第225話 簡単お料理動画ですわ

 曇り一つないカウンターに、水滴一つ残っていないシンク。調理器具や食器の配置まで、全てがクリスの使いやすいようにカスタムされた異世界方面軍のキッチン。勝手に配置を変えようものなら、主であるアーデルハイトですら怒られてしまう、謂わばそこはクリスの城だ。


 そも、この部屋に住むことを決めた理由のひとつがキッチンだ。開放感あるセラミック製のペニンシュラキッチンは、調理中でもリビングが見渡せる。アイランドキッチン程ではないが、二人程度の同時作業であれば難なく行える広さがあった。といっても、クリス以外の人間は使用を禁じられているのだが。


 そんなキッチンにて、クリスとアーデルハイトがエプロン姿で立っていた。二人の対面にはカメラが固定されており、その様子をしっかりと画角に収めている。またそれとは別にもう一台、手元を映す為のカメラも設置されている。本来の用途はダンジョン探索の追尾用カメラだが、ふわふわと空中に浮かせる事が出来るため、こういった見下ろす形での撮影にも使えるのだ。


 異世界方面軍として活動を始めた頃、クリスとみぎわの貯金を崩して購入した自動追尾カメラ。アーデルハイトの動きに着いていけなかった為に、本来の用途で使われる機会が殆どないそれ。しかしお高い機材だけあって、各種機能と画質はバッチリだ。今となっては最新の機種に買い替えるだけの資金はあるが、彼女たちは初期のころからの相棒をずっと愛用していた。


「んじゃ本番行くッスよー。5秒前ー、よん、さん、にー」


 そんなみぎわのカウントの傍ら、ADと化したオルガンが手振りだけで残りの1と0をカウントする。これは声が入らないようにする為の配慮ではあるが、今回はただの動画撮影なのだから、別に声が入ったところで大した問題はない。そもそもこれは生配信ですらない。要するに単なる雰囲気作りである。


「わたくしと!」


「クリスの!」


「簡単お料理動画ですわー!」


 アーデルハイトとクリスが元気良く。否、元気がいいのはアーデルハイトだけだ。クリスは大声を出すのが恥ずかしいのか、若干耳を赤く染めていた。


「今回はお料理動画ですわ! 以前にも一度、クリスの料理動画を投稿しましたけど───なんと今回はわたくしも参加しますわよー!」


「おかげさまで、前回の料理動画は随分と高評価を頂きました」


「というわけで、今回はその第二弾ですわ」


 アーデルハイトの言うように、クリスの料理動画はなかなかの人気を誇っている。クリス単品の動画が少ないからか、クリスのファンが定期的に巡回している所為なのか。或いは、単純に料理動画として出来が良いからなのか。ともあれその人気ぶりは凄まじく、まだひとつしか投稿していないというのに、もうすぐ100万回再生を達成する程だった。


「今回は『プルンハム』さん全面協力の下、この『暴燻』を使った料理を作りたいと思っています」


「要するに企業案件ですわ」


「配信でも度々名前が出てますからね。お嬢様も大好きな、異世界方面軍にとってはすっかりお馴染みの商品です」


「1年分の『暴燻』がもらえると聞いて、秒で打診を受けましたわ」


 案件動画であることを微塵も隠すつもりのないアーデルハイト。Luminousの時もそうであったが、案件に関しては基本的に全て曝け出していくスタイルなのだ。視聴者とて、これが案件動画であることなど百も承知だろう。であれば最初から『そうだ』と伝えておいたほうが、下手に誤魔化すよりも余程好印象というもの。そもそも最近は企業案件に対する見方も随分と変わってきているため、余計な心配なのかもしれないが。


「それでクリス、今日は何を作りますの?」


「誰でも簡単に作れるものにして欲しい、と頼まれていますからね。最初はパエリアを作ろうとしてたんですけど……最終的には別の料理にしました」


「パエ……? なんですの? 下ネタ?」


「違います。とりあえずお嬢様にパエリアは難しいので、今回はポトフにしました。これならお嬢様でも作れます」


「ポ……? なんですの? 下ネタ?」


「違います。半濁音は全部下ネタだと思ってます?」


 聞き覚えのない料理名に、アーデルハイトが怪訝そうな表情を浮かべる。実は両方とも異世界方面軍の食卓に何度か出たことがあるのだが、料理名までは知らなかったらしい。余談だが、当時のアーデルハイトは大喜びでムシャっていた。


 誰でも簡単に作れる料理でなければ、宣伝効果が薄れてしまう。パエリアとて難しい料理ではないのだが、料理経験の無いアーデルハイトが作れるかと言われれば疑わしい。否、完成させるだけなら問題はないだろう。だが生米を使う関係上、水の量や火加減の調整が初心者には面倒なのだ。


 そういった理由から、クリスが選んだのはポトフであった。この料理は極論、野菜を切って煮るだけである。何かを切るという事に関していえば、アーデルハイトの右に出る者は居ない。つまり失敗などしようがないのだ。そこに『暴燻』を加えれば完成だ。これならば料理初心者どころか、そこらのゴブリンにだって作れる筈である。


