第42話 田舎のヤンキー

 ダンジョン内には様々な形で罠が存在しており、奥に進めば進むほどその数と種類が増えてゆくと言われているが、転移トラップに関して言えばそれほど報告例の多くない罠だ。

 罠の内容は単純で、かかった者をダンジョン内の何処か別の場所へと強制移動してしまうという比較的分かりやすいトラップである。発動した地点よりもずっと奥の階層に飛ばされることもあれば、既に通過した場所まで戻されることもある。そこに法則性はなく完全なランダムである。


 しかしその脅威度は群を抜いて高い。

 中から矢が飛んでくる訳でもなければ、開けた途端に爆発するようなこともない。もちろん偽宝箱ミミックのように襲ってきたりするわけでもない。そういった直接的な被害を与えるような罠ではないが、しかしある意味ではそれらの罠よりもずっと悪辣なのだ。


 飛ばされる場所が完全にランダムということは、つまり未知の階層に飛ばされる可能性があるということだ。探索者達が自らの実力に合わせて少しずつ前進している最中、突如として10層、20層も先の階層まで移動させられればどうなるか。自分では手に負えない、そんな強力な魔物が跋扈する階層へ飛ばされた探索者に出来ることなどあるだろうか。進むことも戻ることも出来ず、ただ恐怖に震えながらその場で朽ちてゆくことしか出来ないだろう。一種の遭難に近いといえる。


 もちろんこれは階層に限った話ではない。

 ダンジョン内は広大で、そこが既に攻略されたフロアだとしても未だ発見されていないエリアは無数に存在する。隠された脇道もあれば、壁の向こう側に新たなエリアが広がっている場合もある。そんな地図すらないエリアに飛ばされてしまえば、正規の道へ戻ることすら難しいだろう。


 そして転移トラップの最も恐ろしい部分が、仲間たちと分断されてしまうというところだった。パーティー全員で飛ばされるならばまだ良い。皆で力を合わせれば窮地を脱する事もできるかも知れない。危機的状況であることには変わりないが、互いに鼓舞し合うことで精神面もぐっと楽になる。

 しかし、残念ながら転移トラップはそう甘いものではなかった。探索者協会に上げられた報告によれば、その全ての例に於いてパーティの一部だけが転移させられるとされている。一人だけが飛ばされる場合もあれば、一人を除いた全員が飛ばされる場合もあり、飛ばされる人数もまたランダムだと言われていた。恐らく罠に最も近かった者の中から数人が飛ばされるとされており、それ以外には何の法則性も見つかっていない。つまりはパーティの分断を目的とした罠であり、ダンジョンを生み出した何者かの性悪な精神が形になった罠だと言えるだろう。


 当然ながら探索者達からは最も恐れられているトラップの一つであり、探索者協会からも警戒を怠らないよう常に注意喚起が行われている。とはいえ、現在は世界中の探索者達による長年の調査によって、少なくとも見分け方だけは判明している。更にもともと転移トラップの数自体が少ないこともあって、近年では転移トラップによる被害は減少傾向にある。駆け出しの新人探索者が転移トラップにかかって行方不明になる事例は未だにちらほらと報告されるが、中堅以上のベテラン探索者であればまず引っかかることはないのだ。


 あちらの世界でダンジョンを攻略した経験があるとはいえ、アーデルハイトの本業は騎士なのだ。つまり、新人探索者である彼女が引っかかったのはある意味仕方がないことだったともいえる。新人ならばもっと慎重に動けと言われればその通りなのだが。

 ちなみにあちらの世界には罠を看破するアイテムや魔法が存在している。こちらの世界では未だに発見例が無いが、もし見つかればかなりの高値が付くことは間違いないだろう。


 とはいえ、そんな転移トラップの話など実は意味がない。何故なら、トラップに引っかかったのが魔女と水精ルサールカのメンバーではなくアーデルハイトだったからだ。ましてや今回はストッパーのクリス付きである。

 結果論ではあるが、配信用自動追尾カメラを使用するのではなく、クリスがカメラ係として随伴していたのが功を奏した。追尾カメラを使用していれば今頃は15階層に置き去りになっていただろう。クリスカメラによる撮影と配信は継続中であり、魔女と水精ルサールカ側の配信と見比べれば誘導が可能な状況だ。故に合流は比較的容易いと誰もが思っていた。


「結局進むべきですの?戻るべきですの?というよりも、今は進んでいますの?戻っていますの?」


「お嬢様、ここはさっきも通った気がしますよ」


「あら?では次はあっちに行ってみますわ」


『待て待て待てーい!!』

『そっちもさっき行ったんだよなぁ!』

『もう走り出しちまった……止めらんねぇよ』

『止まるんじゃねぇぞ……』

『悲報 アデ公、未踏破地域に飛ばされる』

魔女と水精ルサールカの配信でも見たことないなココ』

『つまり25階層以降or未踏破地域の二択』

『戻るのが安牌なんだろうけどなぁ……』

『誰も戻る道がわからない件について』


 既にアーデルハイト達の配信では魔女と水精ルサールカ側の配信視聴者、或いは同時視聴者達がコメントでの誘導を試みていた。本来であればこういった伝書鳩じみた行為は配信界隈では忌避されるのだが、今は非常時───とてもそうは見えないが───である。彼等はもしものことを考え、魔女と水精ルサールカメンバーの許可を得てこうして異世界方面軍チャンネルの方へとやって来ているのだ。

