第82話 もう帰りたいですね

「貴方、こんなところで何をしていますの?」


 アーデルハイトはウーヴェのことを詳しく知っているわけではない。だた、以前に会った時のイメージだけならば、率直に言って真面目に勤労するようなタイプには見えなかったのだ。

 彼女からみた拳聖・ウーヴェとは、己を鍛えること以外の全てを捨てた武に於ける求道者、或いは何も考えていない脳筋のゴリラ。関わると面倒なイカれた男。そんなところであった。出会いが出会いだっただけに無理もないが、散々な評価である。

 そんな彼が真面目(?)に働いているというのだから、アーデルハイトの疑問は然もありなん。一片とはいえ過去のウーヴェを知っているだけに、聞かずには居れなかった。


「見ての通り、仕事をしている」


 そんな疑問への返答は至ってシンプルなものだった。ぶっきらぼうな彼らしいといえば彼らしいが、しかしアーデルハイトが聞いているのはそういう事ではない。今に至るまでの経緯を聞いているのだ。以前に目撃した時は見ないふりをしたアーデルハイト達であったが、こうなった以上はやはり気になるというもの。


「お馬鹿。そんなことは分かっていますわよ。何故貴方がこの世界に居て、ここで働くことになったのか、それを聞いていますの!」


「それに関しては俺からも色々と聞きたい事があるが……まぁいいだろう」


 むっつりとした表情でウーヴェはそう言うと、これまでの経緯を話し始めた。彼の後ろでは上司と思しき店員が睨んでいたが、共に居るのがかの有名な『魅せる者アトラクティヴ』ということもあってか、下手に声をかけられないでいるらしい。客が多ければその限りではないのだろうが、客入りの疎らな今は大目に見てくれるようである。




 * * *




 そうして彼が語ったのはアーデルハイトと戦った後の事。

 再度アーデルハイトに挑む為、己を鍛え直そうと彼は各地を転々としていた。ゆく先々で魔物を蹴散らしては、周囲の村人から感謝され。魔物の討伐をしているどこぞの兵士達を見かけては、横入りして感謝されてみたり。要するに、アーデルハイトと出会うまでの彼となんら変わりがないということだ。


 というのも、彼は自分に足りないものが何なのか、その正体が分からなかったからだという。ウーヴェは技術でアーデルハイトに劣っているとは思わなかった。事実、彼はアーデルハイトの不可視の剣閃を幾度も潜り、彼女に傷を負わせることに成功している。


 戦闘経験で言えば自分のほうが勝っていると思っていた。アーデルハイトは基本的に帝国の、エスターライヒ領内から出ることは無い。無論国や王家からの要請があれば遠征に出ることもあるが、そうでない場合は公爵家所属の騎士団を指揮していることが殆どだ。戦いの質そのものに関してはなんともいえないが、少なくとも戦闘回数だけならば、各地で魔物を討伐して回っている自分の方が上だとウーヴェは考えていた。


 その上彼には『劫眼』がある。アーデルハイトも尋常ならざる才の持ち主ではあるが、こと戦闘に関する才能のみであればウーヴェも引けを取らない。互いに努力を怠るタイプではなく、自らを高めることに余念がない。つまり、素質という面でも互角の筈だったのだ。


 技術でも、経験でも、才能でも劣っていない。しかしそれでもウーヴェは負けた。それも完膚なきまでに。手傷を負わせることには成功したものの、アーデルハイトが止めなければウーヴェの首は飛んでいたのだ。これを負けと言わずして何と言おうか。


 実力が劣っていないにも関わらず、負けた理由が分からない。それは彼にとって初めての経験であった。ウーヴェはそれまで、負けたことが無いわけではなかった。

 ある程度の実力が備わってからは負けた記憶などないが、それでもやはり鍛え始めた当初は魔物に敗北したこともあった。空腹に負けたこともある。竜巻に飛び込んで吹き飛ばされたこともあれば、増水した川に飛び込んで死にかけたこともあった。だが、それらの敗北は理由が明らかだったのだ。


