第177話 無垢の庭園

 肉が敵陣を荒らしているとはいえ、魔物達が全く向かってこないというわけではない。それでも先程までと比べれば随分と数の減った魔物を相手に、月姫かぐや達は尚も奮戦していた。


 そんな彼女達の横合いから、再び何かが飛来する音が聞こえてきた。


「うぉぉぉぉ!!」


 次いで聞こえてくるのは汚い中年の叫び声。月姫かぐやがそちらの方へと視線を向ければ、よく見知った顔が空を飛んでいた。


「オイ!今度は何か知らねぇオッサンが飛んできたぞ!?」


「お父さん!?」


 東海林が月姫かぐやの実父であるというのは、それほど有名な話ではない。それ以前に、配信者ではない東海林の顔を知っている者がそう多くはないのだ。ルシファーが東海林を知らないオッサン呼ばわりするのも致し方ない事だろう。


「無事かぁぁぁ!?ぐぇっ」


 狙い過たず、地面を滑りながらもバッチリ月姫かぐや達の眼の前で停止する東海林。さしもの探索者と謂えど怪我の一つくらいしそうなものだが、どうもそんな風には見えない。相変わらず頑丈な男であった。


「おう……助けに来たぞ……」


「あ、ありがとう……そっちこそ大丈夫?」


「おう……」


 地面に倒れたまま、どうにか格好を付けて娘の安否を確かめる東海林。逆に心配されてしまうあたりが彼らしい。逆境の中、長時間戦い続けている月姫かぐや達。そんな彼女たちからすれば待ちに待った援軍ではあるが、しかし。


「オッサン一人だけか!?他の救援は!?」


 眼の前のコボルトを斬り伏せながらルシファーが叫ぶ。こちらは満身創痍、疲労困憊の探索者が八人。それに対するは無数の魔物達だ。今更一人元気な探索者が増えたところで、殆ど焼け石に水状態であった。普段であれば、彼も落ち着いて礼を述べるくらいのことはしただろう。だが今の状況はそれどころではなく、余裕は何処にも存在しなかった。

だがそんなルシファーとは異なり、この時点で既に月姫かぐやには確信があった。もう何も心配は要らないという確信が。


「師匠は?師匠も来てるんでしょ?」


「ああ、お嬢なら───」


 月姫かぐやの問い掛けに、東海林が答えようとしたその時だった。

 大乱戦となった戦場に、真っ白な光が差し込んだ。探索者達と魔物を分断するかのような、一直線の光の壁。それはまるで戦場に線を引くかのようで。どこか温かみすらも感じるそれは、よくよく見れば魔物達の進行をぴたりと阻んでいた。どういった現象なのかはまるで分からないが、どうやら魔物達は壁を通り抜けられないでいるらしい。ちなみに、当然ながら肉は壁の向こう側である。


「っ……何、これ」


「これは……」


「今度は何だァ!?」


 立て続けに起こる不可思議な現象に、探索者達はそれぞれが困惑を見せる。常に冷静で居なければならないというのが探索者の基本ではあるが、こうも連続すれば度が過ぎているというものだ。そんな彼等の心中を知ってか知らずか、側方の森の中から一人の女が姿を見せる。整った顔立ちに黄金の髪。威厳と可愛らしさの同居した美しい鎧姿。そしてその手には、誰もが目を奪われるような純白の長剣が握られていた。その背後には、若干くたびれた様子のメイドも居る。


「師匠!!」


「まったく……随分と情けない格好ですわね、月姫かぐや


「うぐっ……め、面目ないですぅ……」


「よく頑張った反面……帰ったらまた鍛え直しですわね」


 アーデルハイトの姿を認め、ぱっと顔を明るくする月姫かぐや。だが帰ってきた言葉は、彼女からすれば無情であった。実際には月姫かぐやの奮戦がなければ、或いは、ここにいるのが稽古をつける前の月姫かぐやであれば、彼等はここまで耐えられなかったであろう。月姫かぐやの活躍は著しく、アーデルハイト達がこうして間に合う為の一助になっている。だがそれはそれとして、結局窮地に陥ってしまったのもまた事実であった。故にアーデルハイトは月姫かぐやを褒めつつも、甘やかしたりはしなかった。


「それなりに時間もかかってしまいましたし、早く片付けて帰りますわよ」


「あの、師匠?その剣は……」


「え?あぁ、そういえばこちらの世界で使うのは初めてでしたわね……」


 月姫かぐやの問い掛けに対し、アーデルハイトが手元で剣をくるりと回して見せる。ただそれだけで、純白の剣は光を無数に反射して煌めいた。


「これは聖剣・無垢の庭園イノセンス。わたくしの持つ、三本目の聖剣ですわ。その防御力は、数ある聖剣の中でも随一でしてよ!さぁ、有象無象の魔物達!かかっていらっしゃいな!!」


 そんなアーデルハイトの宣言に呼応するかのように。

 無垢の庭園イノセンスは絶えず輝きを放っていた。


 内部から敵を混乱に陥れる肉と、前面から殲滅を始めようとするアーデルハイト。異世界からやってきた一人と一匹による、蹂躙劇が幕を開けた。

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