第289話 ありがたやー
偶然の再会を経て、結局一度部屋へと戻ったアーデルハイト達。部屋に荷物を置いた
公爵家の令嬢ともなれば、着替えすら侍女が行うのが当たり前だ。しかしそこは流石の異端者。公爵令嬢、剣聖、騎士団長などなど、属性てんこもりのアーデルハイトは、そこらの貴族子女とはわけが違う。自分のことは基本的に自分で行うし、着替え程度でクリスの手を煩わせたりはしない。メイドにとっては着替えの手伝いも立派な仕事なので、煩わせるという表現は少々語弊があるかもしれないが。
常から公言しているように、アーデルハイトは自らの身体に誇りを持っている。スタイル維持の努力も怠ってはいないし────そもそも太らない体質であることに加え、栄養の大部分は一部に偏るのだが────、公爵家の令嬢として、常に堂々とするよう教えられてきた。故に、着替え程度で恥ずかしがるようなことはない。同性に肌を見られたところで、特段何を感じることもない。もしこれがそこらの貴族令嬢であれば、不敬だなんだと、色々面倒なことになっていたのかもしれない。
手早く浴衣を脱ぎ捨て、綺麗に畳んで脱衣カゴへとしまうアーデルハイト。流石というべきか、衣擦れの音が聞こえる隙もない、ほとんど一瞬の出来事であった。隣で着替えていた
「な、なんですの……? そんなに見つめられると、流石のわたくしも少々居心地が悪くってよ?」
「デッッッッッッッ!!」
「ありがたやー……」
「ごちそうさまでした……」
そんな馬鹿げたやり取りをしているうちに、クリスがさっさと浴場へと移動してしまう。いつの間にか着替えを済ませていた彼女の足取りは、見るからに軽かった。一行の中で一番温泉を楽しみにしていたのは、アーデルハイトではなくクリスだったのかもしれない。クリスに先を越されたアーデルハイトが、急いでその後を追う。ぺたぺたという可愛らしい足音とは対照的に、双丘はばいんばいんと暴れまわっていた。
アーデルハイトがこちらの世界に来てから、もう何度めかになる温泉だ。すっかり作法にも慣れた彼女は、勝手知ったるといった様子で髪を洗い始める。次いで身体を隅々まで洗い、湯船へと突撃していった。なおクリスはといえば、ガラス戸の向こうにある露天風呂で、既にのんびりと湯を堪能していた。
* * *
「クリス、クリス! あちらにカフェコーナーがありましたわ!」
「いいですね、是非行ってみましょう」
ゆっくりと温泉を堪能した一行は、脱衣所を出てすぐのところに併設されていたカフェコーナーへと向かう。シックで落ち着きのある空間は、お湯で火照った身体を冷ますのに丁度よかった。
「クリス! ウインナーコーヒーですってよ!? わたくしはこれにしますわ!」
「残念ながら、お嬢様が想像しているようなものは出てきませんよ」
クリスの忠告にも耳を貸さず、アーデルハイトは言葉の響きだけでウインナーコーヒーを注文する。クリスはアイスコーヒーを、そして
なおウインナーコーヒーとは、オーストリア発祥の飲み方のひとつでしかない。勿論、ウインナーが突き刺さったりもしていない。『ウインナー』とは『ウィーンの』といった程度の意味合いであり、コーヒーの上にホイップクリームを乗せたものを主に言う。当然、アーデルハイトの家名とも特に関係はない筈だ。だがエルフが無意識に樹木へと興味を惹かれるように、彼女にもまた何かしら、惹かれるものがあったのかもしれない。
「庶民派の私としては、コーヒー牛乳がよかったんだけどねー」
「チョイスした旅館がオシャンティ過ぎて、逆にコーヒー牛乳は無かったね……」
「まぁ、カフェラテも似たようなもんだし?」
風呂上がりの定番とも呼べるコーヒー牛乳が無かったことに、少し残念そうな表情を見せる二人。とはいえ、ここは銭湯ではなく高級旅館だ。コーヒー牛乳がないのも致し方ないだろう。そうして四人は世間話をしながら、火照った身体を冷ましてゆく。
「いやー! それにしても、アーちゃんが戦技教導官とはねー! てっきりそういうのは断るのかと思ってたけど、よく引き受けたね?」
「貴女、わたくしを何だと思っておりますの? わたくしだって、見境なくお断りしているわけではありませんわ。今回は特に面倒な条件が設定されていなかったので、お引き受けしただけですわ」
当然ながら、話題はここ数日でもっとも鮮度の高いものになる。つまりは例の『ランク分け制度』の件であり、『特別戦技教導官』の話だ。異世界方面軍の知名度が上がった昨今、戦技教導官の件は探索者達の話題に上ることも多い。一体どういうポジションなのか、その詳細までは発表されていないからだ。
「はえー……ってことはさ、お願いしたら私らも鍛えてもらえたりする?」
弟子である
しかしウーヴェもまた、他人に興味を抱く方の人間ではない。なんだかんだで押しに弱い部分はあるが、レベッカ達もまたある意味例外だ。ウーヴェに弟子入りを志願したところで、基本的には無視されるだろう。加えて、現代の探索者は武器を使用する者が殆どだ。
となれば、やはりアーデルハイトの方が教導役に適している。最も使用者が多いであろう刀剣類はアーデルハイトが。槍や短剣といったその他の武器は、万能メイドのクリスが。道具関連の使い方に関しては、オルガンの右に出るものはいないだろう。ウーヴェもまた、半分異世界方面軍のメンバーと言える立場に堕ちている。つまり異世界方面軍は戦いに関して、ほぼ全ての技術を網羅しているということだ。
今回アーデルハイトが戦技教導官という怪しい役職に就いた事は、
「手取り足取りつきっきりで、というわけには参りませんけれど、お望みなら構いませんわよ。丁度ダンジョンも近くにあることですし」
「ホント? やったー!」
アーデルハイトにとって、
「わたくし達は元より、ダンジョンに潜るつもりで来ていますけれど、貴女方は大丈夫ですの? 折角の旅行だったのではなくて?」
羽を伸ばす為に来ている旅行で、殆ど仕事と同義であるダンジョン探索に赴く。それでは本末転倒なのではと、アーデルハイトは二人を気遣った。だが悲しいかな、
「あ、それは大丈夫だよ。私も
「秘密特訓じゃないけど、二人で腕試しするつもりだったんだよ! 私はA級だったし、
「ねー!」
A級認定を受けた
「では、今後の予定に二人を加えておきますね」
「お願いしまーす」
こうして、異世界方面軍の出雲遠征に愉快な仲間が加わった。
「そうそう。詳しいことはミギーに調べてもらってからになりますけど────」
しかし、
「────恐らく、最深部までは行きますわ」
「えっ」
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