第53話 ミギーズブートキャンプ

 雲がゆっくりと流れ、その隙間からは暖かな日差しが溢れていた。

 まるでこれからやってくる夏本番へ向けての準備運動のように、初夏の爽やかな風が吹き抜け、そして黄金に輝く長い髪を優しく揺らす。


 京都ダンジョンでの初コラボ配信を終え、その四日後。アーデルハイト達異世界方面軍の三人は新居のバルコニーに集合していた。手続きを急ピッチで進めてくれたまゆまゆの活躍もあってか、内見と契約を行ったあの日から数えて一週間と少しという、驚くべき速さでの入居だった。考えうる殆ど最速での引っ越しである。


 引っ越し自体は非常にスムーズだった。

 若い女性の一人暮らしとはいえ、家具や調理器具、寝具に衣類などそれなりに荷物はあったし、更には趣味活動に使う機材や各種薄めの本もある。身一つでの移動とはいかないクリスであるが、とはいえ所詮ワンルームマンションからの引っ越しだ。処分してしまう物を除けばそれほど大した量ではない。

 同居人であるアーデルハイトなど、それこそ身一つでの引っ越しである。私物と呼べるものなど、クリスに買ってもらったジャージが数着と僅かな私服、そして先日京都で買ったしょうもない木刀くらいのものである。


 最も荷物が多かったのは当然みぎわだった。

 配信に使っているPCやカメラ等の各種機材に加え、趣味活動に使用する液タブや資料などなど。それに加えてレインボー木魚の在庫やドローン菩薩像、等身大美少女フィギュアなどといった謎の私物も全てである。細かな物を挙げればキリがないが、そのおかげで彼女の部屋は入居早々から既にごっちゃりとしていた。至極真面目な顔でそれらの必要性を語るみぎわを前にしては、二人といえども何も言えなかった。


 ちなみに隣の部屋には現在誰も住んではいない。内見の際にまゆまゆからも聞かされていたが、三人が住むことに決めたここは建てられてからまだそれほど経って居ないのだ。故に全ての部屋に住人が居るわけではなく、ちらほらと空き部屋が残っているのだそうだ。なお、下の階には大層色気のある女性が住んでいた。引っ越しの挨拶に訪れた三人を部屋に招き入れ、それはそれは丁寧に饗してくれていた。


 ともあれ、そうして引越し作業は昨日のうちに何事もなく終了した。

 いよいよ三人での配信活動に本腰を入れられるというわけだ。そんな彼女達にとって新たなスタートともいえる今日の予定は、配信部屋のお披露目を兼ねた登録者数5万人突破記念配信である。

 そう、先日行った魔女と水精ルサールカとのコラボ配信のおかげか、異世界方面軍のチャンネル登録者数は8万人にまで増えていた。それどころかその勢いは4日経った今でも続いており、既に10万人に手が届きそうな所まで来ていたのだ。

 

 これには三人とも大いに喜んだ。

 登録者数十万人越えといえば中級ダンジョン配信者の仲間入り、その入口に到達したと言っても過言ではない。勿論トップ配信者達のそれと比べればまだまだ少ないが、彼等とて何年もの配信活動でそれを築き上げたのだ。目標としては当然掲げているが、だからといって簡単に彼等と比肩するところまで上り詰められる、などという甘い考えは三人とも持っていない。


 彼女達が活動を開始してからほんの一ヶ月も経っていないことを考えれば、これは称賛に値する成果だった。勢いだけでみるならばそれこそ界隈でもトップクラスであろう。

 ある程度の勝算があって乗り込んだこの世界であったが、やはり心の何処かには不安もあったのだろう。それを払拭するかのように、そしてこれからの活動に向けて気合を入れ直すかのように。京都から戻り新居へと引っ越した昨晩、彼女らはささやかながらも祝賀会を行っていた。


 そんな小さな祝賀会から一夜明けて今日。


 アーデルハイトはいつも通りのジャージ姿で腕を組み、吹き抜ける風を浴びながら正面を見つめていた。

 そしてそんなアーデルハイトの隣には、同じくジャージ姿のクリスが映画監督よろしくといった体勢で椅子に座っていた。着ているのは『しもぬら』でアーデルハイト用のジャージを購入するまでの間、彼女に貸し出していたものである。たった一日二日貸していただけだというのに、すっかり胸元がぶかぶかにヨレていた。クリスもそれなりにある筈なのだが。


 そうして二人が見つめる先に、なにやら眉を険しく寄せながら腰を落とし、両手を虚空に突き出したみぎわの姿があった。彼女はアーデルハイトのジャージを着ており、やはり胸元はぶかぶかになっていた。彼女の場合は単純にあまり所為である。

