第54話 ズコー!!(記念配信)

 一体それが何なのかもよく分からない謎の紋章が描かれた背景。これまでの配信にはなかったそんな画面の隅で、『準備中』の文字がくるくると回転していた。

 時刻は21時。SNSによる事前告知によれば配信開始の時間である。


『わこつ!』

『待ってた!』

『っしゃあああ来……てねーわまだ』

『こんにちアーデ……なんだまだか』

『うおおおお!始まっ……てなかったわまだ』

『遅刻とは感心しませんな』

『ういーす大将、やってる?やってねーじゃん』

『アメリカですらあるんだから異世界にだって時差くらいあるわ!』

『ここ日本なんですがそれは』

『配信トラブルかね?』


 5万人突破記念ということもあってか、随分と前から配信の開始を待っていた騎士団員達。まるでおやつを前にして待てを命じられた犬のように、彼等はすっかりお預け状態となっていた。

 予告されていた通りの時間に配信が始まらないなどということは、異世界方面軍の配信としては初めてのことだった。そんな中にあっても誰一人として騒ぐことなく、軽い冗談を交わして時間を潰している。結局のところ彼等は皆、異世界という沼に引きずり込まれた者達なのだ。推しの配信をわざわざ見に来てまで文句を言うものなど居るはずもない。


 そうして数分が経った頃、画面の向こうから僅かに声が聞こえてきた。どうやら音声のみが配信されているようであり、画面は相変わらず準備中のままであったが。


「まだ木魚がありませんわ!!」


「別に要らないですから!!もう五分経ってますよ!?」


「あら?例のぬいぐるみもありませんわ!!」


「お嬢様のお尻の下です!!」


 視聴者はおろか、アーデルハイトとクリスの二人も知らないことであったが、これはみぎわの仕業であった。初回配信の時もそうであったように、演者であるアーデルハイトには敢えて教えずにこっそりと。

 カメラに向かって話している時とは違った顔、或いは素顔とでもいうべきか、こういったオフショットの会話などを好む者は意外と多い。斯く言うみぎわもその類であり、その気持ちが理解出来る彼女にとってはファンたちのツボを抑えることなど容易いことだ。要するに、配信開始を行儀よく待ってくれている視聴者たちへのみぎわなりのサービスである。ブートキャンプで放置された腹いせというわけでは断じて無い。


『声入ってんだよなぁ』

『わざとやろなぁ……』

『アデ公とクリスか』

『これ例のスタッフの仕業やろw』

『これは有能』

『木魚気に入ってんのかよw』

『木魚探すのやめーやw』

『映像来た途端にテクノから始まったらどうしよう……』


 視聴者達が期待感と不安で胸をいっぱいにして、そうして待つこと更に3分。準備中の文字が漸く消える。予告していた時間よりも10分ほど遅れ、異世界方面軍の配信は始まった。しかし画面は先程から表示されている、どこのものとも知れぬ謎の国旗のような背景のみ。なかなか顔を見せないアーデルハイトに、まだ配信トラブルの最中なのだろうかと視聴者達は困惑の様子を見せている。


 視聴者達に最初に届いたもの、それは『音』だった。

 高く透き通った、まるでゆっくりと流れる川のせせらぎのような『音』。聞いているだけで心が落ち着くような、それでいてどこか懐かしい。そんな綺麗な『音』だった。

 それ追いかけるように、続いて鳴り響いてきたのは弦が奏でるメロディ。映像が無いため確かなことは分からないが、しかし聞く者によっては直ぐに理解る。恐らくはヴァイオリンだろうか。主張しすぎないその柔らかな旋律は、最初に聞こえてきた『音』へとそっと寄り添うように響いてゆく。


 そこで視聴者達は初めて気づいた。『音』ではなく『声』であると。


『めっちゃ綺麗な音』

『なんか分からんけど胸が熱くなるな』

『歌か?』

『なんやこの演出ゥ!!』

『曲かとおもったけど歌だなこれ』

『まさか団長、お前……』

『ヴァイオリンっぽいのはクリスか?』

『何語なんやこれ』

『アメリカ語じゃないのだけは確か』

『ツッコんでもらえると思うなよ』


 聞き慣れない、否、聞いたことのない言語だった。このインターネット全盛の時代、海外の言語を聞く機会などいくらでもあるだろう。海外の探索者も配信を行っているし、ダンジョン大国として名高い日本を訪れる者もまた多く存在する。数十年前に比べれば、ゆっくりとではあるが言語の壁が取り除かれつつあると言って良い。そんな昨今の環境を考えれば言葉の意味は分からずとも、使用されている大まかな地域程度であればなんとなく分かる言語も多いことだろう。