「というわけでお嬢様、早速材料を見ていきましょう」


「よくってよー!」


 異世界人の作る料理と言われれば、一抹の不安を覚える者も多いことだろう。まして彼女たちは、日頃から色々とやらかしがちな異世界方面軍だ。『簡単な料理の仕方をお教え致しますわ』などと言って、またぞろワケの分からないことをしかねない。しかしそこは流石のクリス監督と言うべきか。意外にも不自然な点はなく、撮影は順調に進んでゆく。


「ではお嬢様。そこのじゃがいもと人参、それから玉ねぎを大きめに切って下さ───」


「斬れましたわ!」


 クリスの指示に従い、しかし若干食い気味で返事をするアーデルハイト。刃物の扱いに関して、心配するような事など何一つない。強いて挙げるとするならば、アーデルハイトが指示を殆ど聞いていないことくらいだろうか。


「早いですね。ちょっと怖いので、私の指示は最後まで聞いてからにして下さい。あと案の定、まな板もバラバラになっていますね」


「あら? これは切ってはいけませんの?」


「普通、木片は食べませんからね」


 使っているのは普通の包丁だ。しかしそれを振るうのが剣聖ともなれば、得物の切れ味などある程度無視出来る。結果、木製のまな板は見事にバラバラに割断され、たった一度の作業でそのままゴミ箱行きとなってしまった。とはいえ、この自体はある程度予想出来ていた。だからこそクリスはポトフを選んだのだ。包丁を使うのはここまでで、後はただ煮るだけである。


「次はお鍋に水、コンソメを投入します。無くても問題ないですが、今回はローレルも入れましょう。そう、そうです。そうしたら火を───今何入れました?」


「エルフ汁ですわ」


「エル……なんですか?」


「先程オルガンにもらった調味料ですわ。なんでも『なんか魔力的な雰囲気のやつ』とのことですわ。あと隠し味に、わたくしの好きなお茶も」


「……」


 それは料理初心者がやりがちな、最もやってはいけない行為。つまりは下手なアレンジである。古来より『入れたほうが美味しそうだから』などという怪しげな理由で行われ続けてきた、料理失敗の原因第一位。そんなテンプレをしっかりと守ったアーデルハイトにより、怪しげな液体と粉末の昆布茶が投入される。そうしてポトフは、無事にクリスの手を離れていった。


 そうして鍋を火にかけ、煮立ってから大凡15分。ここで一度野菜の火の通りを確認し、問題ないことを確認したらいよいよ『暴燻』を投入する。


「全部入れますわー!」


「……」


 どばどばと、ウインナーを袋から直で鍋に投入していくアーデルハイト。明らかに入れすぎな量ではあったが、直接的に味が変わるわけではない以上、先程の怪しい調味料に比べればマシな行為であった。


 そうして更に煮ること5分。鍋の蓋を開けてみれば、あたりに広がるのは暴力的なまでの燻製の香り。ただでさえ香りの強い『暴燻』なのだ。あれほどの量を使えばこうなるのも当然だろう。


「んぅー…若干暴燻を入れすぎた気もしますけれど、概ね完成ですわー!」


 見た目上は問題のない、それなりにいい出来のポトフが完成した。材料を入れて煮るだけなのだから、そう簡単には失敗しない筈なのだ。だがそれはあくまでも見た目の話。アーデルハイトの投入した怪しい調味料と、そして昆布茶。これらが味にどう影響を与るのか、もはやクリスにも分からなかった。


「というわけで、えー……見た目はポトフの完成です。なお、今回の試食はこちらの二人にお任せしております」


「わたくしの手料理なんて滅多に食べられませんわよ!」


 固定カメラから手持ちのカメラへと交換し、リビングに座る試食係をクリスが撮影する。勿論、みぎわとオルガンの二人である。強すぎる燻製の香りに眉を顰めるみぎわと、ジトっとした目で皿を見つめるオルガン。


「いやまぁ、食べられなくはなさそうッスけど……い、いただきます」


「いただきます」


 みぎわは若干顔を引きつらせながら。オルガンは何か物足りなそうな顔で。それぞれ違った反応ではありつつも、しかし行儀よく手を合わせ、ゆっくりと料理を口に運ぶ。


「ん……?」


 恐る恐るといった様子のみぎわであったが、何度か咀嚼した後、しかし二口目、三口目と徐々に手を伸ばす。オルガンに至っては、この時点で既に完食していた。


「普通に美味いッスね……いや、かなり?」


「うむり。やはり汁物にはエルフ汁」


 どこか腑に落ちないが、しかし実際に味は良い。なんとも複雑な心境の中、みぎわもまたあっという間に完食してしまう。そんな二人の様子に気を良くしたのか、アーデルハイトは芝居がかった動きで大きく天を仰いだ。無論見えたのは家の天井だったが。


「なんてことですの……わたくしには料理の才能もありましたのね……」


「というか、一般の家庭にエルフ汁とやらはありません」


 企業側からの要望は『誰でも簡単に作れる料理』だ。あのような怪しい調味料が出てきた時点で、既にその要望からは逸脱している。結局この動画はお蔵入りにして、また改めて撮り直しになるだろうとクリスは考えていた。しかし後日、動画のチェックを先方に頼んでみたところ、『異世界方面軍らしくて良い』との理由でOKがでてしまう。


 結局動画はそのまま投稿され、以前に投稿した料理動画を再生数であっさりと上回ることとなる。その後、味をしめたアーデルハイトが再度料理に挑戦し、クリスからキッチン永久追放を言い渡されることになるのだが───それはまた別の話である。

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