 しかし、その結果は残念ながら芳しくなかった。魔女と水精ルサールカの配信を日頃から視聴しているファン達は自ずと京都ダンジョンに詳しくなる。故に道案内を買って出たのだが、しかしアーデルハイトが今居る場所には誰も見当が付かなかったのだ。


 京都ダンジョンといえば、基本的にはゴロゴロとした不揃いな岩と土、生い茂る雑草の地面で形成されており、まさしく『山道』といった景色の広がるダンジョンだ。きっちり整備されたような場所もあるにはあるが、そういった地形は大抵の場合階層主のフロアだ。それは魔女と水精ルサールカの持つ最高記録、25階層までずっと変わらないというのが視聴者達の共通認識だった。

 しかし今アーデルハイト達がふらふらとお散歩をしている場所は、無数の柱状節理によって形成された岩場だ。日本で有名な柱状節理と言えば兵庫県の『玄武洞』や北海道の『層雲峡』、福井県の『東尋坊』などが挙げられるだろう。他にも地上に於ける名所は多々あるが、少なくともダンジョン内でこのような景色が報告されたという話は誰も聞いたことがなかった。


 故に現在彼女達が居る場所は25階層以降のフロアか、或いは未踏破地域か。いずれにせよまだ誰も到達したことのないエリアであることだけは間違いなかった。それはつまり道案内が出来ないことを意味する。そうであるにも関わらず誰も悲観していない理由は、偏にアーデルハイトとクリスの態度が普段とまるで変わらなかったからだ。

 その表情に焦りや動揺などは微塵も無く、むしろ好奇心のままに歩き回る始末であった。そんな彼女達のお散歩姿を見てすっかり気を抜かれたというわけだ。

 そうして彼女達が気の向くまま右へ左へと移動していた時、アーデルハイトが何かを発見した。


「あら、蜥蜴人リザードマンですわ」


「おや。ではやはりこの辺りは火山地域なのでしょうか」


「一概にはそう断言出来ませんわよ?彼等の分布は広いですわ。水辺に生息している場合もありますし」


「でも鱗が赤茶色ですよ。あと、何処となく粗野な空気を纏っている気がします。水辺のリザードマンは青系ですし、もうちょっと知的な雰囲気がありますよ。あっ、見て下さいあの品のない顔。もうほぼ山賊じゃないですか」


 アーデルハイト達の視線の先、およそ50mほど前方の岩の上に三体の蜥蜴人リザードマンの姿があった。蜥蜴人はあちらの世界ではそれなりに多く見られる魔物であり、力の程は魔物の中でも中の下といったところ。武器を巧みに操る比較的珍しい魔物でもあり、ただ棒を振り回したりするしか能がない豚人オーク等とは違って剣術めいたものを習得している。故に豚人オークよりは強いが鬼人オーガよりは弱いといった位置づけの魔物である。

 とはいえ、それは平均的な強さの話である。リザードマンの強さは個体差が大きく、中でも群れの長ともなれば上の下、つまりは鬼人オーガと同程度の強さを持つものもいるのだ。


 そして強さと同様に、個々の性格もまた多様な種族だ。基本的には好戦的な者が多いとされているが、温厚なリザードマンも一定数存在している。蜥蜴『人』という名が示す通り、魔物の中では人間に近い種族なのかもしれない。


 そんな蜥蜴人リザードマンだが、今二人の眼前に現れた個体はクリスの言葉通り随分気性が荒そうに見えた。アーデルハイト達の存在に気づいているようには見えないのに、無闇矢鱈と鳴き声を上げ、手にした曲刀で無駄に地面を斬りつけたり。どこから調達したのか、盾を打ち鳴らして互いに煽り合ってみたりとやりたい放題である。


『ガラ悪すぎて草』

『深夜のコンビニに居そうw』

『半端ないオラつき具合』

『田舎のヤンキーやんけw』

『はえー、すっごい』

『京都では初めて発見されたんじゃないか?』

『結構強いって聞いたことあるな』

『かなり強い定期』

『中級者の壁みたいな魔物や』

『普通に怖いんですけど』


 のんびりしていたお散歩フェイズに現れた闖入者。これまで京都では発見例がなかったこともあってか、視聴者達の中には初めて蜥蜴人リザードマンを見た者もちらほら見受けられた。感動する者もいれば怯える者もおり、視聴者達の反応は半々といったところだろうか。強いて言うなら、異世界方面軍騎士団員達の大半はこれから始まるであろう異世界蹂躙劇に期待するものが多く、逆に魔女と水精ルサールカのファン達は不安そうな反応が多いか。