 当然ながら、殆ど聞くことのない言語も無数にある。しかし不思議な事に、現在配信で流れている『歌』は絶対に聞いたことのない言語だと断言出来た。こうして配信を視聴している大勢の中、誰一人として例すら挙げることが出来ないのがその証拠だろう。


『あー……なんか癒やされるんよー』

『何言ってるか全く分からんけど落ち着くわ……』

『団長やっぱり歌上手だったのか……』

『まぁ地声からして予想は出来てた』

『いやアデ公なら上手いと見せかけて下手パターンもあっただろ』

『ギャップの化身ことアデ公なら確かにやりかねない』

『細けぇこたぁいいんだよ!!最高ですわー!!』


 歌姫セイレーンも斯くやといった様子で、その透明な歌声に視聴者達が魅了されること数分。ゆっくりとフェードアウトしてゆく歌声と共に配信画面が切り替わる。映し出されたのは照明が絞られた仄暗い部屋と、やはりというべきか、胸元に手を当て、瞳を閉じて歌声を披露するアーデルハイトの姿があった。

 五万人突破記念ということもあってか、彼女はいつものジャージ姿ではなかった。アーデルハイトの美しい金髪と良く調和した純白の聖鎧。それは防御面よりも機動力を優先した、彼女本来の装備。ここ最近の配信の所為か視聴者達が忘れかけていた、彼女本来の気品に満ち溢れた姿だった。


 コメントも忘れ、誰もが息を呑んでアーデルハイトの第一声を待っていた。かつて帝国社交界という貴族女性にとっての戦場を、一夜にして自分だけの専用ステージへと変えてしまった公爵令嬢。彼女の歌はいよいよ終わり、そうしてアーデルハイトがゆっくりと瞳を開く。

 その瞬間、彼女の足元から七色の光が放たれた。否、足元だけではない。まるで彼女を取り囲むようにして、無数の色が部屋中を踊り回る。先程まで聞こえていた弦楽器の音色は跡形も無く消え去り、代わりとばかりに鳴り響く軽快なテクノサウンドと、そしてどこからか木魚を叩く音が聞こえてくる。


「というわけで始めますわよー!!」


『ズコー!!』

『草』

『はい台無し』

『どういうわけやねん!!』

『オチを付けずにはいられんのかw』

『なんで綺麗なままで終わらないんですかねぇ!!』

『これのために木魚探してたのかよ!!』

『遅刻してまでやりたかったのがコレかよww』

『草ァ!』

『正直そんな気はしてた』

『っていうかゲーミング木魚何個持ってるんだよw』

『芸人令嬢』


「今日は我々、異世界方面軍の登録者数五万人突破をお祝いするための記念配信ですわ!大変気分がよろしいので、多少の無礼は見逃して差し上げますわ!」


『おめでとう!』

『おめ!』

『おめでとうございます団長ッ!!』

『それはおめでたいんですけども』

『めでてぇ!』

『普通に早過ぎるんだけど、内容考えると遅い気もするんだよね』

『ていうか10万がもうそこに来てるんよ』

『もうちょっとさっきの歌に触れても良くない??』


 自分でも口にしている通り、アーデルハイトも機嫌が良いのだろう。表情は溌溂としており、その声色は弾んでいる。五万人という数字は勿論多いが、しかし配信者としてはまだまだ駆け出しを少し抜けた程度だろう。だがそれでも、かつてアーデルハイトが率いていた騎士団の人数よりもずっと多いのだ。

 彼女は兵を率いていた身として、五万人という数がどれほど凄いことなのかを良く知っている。軍とはすなわち人であり、運用するには莫大なコストがかかることを誰よりも理解している。

 こちらの世界に来てから初めて街に出た時、アーデルハイトは一体何処からこれだけの人間が集まっているのかと、そのあまりの人の多さに驚愕したものだった。

 そんな彼女だからこそ、こちらの世界における現代の若者達よりもよほど五万という数の重みを理解している。ネット技術の発達の所為もあってか、彼等は数万、数十万という人の数に慣れてしまっている。頭では理解していても、その数に実感が無いのだ。


 とはいえ、そのような細かいことはどうでもよかった。今重要な事は、最初の大きな節目である五万人に手が届いた、という一点のみである。


「今日は記念配信ということもあって、皆様に色々と発表が御座いますの!配信中適度に散りばめて発表しますので、最後まで見ていって頂けると嬉しいですわ。ちなみに先程の歌はわたくしの出身、グラシア帝国の国歌でしてよ。あと、もう出番が終わったので衣装は戻しますわー」


