第21話 天丼

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 クリスの同行というサプライズに、大いに湧き上がる視聴者達。そんな彼らが落ち着きを取り戻すまでには、たっぷり10分程の時間が必要だった。


「そろそろよろしくて?」


 気がつけば、アーデルハイトは既に二階層へと足を踏み入れていた。

 そこは第一階層と同じように、どこまでも続いているかのような砂浜と海で構成されていた。ここがダンジョン内であることを考えれば、厳密に言えば海ではないのだろうが、ともかく海としか言いようのない光景だ。


 ダンジョンについては未だ解明されていないことが多い。というよりも解明されていないことばかりである。その発生原因も、内部の作りも、魔物の存在理由も、その生態も。ダンジョンが現れてから数十年、未だ何もかもが理解らないでいる。


 では異世界の知識を持つアーデルハイトやクリスならばどうか。答えは同じく『知らない』であった。そもそもあちらの世界では、ダンジョンの解明を行う者など居なかった。

 ダンジョンとはいつの間にか現れ、いつの間にかそこに有るもの。あちらでは誰もがそう受け入れていたし、謂わば常識としてそう考えられていた。強いて言うならば、世界を司る『女神』が作り出したものだ、などと言われていた程度だ。それだって、ダンジョンの存在理由とは到底言えるものではない。


 如何にアーデルハイト達が異世界からやって来たとは言え、その異世界でも理解らないとされているものはどうしようもない。

 彼女達に理解ることといえば、ダンジョン内には魔力が満ち溢れていること。そしてダンジョンで死んだ者は、体内の魔力が黒い粒子となってダンジョンそのものに接収される、ということくらいだ。先程の蟹の残骸がそうであったように。


 とはいえ、魔法を習得しているものの居ないこの世界で、魔力がどうだのと説明をしたところで理解を得られるとは思えない。先日の雑談配信で武具契約の話をした際、魔法に関する部分を省いたように。そもそも異世界出身というのは、視聴者達からすればあくまでも『設定』なのだから。


 ともあれ、アーデルハイトの呆れたような一言で漸く視聴者達が復活した。口々に謝罪を述べるその姿は、お調子者以外の何者でもないだろう。


『はい!』

『ごめんなさいでした!!』

『ちょっと舞い上がりすぎました!!』

『張り切って参りましょう!!』

『俺はずっと尻しか見てないよ』

『それはそれで普通にセクハラです』


「まったく。時間は有限ですのよ?気をつけて欲しいですわ」


『はい・・・』

『反省しております・・・』

『魔が差しただけなんです・・・』

『蟹に故意死球ぶつけて遊んでたくせに・・・』


「反抗的な態度が見えますわね・・・まぁいいですわ。話が進みませんもの。とにかく、先ずは何か武器を探しませんと。武器を失ってしまいましたし」


『せやな』

『木魚は武器じゃねぇんだよなぁ』

『あれ武器だったのか・・・』

『目に映るものは全て武器。異世界では当たり前』

『異世界転移とかよく聞くけど、そんなハードな世界で生きていけんわ・・・』

『結果だけを見れば武器越えて兵器だったけどな』

『唯一の救いはアデ公が異世界でも最強クラスだったという点だけ』

『これで一般的だったら異世界終わってた』


 今は亡きゲーミング木魚に代わる武器を求め、アーデルハイトは周囲を見回す。しかし、見渡す限りに広がる砂浜には武器となりそうな物は何も無かった。京都ダンジョンでは早い段階で木の棒を拾うことが出来たが、ここではそれも期待できそうにない。

 一般的な探索者であれば、探索者用の店や協会の購買で、何かしら武器を買ってからダンジョンに入るのが当たり前だ。標準的なロングソードやナイフ、戦鎚や弓矢等、『いかにも』といった物がそれなりの値段で手に入る。木の棒は疎か、アーデルハイトのように何も持たずダンジョンに入り、徒手空拳で探索に挑む者など一人も居ない。


