第45話 真打ち

「ぐッ─────キッツいわボケェ!!」


 もう何度目になるか分からない凶刃を受け止め、どうにか側方に弾き返しつつ地面に転がるスズカ。ダンジョン内の荒れた道で泥まみれになりながらも、携えた長柄の戦斧を離す事無くどうにか死神リーパーの攻撃を凌いでいる。

 とはいえ、当然ながら無傷ではなかった。彼女の体は既に切傷だらけで、頬や腕など目に見える部分から血を流している。未だ致命傷に至るほどの大きなダメージを負っていないのは、偏に彼女の実力とレベルの高さ故である。

 死神リーパーと遭遇する直前まで体力回復に務めていたのも功を奏した。もしもあそこで休んでいなければ、今頃は腕の一本や二本は失っていたかもしれない。


 霊体型などと言われておきながら、手にした大鎌だけは物理的な干渉を受け付ける。そのくせ、こちらからの攻撃はその一切が無効。そんな巫山戯た存在である死神リーパーだが、しかしどういう訳かこの敵は階層間を移動することが出来ないのだ。物理的に干渉することが出来ず、故に倒すことが出来ないとされる死神リーパーへの対処法はたった一つ。それこそが今、魔女と水精ルサールカの四人が必死に試みている別の階層への撤退であった。


 もう何年もダンジョンに潜り続けている彼女達は、回数こそ多くはないものの、これまでにも何度か死神リーパーに遭遇したことがある。しかしこれまでは難なくやり過ごせていたのだ。入り口近くで遭遇した場合はそのまま直前の階層へ戻ればよかったし、逆に階層の奥地で遭遇した場合は前に進むことで逃げおおせる。対処法さえ判っていれば、ある程度の実力を持ったパーティならば死神リーパーを撒くのはそう難しいことではないのだ。


 しかし今回は状況が悪かった。

 死神リーパーが現れたのは京都ダンジョン25階層の最深部、階層主部屋の直前だ。そう、彼女達が今まで突破できずに躓いていた25階層の最奥である。これまでならば奥地で遭遇した場合は前進を選ぶのだが、今回は前へ進んでやり過ごす事が出来なかった。そこから先へと進むことが出来ず攻略が停滞していたのだから当然だ。階層主を倒して先に進めるのならばとうの昔にやっている。そうでなくとも、階層主と死神リーパーを同時に相手取るなどという状況は考えたくもない。


 故に彼女達は入り口まで撤退するしかなかったのだが、それもまた困難だった。20階層を越えてから、ダンジョン内に出現する魔物の強さがワンランク上がっているからだ。それまではゴブリンやコボルト等、ダンジョン内では場所を問わず目にする弱い魔物達が主であったが、20階層以降は知能と敏捷性が低い代わりに力と耐久力に優れた豚人オークや、装甲蟻アーマーアントのような耐久全振りの魔物も現れる。


 それらの魔物は如何に魔女と水精ルサールカの面々であろうともそう簡単に突破することが出来ず、負けはせずとも討伐に多少の時間がかかってしまう。普段の探索中であれば大した問題ではないが、嫌がらせ要素を煮詰めて形にしたような魔物が後方から追いかけてきているとなれば話は別だった。むしろ、オークや装甲蟻のような耐久に優れた敵は今の状況に於いては最悪の部類ですらある。

 不運なのか、それともダンジョンの悪戯なのか。そんな様々な悪条件が重なった結果、魔女と水精ルサールカの四人は今危機に陥っている。これほどの危機は過去の探索人生の中でも経験が無く、今の状況は彼女達にとって間違いなく最大の試練であった。


「痛ッ───てぇなこのクソ豚コラァ!!」


「はぁ……はぁ……くっそ……硬いなぁもう!!」


「っ……くるる、一旦下がって」


 階層入り口へと駆ける魔女と水精ルサールカ。突破口を開く為に前方を任された三人もまた必死に戦っていた。最前列を担うクオリアはスズカ同様に小さな傷だらけであり、余裕の無さ故か口調も素に戻っている。そんなクオリアの隙を埋めるように駆け回っているくるるは、目立った怪我はないものの体力の消耗が激しかった。息は切れ、軽かった脚も徐々に鈍り始めている。


 二人の援護をしている紫月しずくはもともと体力が多い方ではない。それに加え、主な戦術が狙撃ということもあってか集中力の低下が著しい。誤射などしては笑い話にもならないため射撃毎のインターバルが徐々に増え始め、結果として殲滅速度は低下の一途を辿っている。


