第20話 尻の黙示録

「蟹ですわ!蟹が居ましたわよ!!」


 往路のテンションの低さはどこへやら、まるで子供のように、興奮気味で砂浜を駆けるアーデルハイト。靴の中に砂が入り込もうとお構いなしである。

 そんなアーデルハイトが向かう先、砂浜に生えた樹の根本には一匹の蟹がいた。シオマネキの仲間だろうか。遠目に見ても右の鋏だけが異様に大きいことが、視聴者達の目にもよくわかった。

 アーデルハイトに続いてカメラが近寄れば、徐々にその姿が鮮明になってゆく。その蟹は、鋏だけが巨大な訳ではなかった。


『デッッッッッッ!!』

『デッッッッッッッッッッ!!』

『(蟹が)』

『いやデカ過ぎるだろ』

『このタイプは初めて見たな』

『にしてもデカくない?』

『カルキノスの子供じゃねぇかな』


 脚を畳んでいるため全長は知れなかいが、高さは1m程もあるだろうか。その蟹の頭部は、ゆうにアーデルハイトの腰元あたりまで届いていた。どう考えても普通の蟹では無い。

 一般的に知られる世界一大きな蟹といえば、やはりタカアシガニだろう。鋏まで含めた全長は3mを超えるものも居る。それと比べれば、アーデルハイトの眼前にいる1mと少しの蟹など、それほど大きくはないように思える。

 しかし、タカアシガニはその名の通り、『大きい』というよりも『高い』或いは『長い』といった印象のほうが、一般的には強いのではないだろうか。立った時の姿は人間と同程度かそれ以上。しかし肝心の脚や鋏は長い代わりに細く、ともすれば直ぐにでも折れてしまいそうに見える。


 しかし目の前の蟹は、脚を畳んだ状態で既にこの大きさである。

 また、鋏は当然のことながら、脚の太さ、甲羅の大きさも凄まじい。左の腕を除き、その他全ての部位が分厚く太いおかげで、まさに『屈強』な蟹に見える。当然、カメラ越しに感じる圧も大きかった。


『大きい』ということは、それだけで見た者を不安にさせる。身近な例を挙げるなら、身長の高い人が目の前に立っていると、それだけで威圧感を感じたりするものだ。筋骨隆々の大男ならばさらに威圧感が増すだろう。そしてそれが、人間ではない得体の知れない生き物であればなおさらだ。これが魔物の持つ恐ろしさ、その一つなのかもしれない。

 初回配信でも遭遇した魔狼ワーグにしても同じことだ。人間など軽く超越した大きさを持つワーグは、ただそこに居るだけで恐怖心を掻き立てる。流石にワーグほどではないにしろ、眼前の蟹は確かに同種の圧を持っていた。

 とはいえ、それはあくまで一般人、或いは普通の探索者の話である。


「コレ、食べられますの?」


 数々の魔物や魔族、果ては竜種とすら戦った経験のあるアーデルハイトが、この程度の蟹に圧を感じることなど無かった。京都Dでもその経験を活かし───ただの力技が大半だったが───見事に魔物を屠って見せた。しかしそんなアーデルハイトでも、この蟹は見たことが無いらしい。


『食う気かw』

『サバイバル令嬢』

『魔物って食えんのかな?』

『魔物の中には食えるやつも居るらしいって聞いたことはある』

『何処の世界にもとりあえず試す奴はいるんだな・・・』

『ようやるわ』


 この世界では、魔物を食用とすることは基本的には無い。得体が知れない所為で誰も食べたがらないこともそうだが、単純に研究が進んでいないというのが一番の理由であった。成分や栄養も不明、安全の確保されていない、食後に何が起きるか理解ったものではない、そんな異質な存在の血肉など、とてもではないが口に入れる気にはならないだろう。

 では何故研究が進んでいないのか。それは、魔物の死体をダンジョン外に持ち出す前に、急速な劣化が始まるせいである。


 角や牙、爪といった外側の部位は問題ない。それはダンジョンの主な産出資源である鉱物と並び、探索者達の主な収入源の一つだ。世の好事家達がそういった珍しい部位に高値を付け、取引をする。そして実際にそれらを加工して、家具や装飾品、RPGゲーム宜しく装備品を作ること等も、今では一般的となっている。


