第64話 で、できらぁ!!

 ある協会職員が、この数日間鳴りっぱなしの電話対応に追われていた。


「ひーん!」


 当然ながら電話だけではない。ただ単純に、最も面倒で最も大変な場所の対応を彼女が任されてしまっただけである。それは誰かがやらなければいけないが、誰もやりたくはない業務。つまりはただの貧乏くじである。

 問い合わせの内容など、もはや電話を取る前から分かりきっている。そして彼女が伝える言葉もまた、一言一句違わず同じ言葉。

 電話を取る意味など殆ど無かった。詳しい話を聞きたいだなんて、むしろこっちが詳しく聞きたいくらいなのに。もう最初から自動音声案内にでもしてくれればいいのに。そもそもうちは殆ど関係ないのに。

 頭の中をぐるぐると駆け巡る、そんな愚痴の嵐を精一杯無視し、四条宴しじょううたげは新たにかかってきた電話に対応する。


 朝から一体いくつの電話対応を熟しただろうか。気がつけば時刻はすっかり昼前近い11時30分。元々の持ち分であった事務仕事など欠片も片付いていないのに、宴の午前業務はもう終わろうとしていた。


 体力的なものよりも、精神的な疲れの方が酷く溜まっていた。すっかり疲労困憊といった様子で受付カウンター隅の机に突っ伏す、そんな宴の元へと二人の探索者が近づいた。本来であれば業務中に許されないこと態度ではあるが、もはや姿勢を正すことすら億劫で、宴は机に突っ伏したまま頬をずりずりとこすり付け、そのまま器用に顔を動かし、自らの正面に立つ探索者達へと視線を向ける。しかし宴には、もはや相手の顔を見上げる余力は残っていなかった。


「おぉ……しわっしわのゾンビみたいなっとるわ……」


「やっほーうたげちゃーん、お疲れお疲れー!はいコレ差し入れー!」


 憐れむような女の声と、脳天気で明るい女の声。顔を見ずとも、宴には声の持ち主がはっきりと分かる。この京都探索者協会に於いて、否、ダンジョンに関わる仕事をしているものならば、誰もが彼女達のことを知っているだろう。ましてや宴は、彼女達が探索者としてデビューを果たしたその時からの知り合いである。単なる協会職員と探索者の関係を越えた、謂わば友人のような関係だ。声など聞かずとも、気配だけでその正体が分かる自信が宴にはあった。


「あー……スズカさんとくるるさんですかー……ありがとうございます、頂きます……」


 差し出されたアイスコーヒーには既にストローが突き刺してあり、宴はのろのろとした動きでストローに口を付ける。普段はきびきびと動く京都Dの看板娘である彼女だが、今はまるで夏場のアスファルト上で干からびたミミズのようであった。


「あははは!乾燥ワカメみたいで草なんだけど!写真とっていい?」


「死体蹴りはやめたりぃな……珍しく参ってるみたいやん、宴」


「そりゃぁこんな連日、同じ内容の問い合わせで忙殺されれば流石に嫌にもなりますよ……あ、おかわりいいですか?」


「そう言うだろうと思って、実はもう一つ買ってあるよ!」


「ナイスゥ……」


 ちうちうと音を立てながら二杯目のアイスコーヒーを吸い上げ、ようやく宴の顔に生気が戻ってゆく。しかし全快には程遠く、恐らくは夜遅くまで残業していた所為で出来たのであろう目の隈が、宴の疲労具合を色濃く反映していた。


「ちゅうか、それは受付の仕事なんか……?」


「人手不足なんですよ、うち。なにせ不人気ダンジョンですからね……」


「あぁー……なんかゴメンねぇ、私らの活躍が足りない所為で……」


「あぁいえ、魔女と水精ルサールカのみなさんが頑張ってくれてるのは理解っています。今のは言葉の綾です」


 大きく息を吐き、ようやくといった様子で、宴が姿勢を正して椅子に座り直した。小柄───最大限オブラートに包んだ表現だ───な彼女は、姿勢を正してもカウンターからどうにか頭が出る程度だった。彼女はちゃんと成人しているどころか、実はアラサーだったりするのだが。