 しかし彼は、人間にだけは負けたことがなかった。故に彼は混乱し、アーデルハイトに敗北してからはただこれまで通りに、がむしゃらに鍛えることしか出来なかったのだ。


 そんな状況で聖女に補足され、強くなるアテのなかった彼は深く考えずに聖女の口車に乗り、そうしてこちらの世界にやってきた。今までと全く異なる新しい環境というのは、人であれば誰もが多かれ少なかれストレスを感じるものである。当然ながら、こちらの世界は彼にとっても初めての環境だ。アーデルハイトがそうであったように、この地に降り立ったその瞬間はウーヴェも困惑したという。だが、それだけだった。


 元より世界を転々と旅していたウーヴェにとって、新しい環境というのは別に珍しい事ではなかったのだ。帝国から王国へ、王国から聖国へ。連合国方面に足を運ぶこともあれば、魔物を求めて、人など住み着かない山奥へ向かったこともある。そんな彼にとっては、こちらの世界もまたその延長線上でしかなかった。むしろ言語だけは通じる分、こちらの方が与し易いとさえ思っていた。


 彼は職務質問を受ける最中、そのようなことを考えていたのだとか。過酷な世界だと聖女から聞かされていたウーヴェは、密かに肩を落としたのだそうだ。


 しかしその後、彼は思い知ることになった。聖女の言う過酷さを。


 ウーヴェは後から知ったことだが、彼を問い詰めていたのはあちらの世界で言う衛兵であったらしい。そうとは知らずに無視を続けていた彼は交番に連行され、色々と取り調べを受けたのだとか。しかし、その身一つでこちらの世界にやってきたウーヴェは何も所持していなかった。危険物などを所持しているわけではなく、だが身分を証明する物もない。無視を続けていたお陰で言葉が通じないと思われ、唯一話した言葉は『宿屋はどこだ』だけである。当然、何時まで経っても開放されることはなかった。


 そんな長時間の取り調べに、段々と面倒になってきたウーヴェは秘策に出たらしい。つまりは眼にも止まらぬ早さでの一撃である。顎を軽く小突かれた警官さとうは一瞬で意識を失い、ウーヴェはその隙に脱出した。恐らくはウーヴェに関する記憶も失っていることだろう。お手本のような脳筋ぶりである。


 彼が漸く交番を出た時、すっかり明け方となっていた。

 一先ずは腹ごしらえをしようとして、ポケットを漁ったところで彼は気づいた。自分が金を持っていないことに。仮に持っていたところで、あちらの世界の金が使える筈もないのだが。仕方がないので、いつものようにそこらで獣でも狩って食おうか、と考えたところで彼は再び気づいてしまった。誰がどう見ても、周囲に獣などは居ないということに。


 あちらの世界であれば、街から一歩外に出れば適当な森等があった。そこで猪なりを狩れば腹は満たすことが出来たのだ。だが周囲を見渡してみても、いくら歩いてみても、一向に街の終わりは見えなかった。世界を旅したウーヴェといえど、これほど巨大な都市は見たことがなかった。空気は悪いし、騒音がひどい。子鬼共の巣でさえここまで騒がしくはないだろうに。ここに来て漸く、彼は異世界に来たのだと実感した。


 金は無く、狩りも出来ず、どれが宿かも分からず。

 そうして空腹に倒れたところで、心優しい一人の女性に救われた。それこそがこのDekee’sデケェッスのオーナーであり、現在のウーヴェの保護者である。彼女の好意によって、現在は店の倉庫を間借りして暮らしているのだとか。凄まじい薄給ながらも三食寝床付きということで、彼は現状にそこそこ満足しているのだとか。なんだかどこかで聞いたような話である。


 ちなみにウーヴェも知らないことだが、オーナーがウーヴェを拾ったのには理由があった。単純に顔が好みだったからである。黙ってじっとしていれば多少無愛想ではあるものの、ミステリアスな童顔美少年と言えなくもないウーヴェだ。彼が実力以外で道を切り拓いたのは、これが初めてだった。




 * * *




「以上だ」


 簡潔な一言と共に、ウーヴェが話を切り上げる。彼が語っていたのは時間にすればほんの五分かそこらであったが、内容がそこそこ濃いだけに、アーデルハイト達は思いの外疲れてしまっていた。


