第73話 そッスか

「よろしいのですか?本部に指示を仰がず、あのようなことを言ってしまって」


「よろしいも何も、他にどうしろっていうのよ」


 アーデルハイト達が去った部屋の中で、宇佐美と花ヶ崎が会話をしていた。先程まで見せていた毅然とした態度はどこへやら、二人は酷く疲弊したような表情を浮かべている。大きく息を吐き、ソファへと深く背中を預ける花ヶ崎。


「『許可出来ません、こちらに引き渡しなさい』とでも言えというの?絶対に怒るわよ、あの子達。貴方もさっきの配信は見ていたでしょう?二人揃ってボコボコにされるだけよ」


「そのように短慮な行動に出るとは思えませんが……」


「それでも、よ。探索者に対する防犯体制は整えているけど、そんなもの何の意味もないわ。それだけあの子の戦闘力は異常よ。それに、貴方だって柄にもなく緊張していたじゃないの。元上級探索者『鬼の宇佐美』が聞いて呆れるわ」


「緊張していたのは否定しません。仰る通り、もしも暴れられれば我々の手には負えないでしょう」


 花ヶ崎はわざとらしく肩を竦め、宇佐美へと視線を送ってから溜息を吐いた。宇佐美もまた、握りしめていた自らの手のひらを緩める。汗に濡れ、僅かに震える手をじっと見つめる。


 画面越しに見ていた時は分からなかった。尋常ではない美しさと、細かな所作から伝わる育ちの良さ。そして見たこともないほどの圧倒的な戦闘力。それらを除けば、ただの騒がしい少女に過ぎないと思った。しかし、いざ対峙してみればそんな印象はものの見事に吹き飛んだ。彼女達をこの部屋に案内した職員の様子から察するに、彼女は自分達に向けてのみ態度を変えていた。向けられていたのは敵意か、或いは警告か。


 探索者とは、犯罪歴や人格に特別問題がなければ誰にでもなれる職業だ。故に、彼らが問題を起こした際の取り締まりには、協会も大きく力を入れている。一般人よりも優れた身体能力を持つ彼らを取り締まる為には、より強い力を持つ者が必要なのだ。そういった理由から、協会は引退した探索者に声をかけたり、或いは、探索者の制圧に特化した職員の育成を行っている。そうした取組のお陰で、探索者による犯罪行為は現在殆ど見られず、探索者の所為で治安が低下するなどといった事態にも陥ってはいない。


 しかし、『アレ』はそんな程度ではどうにもならない。花ヶ崎はそう確信していた。


「それに、彼女の機嫌を損ねるわけにはいかないわ。もし機嫌を損ねて、例の素材の売却すら断られてしまったら、それこそ取り返しが付かないもの。他の国にでも売られてしまったら、私じゃ責任取れないわよ?」


「それも十分理解出来ますが……本部が納得しますか?」


「させるわよ。そもそも死神の一件以降、あの子達を『要観察探索者』に指定したのは本部なのよ?自分達で言っておいて、そのくせ現場の判断にケチを付けるなんて、そんな事許せるもんですか」


「そのくらいの不条理は平気で言いそうですがね……実質、例の魔物に関しては見て見ぬ振りをすることになりますが……まぁ、仰る通り最低限の交渉にはなったかと思います」


 宇佐美が眉間に皺を寄せ、苦虫を噛み潰したような顔で花ヶ崎の言葉に同意する。彼らにとって最悪のケース、すなわち、素材を他国へ流されるという事態だけは避けられた。欲を言えば『肉』についてももう少し条件を付けたかったが、アーデルハイトの態度を見る限りでは今回の条件ですらギリギリだったように感じる。


 そもそも花ヶ崎の言っていた通り、『肉』をダンジョン取得物として見るのであれば、協会側からは提出を強制することは出来ないのだ。故に、現段階ではあれで良しとするしかなかった。むしろ、経過観察と報告義務という最低限の枷だけは付けたのだ。彼らからすれば褒められこそすれ、叱責される謂れなどない筈である。とはいえ、そんな正論だけでは通らないのが組織というものなのだが。