「ま、今回の『コレ』に関しては、ウチらにも多少責任あるしなぁ」


「っていうか何で協会に電話がくるわけ??アーちゃんとこに直接問い合わせすればいいのに」


「曰く、一切の返事が貰えないらしいですよ。その所為でこっちに回ってきてるんです。私達に聞かれたって何も知らないんですけどね……大鎌の調査も断られちゃいましたし」


 宴が肩を竦めた、ように見えた。

 そもそも『彼女達』は、別に京都がホームというわけではないのだ。たまたま二度訪れているだけで、その理由だってただ『不人気で人が少ないから』だという。


「十中八九、クリスがフィルターで弾いとるんやろなぁ。多分読んですらないやろ」


「当たり前といえば当たり前だけどねー。知らない相手から山のように送られてくるメッセージなんて、普通誰も見ないでしょ」


「本当なら京都Dの注目度が上がって嬉しいところなんですけど……ちょっとやりすぎです。処理できないレベルでスポットが当たるのは、流石に笑えません。贅沢を言っている自覚はあるんですけどね」


 不人気からくる人員削減で、常に人手の足りない京都支部だ。こうして注目度が上がれば探索者の数も増え、利用率が上がれば人員の追加や設備の拡充なども期待できるかもしれない。それは本来であれば喜ぶことではあるが、しかし物には限度というものがある。


 ここ数年、魔女と水精ルサールカの活躍によって少しずつ少しずつ改善されてきた京都支部の事情は、しかし先日の死神討伐というやらかしによって一気に許容量を越えてしまった。例の事件から数日たった今、25階層の入り口に突き刺さったままの鉄パイプは、半ば探索者達の聖地と化している。

 魔女と水精ルサールカとのコラボ配信ということもあってか、当時の同接数はかなりのものであった。アーカイブこそ残っては居ないものの、どうやらリアルタイムで視聴していた探索者達も多かったようで、例の鉄パイプを一目見ようと、各地から実力者達がちらほらと訪れるようになっていたのだ。25階層とはそう簡単に到達できる階層ではないが、それが逆に挑戦心を煽る結果に繋がっているようだ。ここ数日、探索者達の張り切り具合は宴も見たことが無いほどであった。


 未だ大きな話題とはなっていないものの、既に探索者の間では『異世界方面軍』は徐々にその知名度を増している。これまで『殆ど知られていないマイナー配信者』だったのが、今では『名前は聞いたことがある配信者』程度には浸透していた。


「あ、そういえば丁度今、アーちゃん達が配信してる筈だよ!」


「あー、そういやなんか告知しとったなぁ。あれやろ?『漆黒』んトコの姫とダンジョン行くとかなんとか」


「そうそう!!あぶねぇ!忘れる所だったぜ!」


「次はどこの支部が犠牲になることやら……」


 そう言ってくるるはバッグからタブレットを取り出し、慣れた様子で指を走らせ、ほんの数秒で異世界方面軍の配信チャンネルを開いてみせた。そしてライブ配信の欄をタップし、そこに映し出された光景を見て困惑した。そんなくるるの様子を不審に思ったのか、スズカと宴もまた身を乗り出し、くるるの手の中にあるタブレットを覗き込む。


「……なんですか?コレ」


「……なんやろか?」


「あはははは!!もう意味わかんないことになってるじゃん!!流石、毎回期待を裏切らないなぁ!!」


 そこには、妖精樹木トレント相手に単身で戦いを挑む月姫かぐやの姿と、それを後方から腕組をして眺めているアーデルハイトとクリス。そしてその更に後方には、規則正しい列を作った何組かの探索者パーティーの姿が映っていた。

