第36話 失礼な!
アーデルハイト達三人はその後、黛が用意してくれていた残りの三件をしっかりと見学した。これから暫くの間拠点とする場所であるため、いい加減には決められない。希望していた修練用の広いスペースや、実際に見るまでは気にしていなかった風呂場やトイレ、収納スペースに至るまで、それこそ隅々までである。
特にクリスが気にしていたのはキッチンだった。
料理を担当するのは基本的に彼女であるため、クリスは念入りに確認をしていた。これまでは狭い調理スペースに小さなシンク、本来ならばコンロを設置するためのスペースに置かれたショボめのIHのクッキングヒーターが一つ、というまさに必要最低限の設備しか無かったのだ。一人暮らしなど大抵そんなものではあるのだが。
それを考えれば、この日に見学した物件はどれも今とは比べ物にもならない設備である。クリスは実際にキッチンに立ち、棚へと手を伸ばしてみたり、振り返って後ろのスペースを確認したり、キッチンの使い勝手をじっくりと体験していた。
もともと公爵邸では専属のコックが居たため、メイドである彼女が調理を担当していた訳では無い。しかし今、彼女達三人の中で最も生活力が高いのは間違いなくクリスだ。
アーデルハイトについては言うに及ばず、自分のことは基本的に自分で行う彼女ではあるが、生活力という点では不足していると言わざるを得ない。料理など以ての外だ。
そうして納得のいくまで内見をした彼女達は、一度相談するために黛と別れてクリスの家へと戻ってきていた。小さなテーブルを囲み、お茶を啜りながら希望をすり合わせてゆく。
「実際のところ、どこがいいッスかね?」
「わたくしは最初のところがいいですわ!眺めがよくて、車への移動もスムーズですし」
「内見中の反応からしてそうだろうとは思っていました。というよりも、三人とも恐らくそうなのでは?キッチンも一番便利でしたし、私に否やはありません。あとお嬢様、バルコニーから駐車場へ飛び降りるのは目立つので禁止です」
「えっ」
「えっ、じゃないです」
「駄目に決まってるッス。ちなみにウチも一件目ッスね。三件目の戸建ても広くて悪くはないと思ったけど、庭は手入れが大変なんスよねぇ。実家の草刈りでもう懲り懲りッス」
話を持ち戻ってみたは良いものの、どうやら三人の考えは既に纏まっていた様子だった。黛の話によれば、今回内見をした四件の物件は全て、彼の所属する不動産会社が管理も行っているとのこと。つまりは何かしらトラブルがあった際や要望が有る場合など、黛が助けになれるというわけだ。これは地味に大きなメリットである。
値下げしてもらってなおそれなりにお高い家賃ではあるものの、四件ともほぼ同程度の値段で借りられるとのこと。故に選ぶ基準といえば立地と、あとは彼女達が気に入ったかどうかという点のみであった。
こうして三人の意見が一致している時点で、もはや答えは出ていた。
「よっし!それじゃウチからマユマユに連絡しておくッス。あまり時間をかけてもいられないんで、そのまま契約もウチがしておくッスよ。引き渡しも出来るだけ急いで貰うよう頼んでおくッス」
「お願いします。
しみじみそう言うと、何やらクリスは遠い目をしていた。
思い出のある部屋を離れるような雰囲気を出しているものの、彼女がこちらに来て一年と少し。この部屋に移り住んだ期間はもっと短いのだ。思い出などそう大したこともないだろう。
「ともあれ、これで次の拠点は決まりッスね。これからはそれなりに高い毎月の家賃もあるんで、配信の方もバリバリ頑張らないといけなくなるッスからね!気合いれていくッス!!」
決意を新たに、そう宣言した
しかしそんな中で、すっかり忘れていた案件が一つあった。
「その前に、そろそろ答えを出さなければならない事が一つあるんですけど」
「あら、そんなものありました?」
「ウチらが何かを先延ばしにしているような言い様ッスね。失礼な!!」
「そうですわ!わたくしたちは常に目の前の問題を片付けておりましてよ!!」
話を切り出したクリスへと、アーデルハイトと
「例のコラボの件についてです」
「……」
「……」
アーデルハイトと
「
「……」
「……」
アーデルハイト達が伊豆ダンジョンで蟹遊びをしたり、旅館に泊まったり、雑談配信をしたりという間にも、
トップ配信者チームの一つといっても過言ではない
正直に言えば、コラボ自体を嫌っているわけではないのだ。むしろ彼女達とのコラボはアーデルハイト達にメリットが多いといえるだろう。彼女達の誘いを断っている理由はただ一つ。風評だけだ。
「私は正直、もういいんじゃないかと思ってます。恐らく