「……わたくしもクリスと再会していなければ、もしかするとこうなっていたのかしら?」


「本質的にはお嬢様も脳筋の部類ですからね。私に感謝してもいいんですよ?」


「してますわよ?」


「!!……ふふふ」


 そんなウーヴェに対して、もしかしたらあり得たかも知れない自らの姿を重ね、戦慄するかのように身体を震わせるアーデルハイト。仮にクリスと出会えなくともなんだかんだでどうにかしていただろうが、それでもやはり難易度は大きく違っただろう。普段はそれを感じさせなくとも、アーデルハイトは己の従者にいつも感謝している。いままでも、そしてきっとこれからも。


ファミレスこんなとこでイチャイチャすんなー!」


 突如としておかしな雰囲気を醸し出し始めた主従へと、みぎわが大声でツッコんだ。確かにウーヴェの話は興味深いものではあったが、しかし今はそんな話をしている場合ではないのだ。


 現在の状況は非常に混沌としている。目の前には世界的に名の知られた探索者チームの『魅せる者アトラクティヴ』。隣には剣聖・アーデルハイト。そして新たに現れた拳聖・ウーヴェ。脳筋は惹かれ合うとでもいうのだろうか。まるで世界中の実力者を一箇所に集めたかのような、酷く恐ろしいファミレスと化していた。


 そんなカオスな空間の中で、空気を読まずにウーヴェが声を上げる。彼にしてみれば、死んだか、或いは行方不明だとされていたアーデルハイトがここに居る理由が分からないのだ。自らがここにいる経緯いきさつを考えれば概ねの予想はつくが、一応の確認はしておきたかった。再びアーデルハイトと戦えることが分かった以上、どうでもいいといえばどうでもよかったが。


「剣聖、俺からも聞きたいことが───」


 しかしその言葉は最後まで続かない。もう一人の脳筋が口を挟んだからだ。


「ヘイヘイヘイ!そっちの兄ちゃんの話は興味深いんだけどよ、そろそろアタシらにも紹介してくんねェか?聞いた感じ、姫さん達の知り合いなんだろ?分かるぜ、アンタ相当強えだろ?」


「む……誰だ貴様は」


「へへ、アタシは───」


 相手が強者と見るやいなや、機嫌が良さそうに笑みを浮かべるレベッカ。そんな彼女が自己紹介をしようとした、まさにその時だった。ウーヴェの背後から現れた何者かが、ウーヴェの頭を脇に挟んでがっちりとロックした。一見すると可愛らしい顔立ちの大人しそうな女性だが、現在は額に青筋を浮かべ、まるで般若のような形相をしていた。


「お客様、でしょォォォ!?」


「……やめろオーナー、当たっている」


「申し訳御座いませんでした!!厳しく指導しておきますので!!ホラ!宇部くんはこっちに来なさい!!」


「……いや、まだ話が───」


 そんなウーヴェの声は聞き入れられず、オーナーと呼ばれた女性にヘッドロックを極められたまま、ウーヴェはずりずりと店の奥へ連れされられていった。


「行っちまったなァ……まぁ仕方ねェ。そのうちまた会えンだろ」


 少し残念そうに、しかし不敵な笑みを浮かべたまま、嵐のように過ぎ去っていったウーヴェとオーナーを見送るレベッカ。獣じみた鋭い感覚か、或いは脳筋としての勘だろうか。彼女は再びウーヴェと会えることを疑っていない様子であった。


「ボタンを押せばまた来るのではなくって?」


「そういやそうだな……まぁ今はいいや。それより話の続きといこうぜお姫様。あー、なんだったか……そう、アンタの強さについてだ」


「というかまだ注文していませんわ。えいえいっ」


 何事も無かったかのように話を再開させようとするレベッカ。そんなことよりも注文が先だと、呼び出しボタンを連打するアーデルハイト。見ればレナードはすっかりレベッカの手綱を手放し、御することを諦めたのか窓の外を遠い目で見つめていた。ウィリアムは腕を組んだまま目を閉じ黙したままである。突然の闖入者ウーヴェの所為もあってか、もはやなんの為の集まりだったかもよく分からない、そんな状況だった。


「何なんスかこの状況……」


「同感です。もう帰りたいですね」


クリスとみぎわの呆れたような声だけが、テーブルの上を彷徨っていた。

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