位へ指示を出す協会職員や、何かに祈るよう手を組んでいる者。そんな多くの人間でごった返す協会内に、誰かの大きな声が響き渡った。


「戻ってきたぞ!!」


 ゆっくりと、協会とダンジョンを繋ぐ大扉が開かれる。そうして最初に姿を見せたのは、黒い衣装に身を包み、長い髪を靡かせ颯爽と歩く少女だった。


「道を開けなさい愚民共!!我が覇道の前に立ち塞がること、如何なる者にも許されぬ愚行と知れ!!さぁ!我が内に秘められし闇に染まりたくないのなら、く道を開けなさい!!」


 デコイとして放たれた生贄かぐやが、人集りの中を切り開いて進んでゆく。人気、知名度、実力。どれをとっても一流の彼女は、まさに囮として最適の人材であった。月姫かぐやのあまりにも堂々とした登場と怪しい台詞に、誰もが一瞬戸惑い、おずおずと道を開けてゆく。


「ククク!それで良い!!右手の封印を解く手間が省けたよ!!」


 勝手に開いてゆく道を見て興が乗ったのか、月姫かぐやは歩みを止めること無くどんどん進んでゆく。しかし、彼女の快進撃はそこまでであった。


「いやお前じゃないだろ!!」

「あの金髪の姉ちゃんは何処に行ったんだよ!!」

「配信見てたっつーの!!」

「分かりやすい囮使いやがってよぉ!!」

「普段はおめーのファンだけど今日は違うんだよなぁ!!」

「姫かわいー!!こっち向いてー!」

「この際おめーでもいいからちょっと話聞かせろやコラァ!」


「ぬぉわー!師匠ぉー!すみませーん!!」


 まるで異世界方面軍騎士団員のような、とても分かりやすい反応であった。そうしてもみくちゃにされながら、囮としての責務を全うして人集りの中へと消えてゆく月姫かぐや。彼らの中には漆黒のファンもしっかりと混ざっていたようだが。


 一方のアーデルハイト達はといえば、クリスによる認識阻害魔法を使って既にその場から離脱していた。月姫かぐやの切り拓いた道から脇に逸れ、そのまま食堂へと抜け、認識阻害を解除してみぎわと合流を果たし、どさくさ紛れにそのまま撤退しようとしたところで、協会職員に見つかってしまいあえなく御用となった。


 そうして別室へと連行されて待つことしばし。

 出されたコーヒーを飲みつつ、お茶請けに出された高そうなどら焼きを遠慮なく頂いていた時のことだ。部屋の奥へと繋がる扉が開き、二人の協会職員が姿を見せた。


 一人は背の高い壮年の男であった。短めで清潔感のある髪に、手には怪しげな紙袋。ネクタイをしっかりと首元まで締め、ぴしりと制服を着こなしている。顔に刻まれた皺が経験の長さを物語っており、如何にも仕事一筋ですといった、典型的な上司顔の男であった。

 もう一人は男と同年代か、それよりも少し若いくらいの女性職員であった。見た目だけでいえば30~40代といったところだろうか。制服はしっかりと着ているというのに、漂う色気が尋常ではない。美魔女という表現がよく似合う、そんな女性であった。


「お待たせしてしまい、大変申し訳ありません。つまらないものですが、宜しければお持ち帰り下さい」


 男が深々と一礼し、手に持っていた紙袋をアーデルハイトのほうへと差し出した。しかしアーデルハイトは受け取らず、代わりにクリスが紙袋を受け取った。これは帝国時代からそうであり、貴族ならば当然の行いである。普段ならばともかく、今回のような話の場に於いて、アーデルハイトは自ら軽々に動いたりはしない。先程までどら焼きを頬張っていたとは思えない、見事な変わり身だった。


 そんな、場合によっては失礼とも取られそうな所作であったが、しかし男は別段気にした様子もなかった。そうしてクリスが紙袋の中を覗いてみれば、中には大量のどら焼きが入っていた。どうやらお土産のようである。