 しかし肉や内臓は違う。魔物が死んだその瞬間から劣化は始まり、数分と待たずに黒い粒子となってかき消えてしまう。滅菌処理した容器に入れようと、真空状態で密閉しようと駄目だった。消滅する前の黒い粒子の正体すら以前不明なままである。

 そのあまりの劣化の速さから、ダンジョンの外へと持ち出すことはほぼ不可能と言われ、それが魔物についてまるで研究が進まない理由の最たるものとなっている。

 つまり魔物について研究するには、設備をダンジョン内に持ち込んだ上で、倒してから数分の間に行わなければならないのだ。そんなことは実質不可能である。閑話休題。


『アデ公はこの蟹見たことあんの?』


「いいえ、わたくしもこの蟹は見たことがありませんわ。もしかしたら居たのかも知れませんけど、あちらの世界では、ダンジョン専門というわけではありませんでしたから」


 そう言って蟹に背を向け、カメラに向かってアーデルハイトが受け答えをしている時だった。先程まで大人しくしていた蟹が、凄まじい速度で砂浜を疾走し始めた。恐らくは好戦的な種では無かったのだろう。アーデルハイトの意識が自分から離れる瞬間を狙っていたのかもしれない。


「あっ、逃げましたわ!!」


『はやwww』

『すっげぇカニ歩き』

『この場合はカニ走りになるのか?』

『車より早いんだが?』

『砂埃立ってんよ』


 アーデルハイトが蟹に背を向けていたのは僅か5秒程。しかし件の蟹は、既に7~80m近く離れている。それは時速にすれば凡そ57km/h程であり、一般道を走る車とほぼ同程度。まさに一瞬の出来事であった。

 そんな遥か小さくなってしまった蟹へ向けて、アーデルハイトが小脇に抱えた木魚を投擲する。もちろん、底部のスイッチを入れることも忘れていない。


「────ふんッ!!!」


 振り上げた右腕がしなり、そのままアーデルハイトの手を離れた虹色の木魚が、まるで銃弾のように飛翔する。視聴者達がコメントする間もなく、彼らが『投げた』と思った時には既に、100mほど先の砂浜へと木魚が着弾していた。激しい轟音と共に舞い上がる砂埃。先程までそこにあった開放的なビーチは、上陸作戦中の海岸もかくやといった光景へと変わっていた。


『草』

『いやなんとなく分かってたけど、君投げる方も凄いのね』

『剣聖さん・・・』

『は!?何!?どういうこと!?何したの!?』

『木魚を投げただけなんだが??』

『落ち着け、このくらい異世界では日常茶飯事さ』

『おっ、異世界は初めてか?力抜けよ』


 初めてアーデルハイトの配信を見た者が、コメント上でも理解るほどに動揺してみせる。そしてそれを、他の視聴者達が嗜める。まだ二度目のダンジョン配信だというのに、初回からアーデルハイトの配信を見ている視聴者達はすっかり訓練されていた。初回からゴブリンの頭部でサッカー、もといビリヤードをしてみせたアーデルハイトだ。彼女の規格外ぶりは既にファン達へと浸透している。ちなみに彼女の実力は緩やかに、しかし確実に周囲へと広まりつつある。


「んー・・・当たったかどうか、あまり自信がありませんわ。というわけで早速見に行きますわよ!!」


 そう言ってカメラへと手招きし、先行して砂浜を走るアーデルハイト。


『いやもうあれ当たって無くても結果同じでしょw』

『爆散してそう』

『蟹に向かって木魚を投げたら砂浜が爆発した』

『意味不明で草』

『ちょっと何言ってるかわかんないです』

『ありのままなんだよなぁ』

『爆撃木魚雷(虹)』


 そんな呆れるようなコメントを横目に、アーデルハイトが爆心地へと辿り着く。砂煙の晴れたそこには、直径10m程の大きさの穴が空いていた。そしてその周囲には、恐らくはの残骸が無数に散らばっていた。それを見たアーデルハイトが、喜色を浮かべてカメラへと親指を立てて見せる。