「確かに、ウチが調べたのは例の事件の直後ッスけど、その当時ですら思ってたような反対意見はあまり多くなかったッスね」
「あら、ではよいのでは?わたくしは別に構いませんわよ?ダンジョンに入ってしまえば、やることは変わりませんもの」
そう。
SNS上にしても掲示板にしても、アーデルハイト達が懸念していたような『寄生』に関する話題は殆ど出ていなかった。それどころか
以前に枢から話を持ちかけられたときとは幾分状況が変わっていた。京都と伊豆、そして二度の雑談配信で、アーデルハイト達はそれなりに注目を浴びている。新参配信者であることには変わり無いが、登録者数も初配信の時から順調に伸びている。もともと異世界方面軍ファンからの反対意見は少なかったこともあり、はっきり言ってしまえば、彼女達とのコラボを断る理由が無くなっていたのだ。
無論少数とはいえ、反対意見を述べる者もいる。しかし全てのファンの期待に応えることなど現実的に不可能だ。誰かの望みを叶えれば、他の誰かの望みは叶わない。大を取って小を捨てるなどという大層な話ではなく、極々単純な話だ。世の中とは得てしてそういうものである。
「では腹を括りましょうか。正直に言えば、彼女達とコラボをした結果がどうなるのか、現時点では予想が出来ません。話題となってファンが増えるかもしれませんし、逆に評判が落ちる可能性もあるでしょう。当日の動き次第で結果は如何様にでも変わる、ある意味賭けに近い案件ですね」
「そういう実力次第な展開、わたくし嫌いではありませんわよ?」
「おぉ……なんか頼もしいッスね」
「伊達に剣一本で生きておりませんわ」
アーデルハイトは剣聖として、その実力で全てをねじ伏せてきた。
彼女が先代から剣聖を受け継いだ際も、『齢二十にも満たない小娘が生意気な』などと言われたものだ。その度に彼女は、己の剣技で黙らせてきた。ある時は多少腕に覚えがあるらしい貴族の馬鹿息子を。ある時は『我こそ』と名のりを上げた達人を。全ての妬み僻みをその手で切り捨て、そうして公爵領のみならず帝国内でもトップクラスの地位を築いた。
故に、彼女が自信に満ち溢れているのは至極当然だった。彼女はこれまで、ずっとそうしてきたのだから。
「ちなみにですが、コラボを行うのであれば配信内容は十中八九、京都ダンジョンの攻略になるでしょう」
「こちらの世界のヒヨコ達を連れて、京都のダンジョンに潜ればよいのでしょう?前回京都を見た限りでは問題ありませんわね。いい機会ですし、わたくしが少し鍛えて差し上げますわ」
「一応トップクラスの探索者なんスけどね。お嬢にかかればヒヨコ扱いッスか」
「おしりに付いた殻くらいは、取って差し上げてもよくってよ」
アーデルハイトは公爵家私兵の調練も行っていた。騎士団員への稽古もつけていた。当然、人に戦い方を教えるのは苦手ではない。
アーデルハイトはそう言うと、任せろとばかりに自らの胸を叩いて見せる。そんな溢れる自信は間違いなく頼もしいのだが、いちいち揺れる乳の所為で微妙に締まらない。
「では、了承する旨を先方へ伝えておきます。こちらの折衝は私が行いますので、
「りょーかい。まぁウチの方はすぐに終わると思うッスけど」
「クリス!わたくしは!?わたくしは何をしていればいいんですの!?」
「当日まで特に役目はありませんので、大人しくお煎餅でも齧っていて下さい」
「ええ、よくってよ!!」
言うが早いか、アーデルハイトは早速キッチンへと向かい、お茶を入れ直すついでに買い置きの煎餅アソートを持ち出していた。そのままクリスからノートPCをひったくり、何時ものようにネチョフリの世界へと旅立っていった。
こうして、異世界方面軍にとって目下の急務であった部屋の問題とコラボの問題、その両方の攻略へとアーデルハイト達は乗り出した。引き渡しに数週間かかると思われる新居への引っ越し。恐らくはそれよりも先に、コラボの件が決まるだろう。であれば、コラボを成功させて気持ちよく新拠点へ移動したい。クリスがそう思うのは至極当然のことだ。
それもこれも、結局は数日後のアーデルハイト次第となる。
とはいえ、こと戦闘に於いてはクリスが全幅の信頼を置く彼女の事だ。こちらの世界で確認されている魔物など、アーデルハイトにとっては路傍の石と変わらない。そう心配は要らないだろう。クリス本人もカメラマンとして同行することになるのだから、何かあれば自分がストッパーになればいい。
クリスが何度考えを巡らせても、例の風評問題を除けば問題は見当たらない。
結局、三人での相談が終わった数分後、クリスは『Six』上で一通のDMを
宛先は勿論、
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