『いえええええええい!!』

『告知でもあったけど発表ってなんやろか?』

『待てぃ!情報量が多すぎるんじゃ!!』

『国歌だったんかw』

『ってことは背景は国旗か?』

『何気に帝国の名前出たん初めてちゃうのん?』

『前に一回言ってたよ。自己紹介んときだっけかな』

『早い早い、展開早いって!一つずつにして!』

『貴重なアンキレー君の出番が!!』

『オラァ!クリス出て来ぉ!!(ドンドン』


 アーデルハイトの口から怒涛の勢いで垂れ流される情報に、コメント欄は大混乱となっていた。まさにお祭り騒ぎといったその様子に、アーデルハイトは大層満足げな表情を浮かべている。

 そう、彼女にとってこれはお祭りなのだ。こちらの世界に於ける騎士団員の彼等と共に、きっとこれから何度も経験する事になるであろうお祭り。故に、アーデルハイトは自らが率先して今を楽しんでいる。配信を初めて一ヶ月弱、まだまだ歩き出したばかりではあるが、ここまで着いてきてくれた視聴者達へ感謝の気持ちを込めて。


「というわけで、まずは最初のお知らせですわ!!と、その前に一応皆さんの予想を聞いておきましょうか。もしかすると正解者には何かアレな事が起こる感じのアレがあるかもしれませんわよー」


『アレってなんやねんw』

『アデ公もエンタメよう勉強しとる』

『どうせあれだろ?木魚の追加購入とかそういう』

『引っ越しした?』

『あ、ほんまや』

『確かになんか前までの生活感ある感じじゃないな』

『それや!!』

『アデ公の後ろにある蟹のぬいぐるみが気になる』

『聖女ちゃんやんけ!!』

『草』


 視聴者達が思い思いの解答を述べる中、アーデルハイトは椅子に座ったままで腕を組み、何やらわざとらしくうんうんと頷いていた。


「引っ越しは確かにその通りですわね。広くて防音もしっかりしている配信用の部屋に移りましたの。どうです?以前までの生活感溢れる豚小屋とは随分……何やらクリスが怖い顔で睨んでいるのでこの話はここまでですわ。あと、今回のお知らせはそれではありませんわよ!!」


『違うのか……』

『クリス怒ってるw』

『っていうかお知らせ以外の部分も色々変わってて分かんねぇよなぁ?』

『開幕の歌にもっと触れて』

『あれは販売してほしいレベル』

『えー……他だとなんやろか』

『ちょっと難易度高いのムカつくww』

『分かった』

『マジ?』

『オイオイオイオイ、分かったわコイツ』

『お前じゃねぇのかよw』


 多くの予想がコメント欄で飛び交う中、一人の視聴者がそれに気づいた。そうして10秒も経たないうちに、その視聴者から全員へ答えが齎された。

 それはこれまで、他の配信者のチャンネルにはあって異世界方面軍には無かったもの。視聴者達が待ち望み、しかし今日この時まで解禁されることのなかった、ToVitchトゥ・ヴィッチのとある機能。


『¥50000 収益化おめでとう!』


 滝のように流れるコメント欄の中で、一際目立つ赤色のコメントだった。


『ファッ!?』

『うおおおおおおお!!』

『来たか!(ガタッ』

『いきなり上限飛んでて草』

『待ってたぜぇ!!この瞬間をよぉ!!』

『ホンマやw』

『何故今まで誰も気づかなかったのか』

『あああああ一番乗りがあああああ!!』


「そう!この度、異世界方面軍チャンネルはついに収益化の承認が下りましたわー!!これで漸く、他人のお金でお煎餅が食べられますわ!!」


 アーデルハイトのその一言を皮切りに、待っていましたと言わんばかりに大量の色付きコメントが飛び交ってゆく。これまで視聴者達から待ち望まれていたスーパーチャット、所謂投げ銭機能がついに解禁されたのだ。


『ついにワイの金でアデ公を育てる機能が!!』

『煎餅くらい無限に買ったる』

『赤コメめっちゃ飛んでるやんけ!!』

『夢のスローライフが一歩近づいたなぁ』

『いかん、獣達が解き放たれてしもうた!!』

『めでてぇわ。少額だけど記念に投げとくか』

『俺は蟹投げるわ』


「くるしゅうない、くるしゅうないですわー!!でも勢いが凄すぎて流石に読み上げられませんわー!!これは後でまとめて読み上げるとして、取り敢えず今は記念すべき最初の一人だけお名前を呼ばせていただきますわよ!」


 そうしてアーデルハイトがみぎわへと目配せし、みぎわがログから最初の赤スパを拾い上げる。その視聴者の名前をアーデルハイトへと見せ、同時に配信画面にもテロップとして表示する。みぎわから提示されたその名前を見た時、アーデルハイトはくすりと笑った。一体それが何者なのか、一目で分かってしまったから。


「『投げ銭おじさん@TAXI』さん、ありがとうございますわ!!ふふ、あの時のおじさまですわね?勿論、ちゃんと覚えていますわよ!!」


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