「あ、やりましたわよ!!命中してましたわ!!」


『ナイスゥ!!』

『嬉しそうで可愛い』

『あー、よいですぞ』

『表情と光景が似合わ無さ過ぎて脳がバグった』

『なんだっけ、捕まえようとしてたんだっけ・・・?』

『そういや何で投げたんだっけ・・・』

『蟹が急に逃げたのでとりあえず殺した。動機は未だ不明』

『犬が逃げる人間を優先的に追いかけるのと同じ原理だな』


「粉々になってしまいましたけど、不味そうだったので良しとしますわ」


『言い分が酷すぎるw』

『蟹は犠牲となったのだ』

『食えるかどうかはともかく、不味そうなのはわかる』

『ズワイとかタラバみたいなタイプの蟹がいいよね、やっぱ』

『タラバは実は蟹じゃないんだけどな』

『そうなん!?』

『実はヤドカリの仲間なんだよ』


「そうなんですの!?わたくし、まだ蟹は食べたことがありませんの。楽しみにしていたんですけど・・・そう聞くとなんだか食欲が減退しますわね・・・」


 伊豆へと向かう道中にも、かに料理の店はいくつか見てきた。ネット上でも度々広告を見る機会があったし、そのどれもが高価だった。帝国にいたころ、というよりもあちらの世界において、蟹を食べるなどということをアーデルハイトは聞いたことがなかったが故に、蟹というまだ見ぬ食材にアーデルハイトは期待を膨らましていたのだ。

 中でもタラバガニは、脚も太く肉厚で、非常に美味しそうだった。それが蟹ではないと言われた衝撃は、かなりのダメージをアーデルハイトに与えていた。


『元気出して』

『でも美味いし』

『美味けりゃなんでもいいんだよ!!』

『ていうか分類上そうってだけだしな』

『気にせずガンガン食っていけ。高いけど』

『スパチャ解禁されたら俺が奢ってやるからな!』


「そうですわね!美味しければなんでもいいですわ!元気が出てきましたわ・・・気を取り直して蟹を探しますわよ!!」


 そんな温かい励ましのコメントで、あっさりと気分を回復したアーデルハイト。美味しい食材を前にした人間など、大抵こんなものである。

 そうして気分を入れ替えたアーデルハイトは再びダンジョン内を歩き始めた。既に配信開始からそれなりの時間が経っていたが、階層で言えば未だ一階層である。初めて出会った蟹に興奮して遊んでいただけにしては、遅すぎる進行といえるだろう。


 これが一般的なダンジョン配信であれば、視聴者からの急かすコメントの一つや二つはあったかもしれない。しかしそこはアーデルハイト、やること成すこと、全てが撮れ高となる謂わば撮れ高モンスターである。彼女にかかれば、蟹を見つけてぶち殺すだけで、十分過ぎるほどに視聴者達を沸かせることが出来る。本人には特にそんなつもりはないのだが。


 アーデルハイトが手を後ろで組んで、まるでお散歩を楽しむかのように砂浜で歩く。そんな後ろ姿を見ていた視聴者達は、『これでジャージでなければ』などと思う一派と、『ジャージだからこそ良い』派閥で、コメント欄にて熱い討論を交していた。

 そんな益体もない討論をアーデルハイトが眺めながら歩いていると、ひとつのコメントが目についた。


『バカが・・・ジャージのほうが身体のラインが出ると何故分からないんだ』

『いや理解るけどさ・・・普段からジャージなわけで』

『たまには他のも見たいじゃん!見たいじゃん!』

『隠された色気ってもんが有るんだよ!』

『隠せばいいってもんじゃないんだよ!!』

『普通ジャージで海辺を歩く女がいるか!?居ねぇだろ?つまりここが特異点』

『この着衣尻に全ての事象は収束されて世界は再生する...』

尻の黙示録アポカリプス

『意味不明で草』

『熱い議論中に悪いんだけどさ』

『待って、今↑が何か良いこと言おうとしてる!』

『...ほう、構わん。言ってみろ』

『発言には気をつけ給えよ?』

『いやずっと気になってたんだけどさ』


 それはこの馬鹿馬鹿しい議論に終止符を打つだけの力を持つ、酷く鋭いものだった。


『これ多分、配信用の追尾カメラじゃないよね?』

『・・・?』

『ほう・・・続け給え』

『カメラの位置が追尾カメラにしてはちょっとだけ高い。あと、若干だけど画面が揺れてる。追尾カメラなら浮いてるから揺れない筈。あと蟹の時がわかりやすかったけど、被写体にカメラを向ける時の反応が良すぎる』