「改めまして、私は宇佐美と申します。主にダンジョンから持ち戻られた素材の鑑定、買取交渉を担当しております」


 そう言って再度礼をする宇佐美。

 そんな宇佐美に続いて、女性職員のほうが自己紹介を始める。


「初めまして、お噂は予々かねがね。私は探索者協会渋谷支部、支部長の花ヶ崎刹羅はながさきせつらよ。一応ここの支部長。よろしくね。取り敢えず席に着いてもいいかしら?」


 その言葉に、クリスとみぎわははっとした。この二人がそれなりの役職に就いているであろうことはなんとなく分かっていたが、それでもまさか支部長だとは思っていなかったのだ。今回自分達が、というよりもアーデルハイトが為した事の大きさは、こちらの世界の人間には正しく理解出来ないだろうと思っていた。一時遭難者の救出など、それ自体はままあることだ。相手が巨獣でさえなければ月姫かぐや一人でも十分にやれただろう。


 要するに、伊豆や京都の時のように、適当なことを言って誤魔化せばやり過ごせると思っていたのだ。舐めていた、と言い換えても良い。しかし、実際に出てきたのはここ渋谷のトップであった。唐突に組織のトップが現れ、なにやらよく分からない内に特別な扱いを受ける。それはクリスもみぎわも共によく知る、創作では使い古されたテンプレ展開だ。だが二人は夢想家ではない。実際にはそのようなことが起きないことを、二人は重々理解しているつもりであった。


 しかし、こうして実際にトップが出張ってきたということは、おそらく配信を見ていたのだろう。そして、当時の状況を正しく理解していたのだろう。クリスは自らの考えが甘かったことを痛感し、内心で臍を噛んだ。

 しかしアーデルハイトはどこ吹く風。いつものどこかふざけた態度は鳴りを潜め、まるで怯んだ様子もなく、毅然とした態度を返していた。


「挨拶は結構。用件は何ですの?」


「ふふ、せっかちね。ま、無駄話は私も好きではないし、さっさと本題に入りましょうか。大体想像は付いていると思うけど、私が貴女達を呼んだ理由は二つあるわ」


 アーデルハイトがティーカップを片手に、無言で話の続きを促す。およそ協会の支部長相手にとる態度ではないが、しかし今のアーデルハイトは公爵令嬢モードである。つまり彼女は今の時間を公務、或いは仕事だと捉えているのだ。


「一つは、貴女達が倒してくれた謎の魔物───巨獣ベヒモスだったかしら?あれの素材の件よ。売ってくれるつもりはあるんでしょう?」


「まぁ、そうですわね」


「それを聞いて安心したわ。本当はあの魔物について、貴女達の知っている事を聞きたいのだけど……嫌でしょう?」


「ご理解頂けているようで何よりですわ」


「ふふ、なら聞かないわ。私も面倒は嫌いなの」


 おや、とアーデルハイトが花ヶ崎を見つめる。巨獣の件について、恐らくはしつこく追求されるだろうと予想していたのだ。しかし蓋を開けてみれば、花ヶ崎の反応はひどくあっさりとしたものだった。


「意外そうね。勘違いしないで欲しいのだけれど、私達探索者協会の主な仕事はダンジョンの管理と探索者の支援よ。貴女達探索者の不利益になるようなことは基本的にはしないわ。ついでに言えば、持ち戻った素材の売買は任意よ。規約にも書いてある通り、ね。貴女達が売りたくないと言えば、私達は強制することが出来ない」


 そこでアーデルハイトは思い出す。そういえば、死神の大鎌についてもそうであった。ただ一言『お断りします』と言っただけで、それ以上の追求はなかった。


「ま、本音を言えば喉から手が出るほど欲しいのだけれど。こう見えてとっても喜んでいるのよ?渋谷うちの成績にもなるしね。というわけで、それについては後で宇佐美と相談して頂戴。恐らく直ぐに値段は付けられないと思うけれど、ね」


 アーデルハイトが花ヶ崎の評価を上方修正する。どうやら彼女は融通の効くタイプであるらしい。トップがそれで良いのかという疑問はあるものの、アーデルハイト達にとっては非常に都合が良い相手だ。どちらかというと、花ヶ崎はあちらの世界向きの思考をしている。つまりは細かい規則に縛られず、物事に対して柔軟に優先順位を割り振ることの出来る人間だ。物分りの良い相手との会話は非常に好ましい。


