第289話 ありがたやー

 偶然の再会を経て、結局一度部屋へと戻ったアーデルハイト達。部屋に荷物を置いたくるる達と合流し、再び大浴場へと向かう。高級旅館ということもあってか、少数精鋭というわけではないが、そもそもの客室数が少なめの旅館だ。所謂『隠れ宿』に近いだろうか。故に大浴場といっても、それほど大きな規模ではない。むしろ大きめの家族風呂、といった表現が近いだろうか。加えて時間が遅い所為もあってか、浴場は彼女らの貸し切り状態であった。


 公爵家の令嬢ともなれば、着替えすら侍女が行うのが当たり前だ。しかしそこは流石の異端者。公爵令嬢、剣聖、騎士団長などなど、属性てんこもりのアーデルハイトは、そこらの貴族子女とはわけが違う。自分のことは基本的に自分で行うし、着替え程度でクリスの手を煩わせたりはしない。メイドにとっては着替えの手伝いも立派な仕事なので、煩わせるという表現は少々語弊があるかもしれないが。


 常から公言しているように、アーデルハイトは自らの身体に誇りを持っている。スタイル維持の努力も怠ってはいないし────そもそも太らない体質であることに加え、栄養の大部分は一部に偏るのだが────、公爵家の令嬢として、常に堂々とするよう教えられてきた。故に、着替え程度で恥ずかしがるようなことはない。同性に肌を見られたところで、特段何を感じることもない。もしこれがそこらの貴族令嬢であれば、不敬だなんだと、色々面倒なことになっていたのかもしれない。


 手早く浴衣を脱ぎ捨て、綺麗に畳んで脱衣カゴへとしまうアーデルハイト。流石というべきか、衣擦れの音が聞こえる隙もない、ほとんど一瞬の出来事であった。隣で着替えていたくるる茉日まひるなどは、目をまんまるにしてアーデルハイトの肢体を眺めている。


「な、なんですの……? そんなに見つめられると、流石のわたくしも少々居心地が悪くってよ?」


「デッッッッッッッ!!」


 くるる茉日まひるはそう叫び、二人揃って脱衣所の柱をバシバシと叩いていた。いつぞやのみぎわもそうであったが、アーデルハイトの裸体を見た者は、大抵同じリアクションをする。優美としか言いようのない肌と、主張の激しい一部に目を奪われ、そして語彙をも奪われるのだ。アーデルハイトの美しい肢体に、得も言われぬありがたみを感じたくるる達。二人はアーデルハイトに向かって手を合わせ、遂には拝み始めてしまった。


「ありがたやー……」


「ごちそうさまでした……」


 そんな馬鹿げたやり取りをしているうちに、クリスがさっさと浴場へと移動してしまう。いつの間にか着替えを済ませていた彼女の足取りは、見るからに軽かった。一行の中で一番温泉を楽しみにしていたのは、アーデルハイトではなくクリスだったのかもしれない。クリスに先を越されたアーデルハイトが、急いでその後を追う。ぺたぺたという可愛らしい足音とは対照的に、双丘はばいんばいんと暴れまわっていた。


 アーデルハイトがこちらの世界に来てから、もう何度めかになる温泉だ。すっかり作法にも慣れた彼女は、勝手知ったるといった様子で髪を洗い始める。次いで身体を隅々まで洗い、湯船へと突撃していった。なおクリスはといえば、ガラス戸の向こうにある露天風呂で、既にのんびりと湯を堪能していた。




      * * *




「クリス、クリス! あちらにカフェコーナーがありましたわ!」


「いいですね、是非行ってみましょう」


 ゆっくりと温泉を堪能した一行は、脱衣所を出てすぐのところに併設されていたカフェコーナーへと向かう。シックで落ち着きのある空間は、お湯で火照った身体を冷ますのに丁度よかった。


「クリス! ウインナーコーヒーですってよ!? わたくしはこれにしますわ!」


「残念ながら、お嬢様が想像しているようなものは出てきませんよ」


 クリスの忠告にも耳を貸さず、アーデルハイトは言葉の響きだけでウインナーコーヒーを注文する。クリスはアイスコーヒーを、そしてくるる茉日まひるの二人は、共にカフェラテを注文していた。


 なおウインナーコーヒーとは、オーストリア発祥の飲み方のひとつでしかない。勿論、ウインナーが突き刺さったりもしていない。『ウインナー』とは『ウィーンの』といった程度の意味合いであり、コーヒーの上にホイップクリームを乗せたものを主に言う。当然、アーデルハイトの家名とも特に関係はない筈だ。だがエルフが無意識に樹木へと興味を惹かれるように、彼女にもまた何かしら、惹かれるものがあったのかもしれない。


