第269話 上位者としての振る舞い(閑話)

「疲れたァー!」


 部屋の扉を開くなり、両手に抱えた荷物を放りだし玄関へと崩れ落ちるみぎわ。インドア派の割に体力がある方だが、流石に疲労困憊といった様子であった。一方、終始居眠りしていたオルガンは元気いっぱい。靴を脱ぎ捨て、リビングへ向かって颯爽と駆けてゆく。


「この程度で倒れるだなんて、ミギーは体力不足のようですわね」


「なかなかにハードな一日でしたから」


 開幕からトラブル続きとなった、冬のコミックバケーション一日目。獅子堂兄妹の助けもあって、異世界方面軍はどうにか初日を乗り切ることに成功していた。普段はやかましめのツンデレといった印象が強い莉々愛りりあだが、流石研究者というべきか、あれでしっかりとしている彼女だ。合流してからは文句を言いつつもテキパキと働き、しっかりと列の整理をこなしてくれた。弟の莉瑠りるは言わずもがなである。


 アーデルハイト達が合流してからというもの、客足は増える一方であった。既にグッズを買い終わった筈の客達が、アーデルハイトの到着を聞きつけ再度列に並んだ所為である。おまけにアンキレー装備状態のままでやってきたのだから、ファン達にとってはまさに千載一遇の好機。肉コスのクリスと、毒島コスのみぎわ。剣聖フォームのアーデルハイトに、恐らくは何かのキャラ衣装であろう、謎の制服を着せられた莉々愛りりあ莉瑠りる。普段は見ることが出来ないその姿は、瞬く間に拡散され大いに話題となった。


「前回の経験が活きたッスね……今回が初参加だったら、とても耐えられなかったッスよ」


「我々の弱点は人員不足ですからね……前回もレベッカさんがいなければどうなっていたことか」


 そんな会話をしつつ、クリス達も靴を脱いでリビングへと向かう。そうしてドアを開いた時、彼女たちの前には非常に悲しい光景が広がっていた。ボロボロの布、恐らくはクッションの中身であろう、撒き散らされた綿。割れた花瓶、零れた水。バルコニーへと続くガラス戸は全開放状態。凡そ考えうる全ての家具が、元ある場所から移動されていた。まるで台風でも通過したかのような、ひどい有り様だった。


 一体何があったのか。普通ならば泥棒の侵入を疑うところであろうが、しかしこと異世界方面軍の住居に関してそれはあり得ない。ならば何故────と、そこでキッチンの方から、オルガンの叫び声が聞こえてきた。


「ぬぉわー! ふぁーっく!」


 ドタドタという鈍臭い足音と共に姿を見せる彼女。その手には無惨にも食い散らかされた、納豆パックの残骸があった。そしてその小脇には、スヤスヤと幸せそうに眠る肉が抱えられている。心做しか、アーデルハイト達が出かける前よりも一回り肥えている気がする。その尻には毒島さんが噛みついたままとなっており、彼女の奮闘具合が窺えた。


「あぁ……やはりこうなりましたか……」


「犬猫も留守番させるとこうなる事が多いッスからねぇ……いやまぁ、そんな可愛らしい生き物じゃねーんスけど」


 この後の掃除を思い頭を抱えるクリスと、腕を組み『然もありなん』とでも言いたげな表情で頷くみぎわ。こうなることをある程度予想していた二人は、オルガンほどのショックは受けていない様子であった。そしてそれはアーデルハイトも同じこと。騎士団長時代から、部下の尻拭いなど数え切れない程行ってきた彼女だ。まして今回はペット────のような何か───が仕出かしたこと。この程度の粗相で喚くほど、アーデルハイトは狭量ではない。


「納豆を食べられたくらいで怒るのはおやめなさいな。お肉もお腹が空いていたのですわ。寛大な心を見せるのが上位者としての振る舞いでしてよ」


 そう言ってオルガンを嗜めるアーデルハイト。それを聞いたオルガンは真顔のまま、アーデルハイトと肉を交互に見比べる。その後、ゆっくりとキッチンに戻っていき、なにやらガサガサと音を立て始めた。そうしてオルガンが再びアーデルハイトの前へと戻った時、その手には無惨に食い破られた『暴燻』の空袋が握られていた。それも1つではなく、大量に。


「……」


 アーデルハイトの瞳がそっと閉じられる。そして数秒間の沈黙。よく見てみなければ分からないが、しかし組んだ腕はわなわなと震えていた。


「ぶ────」


「ぶ?」


 まるで『続きをどうぞ』とでも言わんばかりに、オルガンが小首を傾げる。嫌な気配を感じたのだろうか、先程まで惰眠を貪っていた肉も目を覚ましていた。直後、肉はじたばたと藻掻いてオルガンの腕から脱出する。


「───ッ殺しますわよ!? 魔物風情が!」


 危機察知能力は腐っても魔物といったところか。アーデルハイトの怒りが爆発するより早く、肉は素早くその場から逃走を始めていた。どうやら寝起きの一瞬で、素早く状況を把握したらしい。


「お待ちなさい! わたくしのウインナーに手を出したこと、後悔させて差し上げますわ!」


「……寛大な心とはいったいなんだったのか」


 呆れの言葉を零すオルガンを他所に、リビング内を駆け回り始める一人と一匹。オルガンもまた颯爽と参加するが、案の定足がもつれて転んだ隙に、肉とアーデルハイトに踏み潰されていた。なんだかんだですっかりと見慣れた光景である。先程まではイベントに参加していた筈なのに、家に戻ればこの通りであった。


「ていうか明日もあるんスけど……むしろ今回は明日が本番なんスけど……」


「とりあえず、我々は部屋を片付けましょうか」


 明日に備えて早めに休みたかったみぎわであったが、どうやらそうもいかないらしい。てきぱきと片付けを始めるクリスに続き、みぎわもまた部屋の片付けを手伝うのであった。余談だが、踏み潰されたオルガンはクリスの手によって、他のゴミと一緒に袋へと詰められそうになっていたという。


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