「はぁ……京都の支部長から話は聞いていたけど、あの子達が渋谷うちに来たって聞いた時は戦慄したもの。ついに来たか、ってね。本部の意向は汲む。探索者の機嫌もとる。両方やらなくっちゃいけないのが中間管理職のつらいところ、ね」


「まぁ実際、彼女達に関しては迂闊に触るなとのお達しですから。一応は、今の言い訳でなんとかなるでしょう。というか、その台詞が言いたかっただけでしょう?」


「ふふ、バレちゃった。ま、私は仮にも、この国で最も勢いのある支部の長だもの。そのくらいの融通は利かせられるわ。あの人には私からちゃんと言っておくから、多分大丈夫よ」


 そういって茶目っ気たっぷりにウィンクをして見せる花ヶ崎。うだうだと愚痴りながらも、なんだかんだでやることはしっかりとやる女である。それをよく知っている宇佐美は、この件についてそれ以降、もう何も言わなかった。

 宇佐美のそんな態度に満足したのか、花ヶ崎はコーヒーを口に含み、先程までとは打って変わりどこか機嫌良さそうにしていた。


「今はまだ知名度の低い彼女達だけど、ダンジョン界隈は遠くない未来、間違いなく彼女を中心に回ることになる。直接会ってそう確信したわ。ふふ、そんな彼女達に貸しを作ったと考えれば、そう悪くない結果だったわ」


「……あちらが借りを作ったと思ってくれていれば良いのですが」


 願わくば、彼女達とは今後も良好な関係を築いておきたい。

 これからの未来と、そして例の素材の金額について。まだまだ尽きない悩みを抱えた宇佐美は、自らの胃がキリキリと軋む音を聞いた気がした。




 * * *




「で、ぶっちゃけどう思うッスか?」


 マンションへと戻る途中の車内で、みぎわは二人に意見を求めていた。

 先程までは高額収入の見込みを得られたこともあって、アーデルハイトと同様にホクホクと喜んでいた彼女だったが、しかしやはりどうにも上手く行き過ぎているような気がしたのだ。そしてそれはクリスも同様であった。


「都合が良すぎる気がしますね。双角についてはともかく、お肉ちゃんに関しては条件が緩すぎるように思えます」


「そうなんスよ。それに、あの人の言ったこと覚えてるッスか?『お噂は予々』って、つまり私達の事を誰かから聞いてたって事ッスよね」


「それは私も気になりました」


「確かにここ最近は色々と調子良いッスけど、言ってもウチらくらいの配信者なんてそこら中にいるッスよね?そんな有象無象の一つを、支部長クラスが認識してるもんスかね?考えれば考えるほど、なーんか怪しいんスよねー……」


 異世界方面軍に於ける内政担当、クリスとみぎわの二人共が、先の話し合いに引っかかりを覚えていた。ちなみにアーデルハイトは後部座席で、眠っている肉を膝の上に乗せ、そのぽよぽよとしたお腹をリズムよく叩いていた。何故だか肉が気持ちよさそうにしているのがなんとも微笑ましい。


 そんな彼女達の疑問は尤もなものだったが、しかし実際にはそれほど複雑な話でもなかったりする。配信アーカイブこそ現在は削除されているものの、アーデルハイト達が死神を討伐したことは当然ながら協会も把握している。そんな大事件を起こしておきながらも、大鎌の売却は断り、その上聴取もまるで無視してそそくさと帰宅したのだ。お陰で京都支部は方方ほうぼうからの問い合わせに碌な解答もできず、今なお電話対応に追われる日々を送っている。それに加えて伊豆での回復薬の件もある。


 トラブルメーカーでありつつも、しかしその戦果は、良くも悪くも他のトップ探索者達が霞むほど大きい。つまり異世界方面軍は現在、協会内で最注目の探索者パーティーとして扱われているのだ。それこそが『要観察探索者』であり、花ヶ崎が異世界方面軍を知っていた理由でもあった。しかしそんな協会内の裏事情を知らない彼女達からすれば、今回の対応はただただ不気味でしかなかった。