「んー・・・何もありませんわね。これは困り・・・はしませんわね、特には」


『異世界では』

『素手で』

『魔物を殺すのが』

『基本戦術』

『やったぜ』

『いや絶対おかしいからな!?』

『アデ公が未だにバズってないのはある意味奇跡』

『秒読みくせぇけどなw』

『っしゃああああ!!異世界乳乱舞空手の出番じゃオラァ!!』


「ちなみにですけど、あちらの世界でも素手で魔物を殺すのは至難ですわよ。わたくしは特殊な訓練を受けているので可能ですけど、絶対に真似はしないで欲しいですわ」


『誰がするかw』

『しねぇよw』

『特殊な訓練is何』

『そういやアデ公レベルアップとかしてないっぽいよね』

『異世界人は身体の作りが俺達とは違う説』

『レベルアップなしでこれなんだからヤベェよな』

『もう何処までがネタで何処からがガチなのか俺にはわかんねぇよ・・・』


「そう言えば、特に何かが変わったような感じはしませんわね・・・異世界人はレベルアップとやらが起きないのかもしれませんわね」


 そういって自らの手を見つめるアーデルハイト。ダンジョン内で戦いを繰り返す事により、レベルアップと呼ばれる身体能力向上現象が発生すると聞いていた。しかし未だ、彼女の身体には何の変化もない。アーデルハイト自身、京都から数えれば既にそれなりの魔物を屠ってきたように思うのだが。

 とはいえ、それは彼女にとって別段問題になるわけではなかった。あちらの世界で磨いてきた力や技術がもしも通用しなければ、レベルアップとやらに縋っていたかもしれないが、幸いにも当分先までは問題なさそうである。故にアーデルハイトはまるで気にも留めていなかった。コメントで言われるまで、その存在自体を忘れていた程である。


 そうしてアーデルハイトは武器探しを諦め、次の階層へと向かって砂浜を歩き始めた。

 魔物が現れるまでの間を埋める雑談は、すっかりお手の物となっていた。もともと教養もあり、軍部でも人気の高かったアーデルハイト。更には高位貴族としての付き合い等もあり、嫌々ながらも社交界に顔を出すことは何度かあった。故に、話術に関しての問題は一切無い。稀に突拍子もない発言をするのは、異世界人としての認識のズレから来るものであり、ある意味では仕方のない部分だ。


「────というわけで、お金が溜まったら田舎に土地を買って、そこでスローライフを満喫しますわ。のんびり過ごしながら聖女ビッチへの復讐方法を考えようかと思っていますの」


『前にも聞いた話だけどスローライフとは思えない単語が急に出てくるんだよな』

『復讐方法』

『スローライフ(強』

『聖女(ビッチ』

『聖女と勇者への呼称がちょいちょい変わるの草』

『聖女(アバズレ』

『勇者(マヌケ』


「────あら?・・・ちょっと皆さん!あそこに何か居ますわよ!!」


 初回配信を観ていない者へ向け、配信を始めた理由を再度語っていた時だった。アーデルハイトが撮れ高に飢え始めた頃、それは訪れた。

 前方におよそ50m程進んだ地点。砂浜に点在する大岩の一つ、その陰に。アーデルハイトの言う通り、確かにそこには何者かの影が動いていた。


「あっ、隠れましたわ!!」


『撮れ高が来たぞ!!』

『一応他の探索者という可能性も有るからな!』

『いきなり異世界爆撃するんじゃないぞ!!』

『でぇじょうぶだ。投げるものがもう無い』

『いきなり、ふんっ!!とか言って拳の衝撃波とか飛ばしそうだし』

『ありそうで草』


「ナチュラルに失礼ですわね・・・折角ですし、とりあえず近づいてみますわ!!」


 そう言って元気よく、しかし端なさは微塵も見せずに駆け寄るアーデルハイト。優れた武人はその姿勢や所作も洗練されるものであるが、彼女もまたその例に漏れず、一つ一つの動作が洗練されている。一切の無駄がないその動きは、砂場を走っていることを感じさせない程スムーズなものだった。


 そうして岩場のすぐ傍までやって来たアーデルハイトが、顔だけを覗かせるようにゆっくりと岩陰の様子を窺う。魔物なのか、はたまた誰かが言っていたように他の探索者なのか。先程までは茶化すようにコメントをしていた視聴者も、いつの間にか緊張した様子で画面を見守っていた。


「あ」


 アーデルハイトが声をあげ、それに続くようにカメラも岩陰を覗き込む。


『いやさっきの蟹じゃねーか!!!』

『いやまたお前かーい!!!!』

『ビビらせやがってクソが!!』

『おめぇはもういいんだよ!!』

『クソデカ蟹再び』

『蟹さん逃げて・・・』

『さぁ、海へお帰り・・・』


 心なしか先程の個体よりも少し大きい気もするが、種類は間違いなく同じだろう。異様に大きな右腕と太い足。アーデルハイトの胸元付近まである甲羅。そこに居たのは紛れもなく、数分前にも見たあの大きな蟹だった。