 見ただけではまるで理解できないその光景に、スズカと宴は困惑し、くるるはゲラゲラと腹を抱えて大笑いするのだった。




 * * *




「はい駄目ー!!違いますわー!!やり直しっ!!」


「ひーん!!」


 渋谷ダンジョン10階層。

 階層主である妖精樹木トレントを相手に、月姫かぐやが単身戦闘を始めてから、かれこれ30分程が経過していた。


 妖精樹木トレントといえば、ファンタジー作品ではお馴染みとなった巨大な樹の魔物である。姿形こそいくつかのバリエーションがあるが、基本的な部分で言えば誰もが共通したイメージを持っていることだろう。ここ渋谷ダンジョンに出現するトレントは、最もオーソドックスなタイプだった。

 その見た目はまるで屋久杉のように大きな大木で、太さは15m以上もある。樹の中腹には顔のような窪みがあり、なんとなく怒っているかのような表情にも見える。速度こそ遅いものの、地表に出た根を器用に動かして移動することが可能で、更には大きく伸びた無数の枝を使って探索者達を攻撃する。いくつか実っている怪しげな果実は、高速で射出されるものもあれば、地表に触れた途端に小規模な爆発を起こすものもある。


 表皮の強度はそれほど高くはないが、しかし枝の数本を切り捨てたところで、本体にはなんの痛痒も与えられない。トレントを倒す為には口のような窪みの奥にある核を破壊する必要があり、当然ながらそうそう届くような場所ではない。総じて、近接武器で倒すことは難しいとされている魔物である。


 そんなトレントを相手に、月姫かぐやもまた苦戦を強いられていた。単身での戦闘故に、当然ながら核を狙うなどということは一切出来ていない。それどころか、無数の枝による攻撃が月姫かぐや一人に集中するため、それらの攻撃を回避するので精一杯であった。

 むしろ、未だまともなダメージを受けずに耐えていることが驚嘆に値するといえるだろう。もっといえば、彼女は攻撃を躱しつつも数本の枝を切り捨てていた。それだけでも、並の探索者では到底為し得ないことをやってのけているのだ。褒められこそすれ、『まだ倒せないのか』などと彼女を責めることは誰にも出来ないだろう。


「違いますわーっ!!迎え撃つのではなく、受け流す!!あれだけの攻撃速度があれば、力なんて要りませんわ!相手の力を利用しなさーい!!」


「は、はひぃー!!」


 一人を除いては。

 声を張り上げ、戦況を眺めつつ随時指示を飛ばすアーデルハイト。その目的は月姫かぐやの修行であり、きっかけと気付きを促す為。故にアーデルハイトは『倒せ』などとは一言も言っていない。倒すでもなく、下がらせるわけでもなく。彼女は月姫かぐやの練習台として、階層主であるトレントを骨の髄───骨などあろうはずもないが───までしゃぶり尽くすつもりであった。


「回避回避ー!!貴女の武器は受けるのには向いてませんわー!刃こぼれしたら攻撃力まで低下しますわよー!!次の相手の攻撃を回避出来るよう、常に位置取りを考えて攻撃しなさーい!!」


「は、はひぃー!ッ!あ、ちょ、あぶなッ!!掠った!!」


「グッド!!ナイス回避ですわー!!」


 ダンジョン内にあって、それはあまりにも異質な光景であった。そんな謎の光景を周囲で見守っていた数人の探索者達は、あまりにハードなシゴキっぷりに戦慄すら覚えていた。会話だけを聞いていれば緊張感などまるで無いが、しかし実際には、一撃でもまともに受ければ大怪我は免れない。低級の探索者であれば死んでしまってもおかしくはない。トレントの攻撃とは、決して生易しいものではないのだから。


『思ってた以上にスパルタなのほんま草』

『ワイ探索者、もう死んでる自信がある』

『コレ、相手が月姫かぐやじゃなきゃもう死んでるのでは?』

『それだけガチな教導ってことなんやろうけどもw』

『アデ公の声援がちょいちょい笑えるのやめろw』

『相変わらず緊張感ねぇなぁw』

『やってる本人は緊張感しかねぇだろこれ』


 そんな訓練風景を目の当たりにした視聴者達も、すっかり月姫かぐやに同情気味であった。そんな折、アーデルハイトの隣で傍観者に徹していたクリスがちらりと周囲を見回した後、アーデルハイトへとそっと耳打ちをする。