 そんなみぎわはどうやら全身に力を込めているらしく、顔を真赤に染め、頬を膨らませながらぷるぷると小刻みに震えていた。


「……便秘ですの?」


「違うわ!!」


 怪訝そうな顔をしたアーデルハイトの一言で集中が途切れたのか、力尽きるかのように尻もちをついてみぎわがバルコニーに転がった。ぜぇぜぇと荒くなった息を吐き、空を仰ぎながら胸を上下させている。いつからこうしていたのだろうか、その顔には薄っすらと汗が浮かんでいた。そんなみぎわを他所に、アーデルハイトとクリスがなにやら相談を始める。二人の傍らには『ミギーズブートキャンプ』などと大きく書かれた怪しげな看板が立てられていた。


「監督、これは……どうですの?」


「うーん……センスが無いというわけではないですね。ただ異世界出身の私達と違って、生まれた時からこちらで生活しているみぎわにはイメージが難しいのかもしれません」


「では、見込みはあるということですの?」


「ですね。というよりも、僅かながら魔力っぽいものは見えましたよ。カスみたいな量でしたけど」


「あんな力任せで少しでも感じられるのなら、むしろ才能があるのではなくって?」


「大事なのは気合じゃなくてイメージだって言ってるんですけどねー……」


 のんびりと他人事のように語る二人。それを聞いていたみぎわが肩で息をしながら、寝転んだままで二人の教官にクレームを入れる。


「はぁ……はぁ……イメージと言われても、抽象的過ぎるッス……」


 魔法の先達である二人から『重要なのはイメージだ』と言われ、こうして魔力を体内から放出するための特訓を初めて早一時間。進捗は思っていたよりも良くない。既に魔法を使える二人は簡単そうに言うが、みぎわにとっては雲をつかむような話である。

 みぎわとてオタク文化には詳しく、むしろどっぷりと肩まで浸かっているような人間だ。ファンタジー系作品に於ける定番、魔法のことは知識として頭に入っている。もし魔法が使えたら、などという妄想だってしたことがある。

 つまり、みぎわにとって魔法とは『空想上のもの』なのだ。否、みぎわだけではない。この世界に生きる全ての人間にとってはそうなのだ。

 勿論、実際にクリスが使っているのを見た今となっては魔法の存在を疑ってなどいない。しかしみぎわが知っている『創作物の中の魔法』と、クリス達が使用する『実在する魔法』は完全に別物だ。むしろ、なまじ『空想上の魔法』が頭に入っている所為で逆にイメージが難しくなっているのだ。


「もっとこう……ファイヤーボール!!とか言ったら手から出たりするもんだと思ってたッス」


「何も考えずに呪文を唱えるだけでいいのなら、それは所謂『スキル』とかそっち方面になってしまいますね。そういう設定だから使える、としか説明の仕様がない、殆ど神の力です」


「神の力!!そのような力がこちらの世界にはあるんですの!?」


「創作の話ッスよ……まぁウチからしたら魔法もスキルも似たような物なんスけど」


「気持ちは理解りますが……」


 漫画やゲーム、小説などのように、少し練習すれば簡単に使えるようになるのではと夢想していたみぎわがため息を吐いた。ところが現実はそう甘くなく、彼女は前提の段階で既に詰まっていた。これはアーデルハイトとクリスの教え方が悪いという訳ではなく、みぎわが魔法に対して抱いている間違った認識の所為である。


 あちらの世界に於ける一般的な魔法とは、大まかに分けて3つの段階に別れている。第一段階は体内の魔力を感じること。つまり、誰もが持つ『魔力』という存在を自身で認識すること。これが出来なければどうにもならない、まさに初歩の初歩である。現在みぎわが行っているのがこれである。


 第二段階は体内で認識した魔力を操作し、そして体内の各所へ送る、或いは体外へと放出すること。この段階ではまだ何者でもない、例えるなら無色の魔力を放っているに過ぎない。


 そして第三段階。魔力を魔法として形成する。

 例えるのであれば、魔力に形や色を付けるということだ。これによって無色だった魔力は『魔法』となり、世界に対して影響力を持つようになる。当然ながらもっとも難しい段階であり、また術者のセンスが問われる部分でもある。行使する魔法の属性や規模、速度や効果を弄るのもこの段階だ。


 これら全ての段階に於いて重要なのが、先程からアーデルハイトとクリスの両名が話している『イメージ』というわけだ。魔力とは実態のない、手や足で触ることの出来ない存在だ。触ることが出来ない以上は必然、物理的に操作することが出来ない。故に頭の中で想像し、そうして生まれたイメージと感覚を同期させて魔力を操作する。これが魔法を操る上での基礎となるのだ。