「異世界蜥蜴人リザードマン講座は無しでさくっと倒してしまいますわよ。今は先を急いでおりますし」


「そうですね。とても先を急いでいるようには見えませんでしたが」


「先程手に入れた、この聖剣エクスカリパイプの錆にして差し上げますわ!!」


 クリスのチクチク言葉を無視し、アーデルハイトが勢いよく飛び出した。流れるような身のこなしで刻まれるステップは、まるで水面を滑るかのようで。足音一つ立てること無く、しかし迅速に蜥蜴人リザードマンまでの距離を詰めてゆく。


『ダッッッッッッッッサ!!』

『聖剣……?』

『カリが何だって?』

『同列にされたローエングリーフくんが可哀想でならない』

『木の棒を相棒と呼ぶ女やぞ』

『錆にするっつーかもう錆びてる』

『また新たな武器遍歴が追加されたな』

『素手→木の棒→蟹→聖女(蟹)→ゴミ(短剣)→中年→鉄パイプ←New!!』

『なんか変なの混じってたぞ』

『むしろまともなもん混じってるか?』


 特に姿を隠すこともなく、堂々と真正面から突撃してゆくアーデルハイト。その鮮やかな歩法故か、彼我の距離が20m前後となるまで蜥蜴人リザードマン達はアーデルハイトの存在に気づかなかった。とはいえ、曲がりなりにも剣術らしきものを習得している蜥蜴人リザードマンだ。気配を察知したのか、魔物にしては彼女の接近に気づくのが早かった部類だろう。

 しかし、そんな些細な事はどうだってよかった。気づくのが多少早かろうと、戦いの結果にはなんの影響も及ぼさない。そもそも実力が違いすぎるというのに、今のアーデルハイトの手には本人曰くの聖剣が握られているのだから。


 接近するアーデルハイトの存在に最も早く気づいたのは盾と片手剣を装備した蜥蜴人リザードマンだった。正面で未だに自らを煽り続けている仲間を他所に、彼は目を剥いて甲高い声を上げる。吶喊とっかんした蜥蜴人リザードマンはそのままアーデルハイトの方へと向き直り、すぐさま剣と盾を構えて岩の上から飛び出す。着地と同時に盾を構え、恐らくは一撃を受けてから硬直中のアーデルハイトへと剣撃を加えるつもりなのだろう。


 アーデルハイトに力みは無く、足取りと同じように流麗なパイプ捌きで右腕を一閃する。これまでにも何度か見せたように、あまりにも早すぎるその動きはカメラでは捉えきれなかった。アーデルハイトの右腕がブレて消えた次の瞬間、酷く軽くて間抜けな金属音が辺りに鳴り響いた。鉄パイプは中が空洞故、どうやっても音が反響してしまい気の抜けるような音しか出ないのだ。

 とはいえ、どれだけ間抜けな剣撃音だとしてもアーデルハイトの一閃が齎す戦果には何の影響もない。刃が無いどころか、丸みを帯びた鉄パイプで一体どうすればそんな結果になるのだろうか。蜥蜴人リザードマンの構えていた木製の盾は、鋭利な痕を残してぱっくりと両断されている。上下に切り裂かれた盾の隙間から、アーデルハイトの鋭い眼差しが覗いていた。


 如何に魔物と言えど感情が無いわけではない。蜥蜴人リザードマンの驚きは一体どれほどのものだっただろうか。得体の知れない相手への恐怖からか、或いは彼の本能からか。瞠目しつつも、しかし蜥蜴人リザードマンはどうにか剣を振るうことに成功した。それは完全な手拍子だった。ただただ反射で振るっただけの、何の意志も持たない攻撃だった。

 まるでハエでもとまりそうな反射の一撃を、アーデルハイトが返すパイプで迎え撃つ。風を置き去りにして振るわれたその一閃は、間抜けな金属音を再び周囲へと響かせた。アーデルハイトが放った攻撃は二回。時間にすれば、彼女と蜥蜴人リザードマンが衝突してからほんの1秒かそこらの出来事だった。


 粗雑な曲刀と共に蜥蜴人リザードマンの頭部がずり落ちる。『べしゃり』という水っぽい音と共に、アーデルハイトの足元には紅い水溜りが出来ていた。先程まで蜥蜴人リザードマンだったモノには一瞥もくれず、鉄パイプで血振りをしたアーデルハイトが次の相手へと視線を向ける。


「あら、怯えていますの?」


 先程までの山賊の如き振る舞いは何処へやら。残された二体の蜥蜴人リザードマンは、まるで化け物でも見たかのような表情でアーデルハイトを見つめていた。鉄パイプを軽く地面に打ち付けながら、無意識の内に後ずさりする蜥蜴人リザードマン達へとアーデルハイトが声をかけた。


「時間が勿体ないですわ。良いからまとめてかかってらっしゃいな」

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