「お嬢様、そろそろ」


「あら?もうですの?」


 クリスに促され、自分たちの背後へと視線を向けるアーデルハイト。そこには大部屋の入り口で待機、もとい熱心に観戦している後続の探索者パーティーの姿があった。そう、アーデルハイト達はトレントを倒すわけでもなく、しかし撤退するわけでもなく、ただ特訓のために長時間占有している状態だった。故に、あとから来たパーティのダンジョン探索を妨げている形になっているのだ。

 とはいえ、そこはしっかりと対策済みである。如何にアーデルハイトといえど、休み無しのぶっ通しで戦わせるほど鬼ではない。


月姫かぐやさん!一度休憩ですわ!!戻っていらっしゃーい!!」


「や、やったぁー!!」


 漸く出された休憩宣言に、月姫かぐやは這々の体でアーデルハイト達の元まで戻ってくる。漆黒のエースであり、若手では実力No.1の月姫かぐやだが、しかし流石の彼女も30分ぶっ続けで戦うのはかなり堪えたようである。額からは大量の汗を流し、肩で息をしながら地面に突っ伏した。


「ご迷惑をおかけしておりますわ。どうぞ、お先に」


 一方アーデルハイトはといえば、後続のパーティリーダーと思しき男に声をかけていた。突如としてジャージ姿の金髪美少女に声をかけられた探索者の男は、先程まで眼前で繰り広げられていた光景とのギャップでしどろもどろになっていた。


「え、あ、え?」


「戦うのではなくて?」


「あ、そう、です」


「では、どうぞ心ゆくまで」


 そう言ってその場を後にし、ぜぇぜぇと息を荒げる月姫かぐやの元へと帰ってゆく。月姫かぐやは丁度、クリスから水をじゃばじゃばと浴びせられているところであった。既に眼帯は取り外しており、暑苦しいファー付きのコートも脱ぎ捨てている。すっかりただの黒髪美少女状態である。


「ひとまずお疲れ様ですわ。存外悪くはなかったですわよ?」


「はぁ……はぁ……ほ、本当ですか……!」


「ええ。わたくしが見込んだだけのことはありますわ。これなら、それほどかからずに次の段階へ進めるかもしれませんわね」


「っ!!ありがとうございます、ッ!」


「とはいえ、彼らが戦い終えたらまた再開ですわ。少なくとも、一人で倒せる程度にはなってもらいますわよ。今日中に」


「え゛っ」


「というわけで、今のうちに体力を戻しなさいな」


「っ……で、できらぁ!!」


 半ばヤケクソのような境地に達した月姫かぐやは、その後も文句一つ言わずにトレントへと立ち向かった。言われたことを意識しながら攻撃し、回避し、その度にアーデルハイトから指示が飛び、そうして細かな動きを修正される。倒すためではなく、錆を落とすのではなく、ただ己の刃を研ぎ澄ませる為だけの戦い。

 彼女の持ち前の才能も手伝ってか、或いは素直な性格が良かったのか。月姫かぐやの動きはみるみる内に改善されてゆく。それこそ、月姫かぐや自身でも実感出来るほどに。


 そうして再度休憩を挟み、後続の探索者へとトレントを譲る。最初は疲れて地面に突っ伏すことしか出来なかった月姫かぐやであったが、しかし徐々に動きが最適化されてきたのだろうか。何度か休憩を挟んだころには、他の探索者が戦っている姿を観戦する余裕すら出始めていた。

 なお、トレントを譲られた探索者達は一組を除き、全てのパーティが敗北して撤退していった。それがもともとの実力なのか、はたまた怪しげな美少女三人衆の視線のせいなのか。それは誰にも分からなかった。

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