京都D編

第35話 うっす!

 翌日、アーデルハイト達一行はとあるマンションの駐車場にやってきていた。

 エントランス前に植えられた木々は青々しく、ゴミどころか落ち葉の一つも見当たらない。階層も十階までとそう大きなこともなく、当然コンシェルジュが常駐しているような超のつく高級マンションというわけでは無い。それでも管理人がしっかりと仕事をこなしていることは想像に難くない。

 外壁に亀裂が入っているようなこともなければ、黒ずみや汚れすらも見つけることが出来なかった。白く綺麗に塗られた姿から、一見しただけでも築浅と理解る、そんなマンションだった。


 車から下りたアーデルハイトは、珍しくジャージ姿ではなかった。

 部屋の内見ともなればさすがにジャージではそぐわないと、以前購入しておいた私服を着ている。スタイルの良いアーデルハイトによく似合う、スカート丈の長いワンピースだ。


 あちらの世界で生活していた時から、アーデルハイトは衣服に関してはこだわりがなかった。お洒落に興味がないというわけではなかったが、そんなことよりも剣の修練のほうが大事だった。故に彼女が着る服は自分で選んだものではなく、父である公爵が娘のためだけに作らせたものや、母が選んだものばかりであった。


 質と金額こそ比べ物にならないが、こちらの世界で言うところの、両親が近所の店で買ってきた服をそのまま着ている、といったような状態だ。しかしこれは彼女がいつまで経っても幼稚なままだとか、そういった事ではない。彼女とて気に入ったアクセサリー等を自ら選んで買うこともあったし、休暇の際に自費で購入した服も何着かは持っていた。要するに、単純な優先度の問題だ。彼女はお洒落よりも剣をとったというだけの話である。そうでなければ、動きやすいという理由だけで毎日ジャージで過ごしてはいない。


 そんなアーデルハイトが現在着ている服は、クリスと共に選んだものだ。彼女の輝く黄金の髪が黒いワンピースに映え、それでいて白のカーディガンを着ているおかげで全体の印象はそれほど重くは感じられない。シンプルながらも可憐で、アーデルハイトらしい服装と言えるだろう。

 ちなみにアーデルハイトは手袋・グローブを集めるのが隠れた趣味であった為、戦闘用から外出用、その他様々な手袋を大量に所持していた。こちらの世界にやってきた今となっては、もはやそれらのコレクションを使用することは叶わなくなってしまったのだが。閑話休題。


「もう来てるはずなんスけど」


 運転席から降りたみぎわが、スマートフォンを片手に周囲を見回す。

 彼女達は今日、みぎわの知り合いで不動産関係の仕事をしているという人物に会いに来ていた。もちろん内見の為である。事前にみぎわが物件の条件を伝えており、それを受けて条件に合う部屋をいくつか見繕ってくれているらしい。

 みぎわ曰く昔からの友人で、口が固く信頼できる人物とのこと。どこの不動産会社でも個人情報を漏らすなどということは無いだろうが、それでも知らない人物よりは知り合いのほうがより安心できるというものだ。住所がバレることを避けたいアーデルハイト達からすれば、非常に頼りになる存在といえるだろう。


「ダンジョン以外では久しぶりのシャバですわ!」


 車から降りるなり、背伸びをしながら大きく息を吸うアーデルハイト。

 買い出しは基本的にクリスかみぎわが行うため、アーデルハイトがクリスの部屋から出ることはあまりない。出る度に認識阻害の魔法をかけなければならないし、そもそも土地勘のないアーデルハイトを一人で出すと迷いかねない。そういった理由から、アーデルハイトは基本的に家で日課の正拳突きをしているか、まったり煎餅を齧っているか、クリスのPCで配信を見ているか。大抵そのどれかだった。

 彼女本人からしても、不満といえば剣の修練が出来ないくらいであり、家でごろごろしている現状はそれなりに気に入っていた。もともと、あちらの世界で疲れたのでいつかはスローライフを送りたいと言っていた彼女である。今の状況はある意味、スローライフの予行演習と言えなくもない。


「シャバ……お嬢様、一体いつの間にそんな言葉を覚えたのですか」


「ネチョフリで見た映画ですわ!!渋いおじ様方が聖剣ドスを手に他の組織と戦うヤツですの。騎士道精神とは違いますけど、あれはあれで考えさせられるものがありましたわ。今度クリスも見てみるといいですわ」