 何よりも、殿を担うスズカの消耗が激しかった。口はなんだかんだと動いてはいるものの、脚はもうほとんど動いていない。加えて、彼女が手にする戦斧は振るうだけでも体力を大きく消耗する威力重視の武器であるが故に、腕の方もそろそろ限界が近くなってきていた。


 しかしそれでも、彼女達は少しずつ道を切り開いていった。明らかに限界が迫っているにも関わらず、諦めること無く自分達に出来る最善を尽くすその姿は流石トップ探索者といったところだろうか。

 彼女達は誰も今の状況を悲観していなかった。確かに最大のピンチであるのは間違いないが、これまでにも死線は何度も潜っている。諦めて喚き散らしたところで状況は何も変わらないことを彼女達はよく知っているのだ。限界は近いが、奮戦の甲斐あって目的の入り口まで後少しというところまでは来ている。ここが踏ん張りどころであると全員が理解していた。


 視聴者達の存在も大きかった。

 常に視界の隅に表示されている、滝のごとく流れるコメントの数々。そのどれもが彼女達を必死に応援する声であり、それを目にする度に体力が回復するような気がした。無論そんな筈はないのだが、彼女達ダンジョン配信者にとってはリスナーの応援こそが最大の力だった。

 既に作戦など有って無いようなものだった。ただ目の前に立ち塞がる魔物達を、気合と根性のみで突破してゆく。


 どれほどの時間が経っただろうか。

 満身創痍となった魔女と水精ルサールカの眼前、距離にしておよそ100m程先だろうか。目指していた階層入り口が漸く肉眼で確認出来た。階層の入り口付近は基本的に広くなっており、一気に視界が開ける。


「見えた!!」


 まだ消えていない魔物の死体の上に飛び乗り、くるるが叫ぶ。ゴールが見えたのと同時、彼女の視界には処理が追いつかずに溜まり始めた大量の魔物達の姿も写っていた。殲滅が追いつかずに戦闘時間が間延びしてしまったことで、戦闘音を聞きつけた魔物達が周囲から集まってきたのだろう。どう見ても今の彼女達の手には余る数だった。しかし先の見えなかったこれまでとは違って、今は終わりが見えていた。


「リア!あとちょっと踏ん張れ!!」


「うぉらァァァァァ!!」


 クオリアが盾を構えて吶喊する。何時止まるか分からない脚を必死に前へ動かし、長身を活かして装甲蟻を上から叩き潰す。クオリアが開けた穴をくるるが駆ける。瀕死の魔物を無視し、その奥で待つ新手の魔物を削ってゆく。倒すことは出来なくとも、第一に動きを鈍らせるのが彼女の役目だ。

 脚を削り、視界を奪い、腕と武器を奪う。得られた成果は斬りつけた魔物によってそれぞれ違ったが、くるるが駆け抜けた後に残されるのは何かしら一つ以上の機能を奪われた魔物達。如何に鈍感で耐久に優れている豚人や装甲蟻といえども、身体機能の一部を奪われれば当然動きは鈍る。


「いッ─────痛ったああああああい!!」


 限界を越えた脚が悲鳴を上げる。うまく着地出来ずに転がる。そんなくるるの元へと魔物が迫るが、しかし動きの鈍った魔物を見逃すほど紫月しずくは呆けていなかった。


「舐めるな」


 誰に言うでもなく静かに呟いたのは怒り。

 仲間を葬らんとする魔物達に対するものか、それとも未だ健在である自分を無視したことに対するものなのか。普段は感情を表に出さない紫月しずくだが、今ばかりは犬歯を露わにして柳眉を逆立てている。


 銃器は魔物に対して効果が薄いというのがこの世界の常識だが、魔物の極々小さな弱点をピンポイントで狙うことが出来るのならば話は別だ。小銃では着弾がブレるためにどうしても運が絡むが、狙撃銃であればそれを可能にする。勿論それはただの理論値の話で、動く相手の口内や眼球を狙って命中させることなど狙って出来ることではない。しかしそれこそが、効果が薄いと言われている狙撃銃を紫月しずくが愛用している理由だった。


 彼女は他の者に比べて集中の深さが異常だった。加えて眼もよく、天性の勘も持っていた。普通の人間には不可能とされる理論値。机上の空論でしかなかったはずのそれを、紫月しずくはやってのけるのだ。ましてや相手はくるるがダメージを与えた手負いの魔物。その鈍った動きは紫月しずくにとって、もはや止まっているのと同義だった。