「さて、それじゃあ二つ目の用件。私としてはこっちが本題。例の……お肉ちゃん?についての話よ」


「……売りませんわよ?」


「そうじゃないわ。あの子、連れて帰るつもりなんでしょう?けれど流石に、私の立場から『はいそうですか』とは言えないわ。理由は分かるわよね?」


「……」


「そう怖い顔しないで頂戴。今も居るんでしょう?一度見せてもらってもいいかしら?」


 花ヶ崎の言う『理由』とやらには、いくつか思い当たるものがあった。魔物である以上は当然ながら人に危害を加える可能性があるということ。もしも逃がしてしまった場合、この世界の生態系に大きな変化を与える可能性があること。あの小さな巨獣にそのような意志があるかどうかは理解らないが、それらの可能性があるというだけで十分なリスクだ。


 クリスが脇に置いていたスポーツバッグをゆっくりと開ける。

 バッグの中には大量のトレントの実と、それらに包まれてすぴすぴと寝息をたてる巨獣の姿があった。走り回る夢でも見ているのか、時折手足をしゃかしゃかと動かしている。


「あら可愛い!!ふふ、私実は犬や猫が好きなのよ。それで配信を見ていた時から、一度触ってみたいと思っていたのよね」


 アーデルハイト達は、肉の危険性を見定める為に一度見せろと言ってきたのだと思っていた。しかし花ヶ崎の反応は、彼女達が思っていたものとは随分と違った反応だった。


「んー!可愛いしもふもふね!!羨ましいわぁ……」


「……?貴女、肉が危険なのかどうかを見るつもりだったのではなくて?」


「え?違うわよ?触りたかっただけよ?」


 彼女の言葉を信じるのであれば、花ヶ崎がアーデルハイト達をここへ呼びつけた理由は、酷く個人的なものであった。


「つまり、連れて帰るのは問題ないんですの?」


「構わないわよ?勿論条件はつけさせてもらうけれど」


「……条件ですの?」


「そ。もしかしたらと思ったけど、やっぱり知らないみたいね」


 そうして花ヶ崎は、順を追って説明を始めた。アーデルハイト達の予想に反して、比較的簡単に肉の持ち戻り許可が下りた理由を。


 魔物の死体がダンジョンの外に持ち出せない事は有名な話だ。魔物の死体は劣化が異様に早く、持ち出す前に黒い霧となって消滅してしまう。探索者であれば殆ど常識となった、誰もが知っている知識である。そして花ヶ崎曰く、それは生け捕りの場合でも同じであるらしい。魔物を捕獲しても、浅層に近づけば近づく程身体が崩壊してゆき力を失っていくのだそうだ。故に強力な魔物は深層に多く、弱い魔物ほど浅層に多いのではないかと言われている。


 つまり、肉は万全な状態でダンジョン外に持ち出された、史上初のケースだということだ。あちらの世界ではダンジョン外に魔物が現れることなど日常茶飯事であったが、こちらの世界ではそうではない。当然、協会としてはこの千載一遇のチャンスを逃すことは出来ない。多少のリスクを看過してでも、アーデルハイト達に協力してもらう必要があった。であるが故に、定期的な情報提供と研究の為の血液採取さえ了承してもらえるのなら、連れ戻って飼う許可を出してもよい、とのことであった。


「というわけね。どう?悪い条件じゃないでしょう?」


 肉の持ち出しは相当な面倒事になると思っていたアーデルハイト達からしても、この条件は破格であった。言ってしまえば、普通に犬猫を飼うのとそう大差のない条件である。動物病院に連れて行くのと殆ど同じだ。

 故にアーデルハイトは二つ返事で了承し、無事に協会からのお墨付きをもらうことが出来たのだった。加えて花ヶ崎は、月に一度は自分の元に見せに来るように、などという邪念に塗れた要求も付け足して来たが、そちらはしっかりと却下しておいた。


 そうして肉をバッグに詰め直し、その後は宇佐美と素材売却の相談を済ませる。案の定その場で双角の買取金額は決まらなかったが、宇佐美の反応を見るに回復薬の数倍の値段が付くのは間違いないだろう。大きな収入と次回配信のネタを手に入れ、三人はホクホクした表情で協会を後にしたのだった。

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