第128話 汝ら、”力”が欲しいか

 グッズ購入者に対してもサインを行っているというのに、三人体制ということもあってかそれなりのスピードで頒布を進めてゆく水際族。グッズの受け渡しの際には、並んでくれているファン達から応援の言葉がかけられる。といっても待機者はまだまだ後ろに控えているのだ。一言二言交わす程度が精々であり、それは殆どアイドルの握手会やサイン会と同じような様相を呈していた。


「いつも配信見てます!!頑張ってください!」


「ありがとう存じますわ!」


 怪しい語録Tシャツにさらさらとサインを書きながら、アーデルハイトがにこやかに対応する。購入者の希望に応じ、帝国語によるサインだった。あちらの世界にいたころから様々な書類を作成してきたアーデルハイトにとって、この作業はすっかり慣れ親しんだものである。唯一問題があるとすれば、それはサインと言うよりもただの署名に近いものになってしまっている、ということだろうか。


 最後に転売抑止のため、相手の名前を日本語で添える。喜んで立ち去る女性ファンを見送るアーデルハイト。一人当たりに使う時間はおおよそ15~20秒程と短いものであったが、これほどの数を捌く必要があると考えればむしろ長いくらいだ。


 そんな状況にあって、待機列に並ぶ参加者達の数はまるで減っていなかった。それどころか、追いついた後続が続々と並んでゆく所為で、最初よりも長くなっているような気すらする。待機列は途中で折れ、最後尾で無駄に睨みを利かせていたレベッカは既に見えなくなっていた。

 故にアーデルハイト達は気づいていなかったのだが、最後尾ではレベッカ目当ての小さな列が新たに形成されていたりする。日本語が分からない彼女はひたすらに周囲を威嚇をするばかりであったが、そんなチンピラムーブが逆にウケてしまっていたんだ。


 最も大変なのは運営だ。ただでさえ会場全体が混雑しているというのに、貴重なスタッフを半ば専属のような形で三人も割かれている。本来であれば、こういった列の整理はサークル側が各々で行わなければならない。だが元々は島中で頒布をしようとしていたのだから、当然ながら水際族にそんな人手は無い。だからこそたまたま居合わせていた暇そうなチンピラを最後尾に立たせたのだが、それが完全に裏目に出てしまっていた。


 その結果、列を整理する側だったはずのレベッカが作ってしまった、謎の人集りを整理する羽目になっている。もはや何がなにやら、状況がさっぱりである。


 なお、グッズにまでわざわざサインをしているのは不公平感を埋めるためである。グッズが完売したあとは色紙をプレゼントするつもりの彼女達だが、そちらのほうが欲しかった、などという者もいるかもしれないからだ。余計に時間を使うことになってしまうが、出来る限り多くの者に満足してもらいたいと考えている為、こればかりは仕方がない。

 幸いにも、サインの希望はそれなりにバラけている。やはりアーデルハイトのサインを希望するものが最も多いが、クリスやみぎわのサインを希望するものも多かった。故に負担は分散され、そこそこ良いペースでの進行が出来ているというわけだ。


 そうしたいくつかの問題は抱えつつも、訪れたファン達は皆満足そうな表情をしている。順調のような、そうではないような。なんとも言えない進行ではあるが、初めての参加となればこんなものだろう。申し込み当時はこれほどまでに人気サークルになるとは思っていなかったのだから、反省点は次回に活かす他ない。


 みぎわが過去に頒布した本を持参している者も意外に多かった。差し出された既刊に笑顔でサインをしながらも、みぎわの感情は嬉し泣きの一歩手前まで来ていた。これまでそれほど大きなイベントには参加していなかった彼女だが、クリスと出会う前からも同人活動を行っていたが故に活動歴自体はそれなり。だからというわけではないが、こうして注目を浴びることになるよりもずっと前からのファンがいるという事は、想像していたよりも遥かに嬉しかった。


「お願いします!!」


「……カス」


「ぐふッ!ありがとうございます!!」


 一方で、クリスへは何故か『なじって下さい』などという怪しげな要望が多かった。これまでの配信を振り返ってみても、クリスは特にそういった属性を持ち合わせているわけではない。アーデルハイトの突拍子もない行動にツッコミを入れる場面は多々見られたが、それはあちらの世界にいた頃からの慣習だ。断じて、毒舌属性などは持っていない。

 だが怜悧な眼差しや、基本的にいつも一文字に結ばれた唇など、そうした見た目の印象からか、ファンからはいつの間にやらクールなお姉さんキャラとして認識されていたのだ。クリスがこちらの世界でアーデルハイトと再会した、あの日あの時の騒ぎ様。もしも彼らがアレを目にしたら一体どう思うだろうか。再会の喜びと驚きでクリスがフォームを崩していたのも事実だが、或いは『解釈違い』などと幻滅するだろうか。