「いえ、私は……聖剣ドス……?」


 既についている筈だというみぎわの知り合いが見つかるまでの間、主従コンビが下らない話をして時間を潰すこと5分。アーデルハイトが気に入ったという映画の話が、いよいよヤクザ対巨大サメの戦いへと突入したころ、漸く待ち人が現れた。どうやら駐車場の正反対の方に居たらしく、息を切らして走る青年の姿が遠くに見えた。よほど必死に走ったのだろう、彼は三人の前に到着してから暫く、息を整えるのに必死で言葉も出せない様子であった。


「はぁっ……はぁっ……んぐっ……す、すいません、遅く、なりましたっ」


「汗かきすぎてキモいッス」


「し、仕方ないだろ!!」


 徐々に落ち着いてきた男が、ハンカチで額の汗を拭う。そうして何故か酷く緊張した様子で、姿勢を正して顔を上げた。髪は短く刈り込んでおり、肩幅は広く胸板は無駄に厚い。見るからに運動部で活躍していました、といった風貌である。なお、シャツはかなりパツパツである。


「えー、ウチの幼馴染兼、今回部屋を探してもらったまゆずみッス。下の名前で呼ぶと怒るんで、気軽にマユマユと呼んでやって欲しいッス」


「いえ、コイツの言うことは気にしないで下さい。普通に黛で大丈夫です。今日は宜しくお願いします」


 そういって軽く頭を下げ会釈をする黛。

 二人が話している様子を見るに、みぎわと黛は親しい仲なのだろう。しかし男女の仲というわけではなさそうで、純粋に幼い頃からの腐れ縁といったところだろうか。


「こちらこそよろしくお願いしますわ、黛さん」


「よろしくお願いします」


 当たり障りのない挨拶を交わした後、アーデルハイトが即座にぶっ込んでゆく。


「お二人はどういうご関係ですの?もしかしてアレですの?コレ、コレですわ!」


 そう言って何やら楽しそうに、自らの小指を立てて見せるアーデルハイト。どうやら部屋から出ずに様々な映画やドラマを見ていた結果、こちらの世界の怪しげな知識が徐々に増えてきているようである。


「お嬢様、下品ですよ」


「あら?下品なのは確かこっちでは?」


「いけません」


 そうして不思議そうな顔をしながら中指を立てるアーデルハイトの頭頂部に、クリスが手刀を繰り出した。この時クリスは、家に帰ってから全てのサブスクを解約しようかと悩んだという。

 そんなアーデルハイトの言葉と指は、しかし黛には届いていないかのようだった。彼はぼうっとした表情でアーデルハイトを見つめ、心ここにあらずといった様子で佇んでいる。


「……すげぇ、本物だ」


「おいコラ、うちのお嬢を変な目で見んな」


「いや!違うって!そうじゃなくて……お前知ってるだろ!?」


「ウチらの配信を見てるってことは知ってるッスけど。まぁそうじゃなくても、お嬢に見惚れる気持ちは理解るッスけどね」


「だろ!?そういうのじゃなくて、純粋なファン心理だよ!」


 実は黛は異世界方面軍のリスナーであった。それこそ今回の話がみぎわから来たその前からの視聴者であり、実際に配信中にコメントをしたこともある。しっかりサブスク登録も行っており、謂わば真性のファンの一人である。

 みぎわと黛は実家が近く、子供の頃からの付き合いではあるが、流石に大学は別々だった。ここ数年は偶に連絡をとる程度であり、直接顔を合わせるのは互いに久しぶりである。故に彼は今回の話を聞くまで、まさか自分の幼馴染が異世界方面軍に関わっているとは露ほども思っていなかった。

 そんな彼は断じて、みぎわの言うように変な目でアーデルハイトを見ていたわけではない。いちファンとして、実物のアーデルハイトに出会えたことに感動していたのだ。推しのアイドルに生で出会ったアイドルオタクが丁度こんな感じだろうか。