 アーデルハイトの声に気づいたのか、すぐに全速力で逃走を図る巨大蟹。その速さも健在で、瞬く間に遠く離れてしまった。

 その次の瞬間だった。


「逃げましたわ!!」


 アーデルハイトの姿が一瞬でブレる。それは所謂モーションブラー。カメラの画角から刹那の内に消えたアーデルハイトの姿は、まさしくそれであった。彼女の動きをカメラが捉えきれないのだ。その場に残像を残しながら蟹を猛追するアーデルハイト。そんなアーデルハイトに遅れること数瞬。しかし見失うことなく、アーデルハイトの背中をカメラは捉え続ける。


 配信用の追尾カメラであれば、まず間違いなくその場で置いてけぼりとなっていただろう。肉体派ではないクリスではあるが、まだまだ全力には程遠いアーデルハイトに付いていく程度ならば、造作もないことであった。

 砂埃を上げながら砂浜を駆ける巨大蟹とアーデルハイト、そしてクリス。傍から見れば非常にシュールな光景だったことだろう。


 蟹の逃走からほんの数秒、まさに一瞬の出来事だった。突然の出来事に視聴者達がコメントをする暇も無いまま、アーデルハイトの拳が逃走する巨大蟹の背甲を捉える。数分前に見た、木魚による爆撃の衝撃にも勝る轟音。カメラを覆い尽くす、巻き上げられた白砂。


『逃げたぁ!!』

『蟹、まさかの天丼』

『うぉぉぉぉぉ!!?』

『画面やべぇww』

『クリスカメラ早っ!!』

『追いかけてるのかコレw』

『なんとなく予想はしてたけどクリスも無事規格外だった』

『あかん、怒涛の展開過ぎてコメントが追いつかんw』

『今度は何ですかァ!?』

『殴ったw』

『やっぱり拳聖じゃないか!!』


 砂煙の向こう、アーデルハイトが叩きつけた拳は、まるで紙でも破ったかのように蟹の甲羅を突き破っていた。一体どれほどの力を込めればそうなるのか、彼女の拳はそれに留まらず、砂浜に小さめの窪みを生成していた。


「仕留めましたわー!!」


『草』

『めっちゃ嬉しそう』

『笑顔が眩しいな・・・』

『腕に蟹の残骸がぶら下がってなかったらもっと良かった』

『アデ公も凄いんだけど、クリスも凄かったな』

『あの速さで画面ほぼ揺れないのどういう技術なのw』

『もう誰もあの早さで走ってることには突っ込まなくなって来たな』

『突っ込みどころ多すぎて突っ込めない』

『異世界ゆえ』


 嬉しそうな表情を浮かべ、腕の突き刺さった巨大蟹を掲げるアーデルハイト。既に蟹の中身は粒子となって消滅し、外側の甲殻だけとなっている。

 数分前、彼女が武器を探していたのは一体何だったのか。視聴者の誰もがそう思いつつも、一方では既に『異世界だしな』の一言で納得するようになっていた。


『もう異世界出身がガチなんじゃないかって思い始めてるw』

『俺も』

『アデ公が可愛いからどっちでもいいです』

『異世界を経験してきた奴らだ、面構えが違う』

『また罪のない蟹さんが一匹犠牲になった』

『撮れ高製造機』

『故意死球木魚、爆速乳空手←New!!』


「急に逃げられると、追いかけたくなりますわよね」


『殺害理由が野生動物のそれ』

『追いかけたくなる←わかる 正拳突き貫通←???』

『正直に言うと蟹の天丼で腹抱えてる』

『俺は頭抱えてる』

『今回も色々起きそうだぜ!!』


「クリスもお疲れ様ですわ。撮影技術がなかなかに好評価ですわよ?」


 腕に蟹の死骸をつけたまま、クリスを労うアーデルハイト。言葉を出すつもりのないクリスは、目礼をするだけに留める。彼女達二人の間ではこれで十分に伝わるのだ。


「さて!それでは気を取り直して───今日は早めに始めましたけど、先のことを考えればペースアップしたいところですわね。巻いて行きますわよ!!」


 そう言ったアーデルハイトが、ほんの少しだけ歩調を速める。砂の足場もなんのその、力強く、それでいて優美な歩き姿であった。ジャージ姿かつ、腕に蟹を装備していなければであるが。


『ガンガンいこうぜ』

『同業者居ないかなー』

『お決まりのパターンだと同業者がピンチになってるイベントが』

『それもう消化済みなんだよな、京都で』

『待てぇい!』

『蟹持っていくんかwww』

『木魚OUT、蟹IN』

『アーデルハイトは蟹の甲羅を手に入れた』

『亀の甲羅みたいに言うなw』


「誰か居るといいですわねー」


 などと呑気に話しつつ、誰がどう見ても怪しい装いでアーデルハイトは進んでゆく。まだ見ぬ同業者との交流を求め、伊豆ダンジョンの奥底へと。



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