「……なんか私への要望だけおかしくないですか?」


「まぁ、みんなの気持ちもウチは分かるッスよ。黙ってると結構口が悪そうな顔してるッスから」


「解せません……というか、それこそ悪口では?」


 クリスは可愛い系というよりは美人系の顔立ちである。少し吊り目がちで切れ長の目は、黙っていれば確かにキツそうな印象を与えるのかも知れない。


「実は割と抜けてる部分もありますわよね」


「お嬢様、それはフォローとはいいませんよ」


 そんな益体もない、いつも通りの会話を交わしながらテキパキと列を捌いてゆく三人。そうして暫く経った時、見覚えのある顔が列の先頭に現れた。たった一度だけの邂逅ではあったが、アーデルハイトはしっかりとその顔を記憶していた。


「やっほー、お久しぶり!すっかり人気者になっちゃってて、声かけるか悩んだんだけど……私のこと覚えてるかなぁ?」


「あら?ステテコのアヒルさんではありませんの。お久しぶりですわ」


「『砂猫』の茉日まひるだよ!!絶対わざとでしょ!」


「そうともいいますわね」


 が、どうやら名前は覚えていなかったようである。否、なんとなく音だけは覚えていたが、しっかりとは思い出せなかったというのが正確だろうか。

 アーデルハイトが京都ダンジョンにて初めての配信を行った際、イレギュラーによって窮地に陥っていた中級探索者パーティ『砂猫』。彼女はアーデルハイトによって救出された、『砂猫』のメンバーの一人である。


「その節はどうもお世話になりました───あ、缶バッチください」


「お気になさらず。あれから調子はいかがですの?───100円ですわ」


「お陰様で調子いいよー!何度かレベルアップも出来たし、最近は魔女と水精ルサールカの人達にも話しかけてもらえるようになったよー。共通の知り合いアーデルハイトさんの話題で盛り上がってるんだよ?」


「なんだかくすぐったいですわね……また一緒に探索出来るといいですわね」


「へへ、是非よろしくお願いします!それじゃ頑張ってね!応援してるから!」


 自分の後ろにはまだ多くのファンが控えているのを理解っているからか、手を振りながら去ってゆく茉日まひる。一度会ったきりの彼女がこうして足を運んでくれたことに、アーデルハイトは何処か不思議な温かさを感じていた。これまで行ってきた事の全てが現在いまに繋がっているような、そんな気がして。


 そんな自分に気恥ずかしさを覚えたのか、アーデルハイトは笑みを誤魔化すように、テーブルの上に置かれたゲーミング木魚をぽくりと叩く。


「え、なんスか急に」


「なんでもありませんわ」




 * * *




「なァ、そろそろ腹減ってきたンだけどよ」


 新たな混雑の種となっていたレベッカを最後尾から回収し、売り子として働かせるようになってから暫くの事。叔父と姪だという妙に仲の良い二人のファンを見送った後、意外にも真面目に働いていたレベッカが突然そんな事を言いだした。時刻は既に12時を周っている。計300個あったグッズ各種は少し前に完売し、既にサイン色紙の配布へと移っていた。


「確かに、そろそろお昼の時間ですわね」


「だろ?……つってもコレ、どうすンだ?」


 レベッカが前方へと視線を向ければ、そこにはまだまだ続く長蛇の列があった。最初よりは確実に減っているが、だからといって数十分かそこらで無くなるような長さではなかった。通常であれば頒布物の完売と共に列は減ってゆくものだが、その気配はまるで見られない。サイン色紙の配布と、そして何よりも、単純に異世界方面軍の面々に会ってみたい、という者が多い所為だ。


「私とみぎわが他のイベントに参加した時は、交代で食事に行ってましたが……」


「誰が抜けても不満が出そうッスねぇ」


 そう、多少のアンバランスはあれど、三人の人気はそこそこ分散しているのだ。その上、レベッカを回収した弊害も出ている。イベント参加の告知などはしていなかった───ただウーヴェに付いてきただけで、そもそも参加する予定は無かったのだが───彼女だ。元々の目当てである異世界方面軍の三人を間近で見られる上、ついでに予想外のレベッカまで居るとなれば、ダンジョン配信ファンからすればラッキー以外の何物でもないだろう。つくづく運用の難しいヤンキーであった。


 だがそれは、誰も抜けられないということに他ならない。これだけ長い時間列に並んで目当ての人物と会えなかったとなれば、悲しいを通り越してもはや絶望ですらある。それを思えば、お腹が空いたからといって席を外すのは少々躊躇われる。


「そこのヤンキーに買い出し頼むのが、一番丸く収まるのではなくって?」


「あ?ヤだよ、ンなパシリみてェな事」


「今も十分、使いっ走りのようなことをしてますわよ?」


「……そういやァ何でアタシはこんな事してンだ……?」


 アーデルハイトは貴族らしくレベッカをパシリにしようと提案するが、敢え無くお断りされてしまった。当たり前である。そうして四人が困り果てつつも接客をしていたところで、神は後方より現れたのだった。


「ククク……我を呼んだのは汝らか……汝ら、”力”が欲しいか……?」


「だ、誰ですの!?」


「私です師匠!!SNSを見て混雑具合を知り、師匠達が困ってるだろうと思って合歓ねむの手伝いそっちのけで駆けつけた、一番弟子の月姫かぐやです!!ご飯持ってきましたよ!」


 怪しげな説明口調と共に現れた神は、両手に提げた袋に一杯の食料を持参していた。

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