『・・・?』

『・・・?』

『名探偵現る』

『つまり・・・どういうことだってばよ』

『要するに、誰かが手動でカメラ構えてるんじゃない?ってこと』


 そうして結論を出した視聴者に、アーデルハイトは瞠目していた。

 直截に言ってしまえば、配信が終わるまで誰にも気づかれないと思っていたのだ。彼なのか彼女なのかは分からないが、この視聴者の観察眼は驚嘆に値する。確かに、ほんの僅かとはいえ視点が前回とは違うかも知れない。ほんの少しだけ画面が揺れているかも知れない。言われてみれば、確かにそうかも知れない。

 しかし、だからといってそれに気づけるかと言われれば話は別だ。何となく違和感を感じることは有るかも知れない。しかしそれを言語化出来るということは、ほぼ確信を得てコメントしているということだ。

 正直に言えば、何も知らないいち視聴者としてこの配信を見ていたら、アーデルハイトといえども気づけ無いだろう。ましてや一般の者がそれに気づくなど、到底ありえない筈だった。


「・・・凄いですわね。貴方」


『!?』

『!!?』

『つまり誰かいるってことか?』

『もしかして・・・?』

『当たりですか!?やりましたわ!褒められましたわァー!!!』

『感染ってる感染ってるw』


「本当なら、もう少し後に言おうと思っていたんですけど・・・正解ですわ。今回はわたくしの他に、もう一人カメラマンがいましてよ」


『何だと!?』

『ダリナンダアンタイッタイ!!』

『古いなオイw』

『マジで誰や』

『君らマジか?一人しかおらんやろが』

『いやいやいや・・・マジ?』

『いや候補は二人居るはず』


「もう少し引っ張りたかったですわ・・・そもそも今日は匂わせるだけで、出すつもりはありませんでしたのよ?でもまぁ、もう皆さんお気づきのようですし、発表してしまいますわ。今回はアシスタントとして、クリスが同行しておりましてよ」


『やっったあああああ』

『っしゃあああああクリス派の俺歓喜ィイイイイ!!』

『主従コンビきたあああああ!!』

『ありがてぇ・・・ありがてぇ・・・』

『ワイアーカイブ民、状況が分からずに困惑』

『こういう時は爆速タイピングニキが説明してくれる』

『クリス(名)アーデルハイト異世界方面軍に於ける、スタッフと思しき女性二人のうちの一人であり、アデ公の専属従者。初配信時、探索者協会にて待機していたところ、アデ公が切り忘れた配信に一瞬映ってしまい、その愛らしい容姿からコアなファンを獲得するに至る。なおアーカイブではカットされているため、現在はその姿を見ることが出来ない(再掲)』

『爆速ニキって誰よw』

『!!?』

『信頼と実績の速さ』

『彼です』

『毎度助かる』


 クリスがダンジョン内に同行しているという事実に、視聴者達は一層の盛り上がりを見せた。狂喜乱舞する一部のクリスファンの言葉によってコメント欄は滝のように流れ、その速さはアーデルハイトの動体視力でなければ到底読むことは出来なかっただろう。


 そして今回、何故配信用の追尾カメラではなく、わざわざクリスが同行して撮影を行っているのか。それは初回の配信の時に発覚したある問題の所為であった。

 アーデルハイトが真面目に動くと、追尾カメラでは彼女の動きを追うことが出来ないのだ。

 悲鳴を聞きつけてワーグの元へと駆けた時が顕著だった。動きを追うどころか、カメラだけが置き去りになってしまった。魔物が弱い低層ならばともかく、これからダンジョンの深部へと探索を進めるのであれば、魔物も徐々に手強くなってゆくだろう。そうなったとき、アーデルハイトの動きを追うことの出来ない追尾カメラでは、配信として成り立たなくなってしまう。それを危惧した汀により、今後はクリスが撮影を行う必要があるかもしれないと提言があったのだ。そして今回は練習がてら、クリスが同行することになったのだ。


 自分は裏方であり演者はアーデルハイト。あくまでもそのスタイルを貫こうとするクリスは、紹介されたにも関わらず一言も発さない。しかし右手だけをカメラの前へとやり、そのままカメラに向かって軽く手を振ってみせた。

 それによって更に加速するコメント欄。そんな収拾のつかなくなったコメント欄に呆れたアーデルハイトが、一言だけ補足した。


「クリスは基本、撮影に専念する予定ですけど、もしかするとカメラに映ることもあるかもしれませんわ。だから行儀よく配信を見て欲しいですわ」


 しかしその一言はアーデルハイトの思惑とは異なり、残念ながら逆効果となってしまったのだった。



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