 一発、二発と立て続けに響く射撃音。大型の狙撃銃であるが故にその反動も当然凄まじいものとなる。鍛え上げた軍人ですら持て余しかねない、小柄な紫月しずくに受け止められるはずもないそれは、しかし探索者としての優れた身体能力が受け止めてくれる。クオリアの援護を受けながら放たれた銃弾は、狙い過たずに豚人の眼球や鼻孔を貫いてゆく。装甲蟻の脚関節を破壊し、腹部を繋ぐ脆い部分を破断する。殆ど神業のような精度で放たれた銃弾が次々に魔物を葬ってゆく。


 ここで全ての銃弾を使い果たす事に決めた紫月しずくはすぐさまマガジンを交換し、そのまま惜しむこと無く射撃を続けた。そうしている間にもくるるが復帰し、射線に被らないようにしながらも敵を削り続けてゆく。裂帛の気合で紫月しずくを守るクオリアを前に、魔物達はほとんど動けずにいた。そうして脚を止めた魔物から撃ち抜かれて死んでゆく。

 そうして戦うこと数分、固定砲台と化した紫月しずくの活躍もあってか、彼女達の前には一筋の道が出来ていた。


「抜けた!!」


「っしゃぁ!!これで最後だ!走るぞ!!」


「うぐっ……」


 集中力を使い果たしてぐったりとしていた紫月しずくをクオリアが担ぐ。肩ではなく小脇に抱えるという雑な抱え方であったが、これは魔女と水精ルサールカのダンジョン探索では度々見られる光景だった。今のように戦闘で体力を使い果たした紫月しずくを運ぶ際や、体力の少ない紫月しずくを温存するために行う移動法。一種のタンクデサントのようなものである。


「スズカ!!前空いた!そいつ振り切っ─────え?」


 クオリアと紫月しずくを先に進ませ、くるるが振り向いて大声でスズカを呼んだ時だった。彼女の眼に目に映っていたのは、脚を完全に止め、戦斧を取り落とし、右腕をだらりと下げ、それを左手で抑えるスズカの姿だった。

 前方で三人が道を切り開くために奮戦していたのと同様、スズカもまた後方で死闘を繰り広げていた。否、攻撃が通じず一方的に受けることしか出来ないのだから、死闘などと呼べるような戦いではなかったかも知れない。


「アカンわ。もう足全然動けへん」


 致命傷はまだ負っていないように見える。右腕から出血しているのを見るに一撃を受けたのは間違いないだろうが、死神リーパーからの攻撃をこれほどの長時間受け続けておきながら、未だにその程度の怪我しか負っていない事は驚嘆に値する。しかし、反撃することなく敵の攻撃をひたすら受け続けるというのは余りにも大きな負担だった。仲間達が道を開くまで耐えるという目的こそどうにか達成したものの、ついにスズカの限界がやって来た。


「ええから行き」


「な……バカ言わないで!そんなこと出来るわけ────」


「アホぅ。さっさとしぃや、もうあんま時間ないで」


 振り返ること無くそう告げるスズカの声に、くるるは喉を詰まらせる。今の消耗しきったくるるが助けにいったところで出来ることなど何もないだろう。体力の尽きたくるるにスズカを抱えて走ることなど出来るはずもなく、死ぬのが一人から二人に変わるだけだ。

 しかし頭では理解していても、はいそうですかと背を向けることなど彼女には出来なかった。そうしてくるるがスズカの元へと走ろうとした時、死神の鎌が振り上げられる。スズカは瞳を閉じ、背中越しにひらひらと手を振って見せる。

 そこからはあっという間だった。死神リーパーが獲物で遊ぶはずもない。何の躊躇もなく振り下ろされた大鎌が、スズカの首を捉えようとしていた。


 スローモーションで流れるくるるの視界で、しかしスズカの首が宙を舞うことは無かった。


 辺りに鳴り響くのは『こぉん』というどこか間抜けな金属音。振り下ろされた大鎌とスズカの間には一体いつの間に現れたのか、一本の鉄パイプが突き刺さっていた。ベコベコに凹み歪んだそれは、おまけのようにバルブと大量の血痕付きである。

 そんなどこかホラー地味た鉄パイプに続き、入り口の方から鈴を転がすような声が聞こえた。


「真打ちは─────」


 くるるが振り返る。眼前の死神リーパーを無視し、スズカもまた振り返っていた。どうやら魔物を飛び越えて来たのだろう。声の出処は魔物達の頭上からだった。


「遅れて登場するのがメキシコ式ですわー!!」


 華美でありながらも気高く、まるで彼女の高潔さが形となったかのような純白に身を包み。手には燃え盛る炎のように紅い刀身を持った細身の長剣を携えて。

 謎の一言と共に、アーデルハイトがスズカの目の前へと降り立っていた。


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