「庶民派の私としては、コーヒー牛乳がよかったんだけどねー」


「チョイスした旅館がオシャンティ過ぎて、逆にコーヒー牛乳は無かったね……」


「まぁ、カフェラテも似たようなもんだし?」


 風呂上がりの定番とも呼べるコーヒー牛乳が無かったことに、少し残念そうな表情を見せる二人。とはいえ、ここは銭湯ではなく高級旅館だ。コーヒー牛乳がないのも致し方ないだろう。そうして四人は世間話をしながら、火照った身体を冷ましてゆく。


「いやー! それにしても、アーちゃんが戦技教導官とはねー! てっきりそういうのは断るのかと思ってたけど、よく引き受けたね?」


「貴女、わたくしを何だと思っておりますの? わたくしだって、見境なくお断りしているわけではありませんわ。今回は特に面倒な条件が設定されていなかったので、お引き受けしただけですわ」


 当然ながら、話題はここ数日でもっとも鮮度の高いものになる。つまりは例の『ランク分け制度』の件であり、『特別戦技教導官』の話だ。異世界方面軍の知名度が上がった昨今、戦技教導官の件は探索者達の話題に上ることも多い。一体どういうポジションなのか、その詳細までは発表されていないからだ。


「はえー……ってことはさ、お願いしたら私らも鍛えてもらえたりする?」


 弟子である月姫かぐやは例外中の例外として、アーデルハイトから指導を受ける機会など、これまでは皆無であった。レベッカやエドワードといった世界的に有名な者達ですら、あっさりと袖にされたのだから。不幸中の幸いというべきか、彼らは別の六聖に弟子入りすることとなったのだが。


 しかしウーヴェもまた、他人に興味を抱く方の人間ではない。なんだかんだで押しに弱い部分はあるが、レベッカ達もまたある意味例外だ。ウーヴェに弟子入りを志願したところで、基本的には無視されるだろう。加えて、現代の探索者は武器を使用する者が殆どだ。紫月しずく莉々愛りりあといった例外もいるが、やはり剣や槍といった近接武器使用者が大半を占めている。


 となれば、やはりアーデルハイトの方が教導役に適している。最も使用者が多いであろう刀剣類はアーデルハイトが。槍や短剣といったその他の武器は、万能メイドのクリスが。道具関連の使い方に関しては、オルガンの右に出るものはいないだろう。ウーヴェもまた、半分異世界方面軍のメンバーと言える立場に堕ちている。つまり異世界方面軍は戦いに関して、ほぼ全ての技術を網羅しているということだ。


 今回アーデルハイトが戦技教導官という怪しい役職に就いた事は、くるる達にとっては大きなチャンスだといえるだろう。頼んだからといって毎回引き受けてくれるとは限らないが、少なくとも間口は広がっている筈だ。


「手取り足取りつきっきりで、というわけには参りませんけれど、お望みなら構いませんわよ。丁度ダンジョンも近くにあることですし」


「ホント? やったー!」


 アーデルハイトにとって、くるる茉日まひるは知らぬ中ではない。彼女らの実力が上がれば、封印石の捜索も進むことだろう。特に断る理由のなかったアーデルハイトは、くるるの頼みを快諾する。


「わたくし達は元より、ダンジョンに潜るつもりで来ていますけれど、貴女方は大丈夫ですの? 折角の旅行だったのではなくて?」


 羽を伸ばす為に来ている旅行で、殆ど仕事と同義であるダンジョン探索に赴く。それでは本末転倒なのではと、アーデルハイトは二人を気遣った。だが悲しいかな、くるる茉日まひるもまた、『探索者』という生き物なのだ。そこに未体験のダンジョンがあれば、試してみずにはいられないらしい。


「あ、それは大丈夫だよ。私もくるるちゃんも、ダンジョンには顔を出すつもりで来てたから」


「秘密特訓じゃないけど、二人で腕試しするつもりだったんだよ! 私はA級だったし、茉日まひるちゃんもC級だったから。今はめっちゃモチベーション高いんだよね!」


「ねー!」


 A級認定を受けたくるるは勿論、茉日まひるのC級認定も十分に上澄みだ。協会から正式な発表があったわけではないが、世間的にはC級が一人前のラインと言われていた。以前から名が知られており、名実ともに力があると認められていた探索者達が、軒並みC級認定を受けていたからだ。探索者全体で言えば、C級以上は三割程度といったところ。二人のモチベーションが充実しているのも、然もありなんだ。


「では、今後の予定に二人を加えておきますね」


「お願いしまーす」


 こうして、異世界方面軍の出雲遠征に愉快な仲間が加わった。


「そうそう。詳しいことはミギーに調べてもらってからになりますけど────」


 しかし、くるる茉日まひるはまだ知らない。今回の行軍が、所謂『クリ目』であることを。あるかどうかもわからない、怪しい『神のご加護』とやらを探す旅だということを。


「────恐らく、最深部までは行きますわ」


「えっ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る