 そういった工程を考えず、ただ呪文を唱えれば魔法が出ると考えていたが為に、現在みぎわは苦戦しているというわけだ。こう説明すると随分複雑に聞こえるかもしれないが、当然ながらあちらの世界の子供達がこんな小難しい話を理解している筈もない。


 早い話が、『触れないんだから頭で動かせ』ということである。


「いくら力んでも魔力は感じられませんわ、ミギー」


「そもそも今は初期段階、魔力を感じるための特訓です。瞑想みたいなものだと思って下さい」


「あ、今のはちょっと分かりやすいかもッス。瞑想、瞑想……」


 形から入るタイプなのだろうか、起き上がったみぎわ胡座あぐらを組み、両手をそれっぽく組み合わせた体勢となって瞳を閉じる。そうして深呼吸をし、徐々にそれっぽい雰囲気を出し始めた。


「コォォォォ……」


 怪しげな呼吸音とともに自分の世界へと潜っていったみぎわを見て、アーデルハイトは不安な気持ちに襲われていた。瞑想とは心を沈めて無心になり、集中することである。みぎわのこれはどうみても何かを履き違えているような気がした。


「……監督、これは……?何か違う気がしますわよ?」


「……そのうち浮かび上がりそうですね」


「これでは瞑想というよりも迷走ですわよ?」


「……まぁ、みぎわにとってはこれが合っている可能性も……?」


 こちらの世界の人間に魔法を教えるのは二人にとっても初めてのことだ。当然ながら世界で初めての試みであり、どういった方法が正解なのかなど誰にも分からない。それに、もしかするとこの怪しげな瞑想が適している可能性もあるのだ。そういう理由から二人は、頭ごなしに否定せずひとまずは様子を窺うことにした。

 意外というべきか、そうして瞑想を始めたみぎわは凄まじい集中力を発揮していた。目を閉じ、まるで岩のように微動だにしなくなったみぎわ。クリスが話しかけようと、暇になったアーデルハイトが隣で日課の正拳突きを始めようと、彼女が瞳を開くことはなかった。


 そうしてみぎわが瞑想らしきものを始め、既に一時間が経過していた。

 みぎわはその時、何か特別な事を考えていた訳ではなかった。『魔法』に対するイメージを一度振り払い、ただただこれからの異世界方面軍の配信活動や方針について考えていたのだ。そして思考は深く巡り、これから行うであろう単発動画の編集について考えていた時、それはやってきた。それは胸の奥が熱くなるような、何かに酷く感動した時とよく似た感覚だった。

 勿論、本当に何かに感動したわけではない。考えていたのはただの趣味についての事なのだから、感動などするはずもない。しかし、確信があったわけではなかったが、それでもみぎわには『これ』が魔力なのだと理解出来た。


 元々機械類に強かった彼女にとって、機材を弄ることや動画を編集することは趣味の延長線上だと言ってもいい。同人活動という趣味も勿論あるが、それとそう変わらない程度には機械を触ることが好きだった。そんな趣味が高じて、現在は異世界方面軍のメカニックを担当しているのだ。誰にも強制されることなく、ただ自分が楽しむためだけに行うものが趣味だ。


 彼女が瞑想中に考えていたこと。それはつまり、彼女が最も彼女らしくいられる時間の事だった。


「……来たッス!!なんか身体の奥がめっちゃ熱いッス!!これが魔力なんスね!?」


 熱を帯びる薄い胸を抑え、興奮した様子のみぎわが目を開く。長く閉じていた所為で、太陽の光が眩しく感じられる。まるで光に眼を慣らすように、ゆっくりと開かれるくりくりとした丸い瞳。先程までと何も変わらないバルコニーの筈なのに、見える景色は幾分か色鮮やかに写っているような気がした。


 ついに魔法への第一歩を踏み出した自分を、恐らくは教官である二人も喜んでくれているに違いない。そう思ったみぎわであったが、しかしバルコニーに二人の姿は無かった。一体何処に行ったのかと二人を探し、そうして視線を向けた先。窓ガラスの向こう側には、リビングで煎餅を齧って寛ぐアーデルハイトの姿があった。見開かれたみぎわの瞳が、徐々にじっとりとしたものに変わってゆく。


 そんなみぎわのジト目に漸く気づいたのか、アーデルハイトはみぎわの方へと向き直り、席を立ち、窓を開けてこう言った。


「あら?終わりましたの?」


「ッス……凛、いやクリスは……?」


「クリスなら買い出しに行きましたわよ?」


「……」


「っと……丁度いま、宇宙サメとの戦いが佳境ですの。みぎわも適当なところで切り上げた方がよくってよー」


 そう言って窓を締め、映画の視聴へと戻っていったアーデルハイト。

 みぎわは暴れた。


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