 そんな疑心暗鬼に陥っているクリスとみぎわだったが、アーデルハイトはまるで気にしていなかった。


「考えたところで仕方がありませんわ。わたくし達の持つ情報だけでは、どうしたって答えは出ませんもの」


 下手な考え休むに似たり、ということだろう。事実、アーデルハイトの言う通り、協会内の事情を知る術がない彼女達には、いくら考えたところでどうしようもない問題であった。加えて、アーデルハイトには奥の手もあった。どうやら彼女の余裕はそこから来ているものらしい。


「それに、最悪の場合は帝国の流儀でお話すれば問題ありませんわ」


「……なんか嫌な予感がする響きッスね。一応聞いておくッスけど、どういう流儀なんスか?」


「気に入らない相手はブチのめせ、ですわ」


「帝国って基本、山賊方式なんスね……」


「帝国にそんな流儀はありません……」


 どうやらアーデルハイトは、いざとなれば拳で語るつもりだったらしい。宇佐美の予想は外れ、花ヶ崎の懸念が当たっていた形である。当然ながらそのような行為が認められるわけもなく、帝国がそのような野蛮な国家というわけでは断じてないが、しかし、あちらの世界ではしばしば見られる手段なのも確かであった。


 そうしてアーデルハイトの言う通り、無駄に悩むことをすっぱりと止めた三人はそのまま、まだ確定していない収入の使い道について話に花を咲かせた。現時点では所詮取らぬ狸の皮算用に過ぎないのだが、しかしそれでも、やはりあれやこれやと想像するのは楽しいものだ。


 そんな一行を乗せた車が、丁度交差点で信号に引っかかった時だった。何気なく窓の外へと視線を向けたアーデルハイトの目に、どこか身に覚えのある光景が広がっていた。なんとなく嫌な予感がしたアーデルハイトが、胡乱げな瞳でよくよく観察してみると、そこでは一人の男が警官から職務質問を受けているところであった。


 男の風貌は異質だった。

 目元が少し隠れる程度に長めで、かつ少し癖のあるボサついた栗色の髪。少し線の細い印象を受ける、整った童顔。所々が破れた衣服に、その上から黒い外套を羽織り、そして両腕にはバンテージのようなものを巻いている。身長はそれほど高くなく、恐らくは170cmあるかないか、といったところだろうか。警官の質問に答えるつもりがないのか、瞳を閉じたままビルの外壁に背中を預け、腕を組んだ状態でただひたすら無視を決め込んでいる。


 その男の風貌に、アーデルハイトは見覚えがあった。


「クリス!クリスクリス!」


「はい?何ですか?そんなに慌てて……?」


「あそこ!」


「……?あぁ、あれは職務質問ですね。お嬢様もこちらの世界に来た時、がっつり食らったやつですよ。あ、今となってはちょっと懐かしいですね……」


「それは忘れなさいな!!……って、そうではなくて!!あの男性!!」


「んー…………んー!?」


 クリスはアーデルハイトの指差す方を見つめた後、暫く考え、そして漸くアーデルハイトが何を言いたいのかを理解した。


「わたくしの見間違いでなければ、あれはウーヴェではありませんの!?」


「どうやら見間違いでは無さそうです。私にも、そう、見えますので……えぇ……?どういう……?」


 困惑しつつ、職務質問を受けている男を何度か見直す二人。しかし何度見ても、男の顔が変わることはなかった。そうして二人が、どこか見覚えのある男の正体に気づいた、そのときだった。


「あっ」


「あっ」


 信号が青に代わり、車が再び走り出す。


「うーん……決めたッス!!ウチはやっぱり、クソ高い液タブを新調───え?なんスか?なんかあったッスか?」


 景色とともに流れていった職務質問風景は既に遠く、あっという間に見えなくなっていった。


「……いえ、なんでもありませんわ」


「知り合いが居たかと思ったのですが、どうやら気の所為でした」


「そッスか」


 二人は何も見なかったことにした。

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