「あら、リスナーさんですの?」


「あ、はい!いつも拝見させてもらってます!」


「ありがとう存じますわ。これからも応援してくださいな」


「もちろんです!これからも頑張ってください!あ、握手とかお願いしてもいいですか?」


「お断りしますわ」


「うっす!!」


 テンポよく断られた黛が、何故か深々とお辞儀していた。彼の業界では素気なく断られることもご褒美の内なのだろうか。

 そんな彼の様子を傍で見ていたみぎわが、面倒そうな顔で彼に話しかける。その顔を見ただけで、余程の鈍感でもなければみぎわの言いたい事には察しが付くだろう。要するに挨拶も終わったのだからさっさと案内しろ、ということである。


「いいからさっさと案内するッス。ここ以外にも三件回るんスから、こんな所で無駄な時間使っていられないッスよ」


「ん……?おぉ、そうだったな、悪い悪い。よし、それじゃあ早速ご案内します」


 そう言って再び姿勢を正し、ファンモードから仕事モードへと気持ちを切り替える黛。手に持った資料を三人に配りつつ、先導するように歩き始める。

 こうして、三人がこれから暫く過ごすことになる配信部屋候補の選定が始まったのだった。




 * * *




「というわけでここが一件目です。どうぞ中へ」


 黛が鍵を開け、玄関部分に三人分のスリッパを置く。

 アーデルハイト達が案内されたのはマンションの十階、かつ角部屋であった。最上階の角部屋ともなれば非常に人気の高い部屋の筈であるが、どうやら今は空き部屋らしい。

 玄関は広々としており、隣には玄関から繋がる小さな部屋がある。

 シューズインクローゼットや土間収納などと呼ばれるものであり、この家の場合は靴を脱いだらもう一つの扉からそのまま室内に入ることが出来る、所謂ウォークスルータイプだ。


「女性三人で暮らすのであれば靴も多くなるかと思いますので、ここはおすすめポイントの一つですね」


「靴置き場だけでクリスの家のキッチンくらいありますわね」


「ちなみにウチが今住んでる部屋のキッチンよりも大きいッス」


「どうせなら公爵邸と比べて下さいよ!!あ、お嬢様見て下さい。ここに外套も掛けられるみたいですよ。素晴らしいですね!」


 どうやらみぎわの部屋のキッチンも広くは無いらしい。まだまだ玄関に入ったばかりだと言うのに、すっかり大はしゃぎの三人。どうやらつかみは悪くないと、黛も安堵の表情を浮かべている。しかし彼がこの物件で最も推している部分は、実はこの広い玄関ではない。

 彼がみぎわから聞かされていた条件は4つ。防音がしっかりしていること。広いベランダか庭があること。部屋が最低4つ以上あること。ありがちと言えばありがちな条件だが、黛はしっかりと要望に応えていた。そんな条件の中の一つ、広いベランダ。十階の角部屋ということは、つまりそういうことである。厳密にはベランダではなくルーフバルコニーになるのだが。


「トイレが広いですわ!」


「お風呂が広いッス!!」


「キッチンも凄く広いですよ!」


 玄関から移動しても、三人は感動しっぱなしであった。見る部屋見る部屋、いちいち大喜びしては意味もなく歩き回ってみる。エスターライヒ公爵邸と比べれば当然、その広さは大したことはない。しかし、勇者達に同行するため暫く公爵邸に戻っておらず、そのままこちらの世界へやって来たアーデルハイト。更にこちらに来てからはクリスのワンルーム暮らしであった彼女にすれば、この部屋の広さは感動的だった。


 そしてそれはクリスにしても、みぎわにしても同じことだった。使用人の部屋はそれほど広くなく、今のワンルームと同程度だ。こちらの世界の住人であるみぎわからすれば、この部屋は一般的なマンションと比べても普通に広いことが理解る。故に三人のはしゃぎ様も、さもありなんといったところだろう。


 そうして、やはり広々としたリビングを抜ければ、三人の目の前には黛一押しのバルコニーが姿を現した。最も目を輝かせていたのは他でもない、修練場所を希望していたアーデルハイトだった。彼女はバルコニーを目にするやいなや、無言で扉を開け放った。


「やりましたわあぁぁぁぁぁぁあ!!」


 そうして近所迷惑も考えずにバルコニーへと勢いよく飛び出したアーデルハイトは、そのまま感謝の正拳突きを始めるのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る