第46話 起きなさい!
見慣れぬ装いで現れたアーデルハイトの背を見て、スズカは大きく息を吐き出していた。当然ながら死神は未だ健在で、何かを窺うようにこちらをじっと───瞳がある訳では無いが───見つめている。
「ふぅー……助かったわ姫さん。ギリッギリやけど、でもナイスタイミングや」
実は視聴者達から度々アーデルハイトの到着目安が書き込まれていたのだが、死神と遭遇してからコメント欄を見る余裕などまるで無かったスズカだ。否、スズカに限らず
それでもなお凌ぎ切ることが出来なかった。故にスズカは道を切り開いている三人に追いつくよりも、彼女達から死神を離す事に専念した。正直に言えばスズカは少し前の時点で既に自らの生還を諦めていたのだ。彼女が今、
死神の鎌が自らの首を捉えた時も自然と受け入れられた。死が目前に迫っていても思いの外怖くは無かったし、何よりも自分の役割を果たせたことが誇らしかった。
助けて欲しいと願った訳では無い。彼女の登場を待っていた訳では無い。それでもスズカからすれば、アーデルハイトは待ちに待った真打ちそのものだった。
如何にアーデルハイトであろうとも分が悪い相手なのは間違いない。状況が好転したとは言いづらいが、しかしそれでも生還の目は残ったのだ。
「ふふ、そうでしょう?わたくしもこれがベストなタイミングだと思いましたわ!」
豊満な体を揺らし、肩越しに振り向いてドヤ顔で胸を張るアーデルハイト。この絶望的な状況にはあまりもそぐわない態度だったが、しかし不思議と彼女にはとても似合っていた。そんなアーデルハイトの姿を見て、場違いにもスズカの脳裏には『美人は何をやっても画になるな』などという考えが浮かんでいた。
そこでふっと違和感を感じた。先の考えなど瞬時に何処かへと消え去り、スズカの胸中にはその違和感だけが残っていた。
「……?」
「……あら?如何しまして?」
「……いや、なんや気になる言い回しやなぁ
「なんですの?」
「うちの勘違いやったら悪いんやけど……もしかしてもっと前から
「2分前には到着していましたわ!!」
「ほぉ……」
スズカの問いかけに対して悪びれもなく、むしろ誇らしそうに元気よく返事をするアーデルハイト。彼女の言が事実だとすれば、前方の三人が最後の突破を図る直前あたりから既にこの場に居たことになる。
「わたくし、こちらの世界に来てから色々な事を学びましたわ。そして知ってしまいましたの。ピンチはよりピンチであるほど良い、と。というわけで入り口の陰に隠れて登場の機会を窺っていましたの。我ながら完璧なタイミングだったと自負しておりますわ!」
そう、実はアーデルハイトは少し前からこの場に居たのだ。撮れ高に取り憑かれたアーデルハイトは、より派手な登場を演出するためにこっそりと戦いの様子を窺っていた。そうして援護を急かす視聴者達を他所に、しっかりと装備換装シーンをお披露目してからこの場に現れたというわけだ。
その甲斐あってかアーデルハイトの変身シーンは彼女の想定通りに盛り上がったが、しかし必死に戦っていた
お前は
「くっ……まぁ今はええわ!悪いけど、うちもう足動かへんねん。取り敢えずうち抱えて跳べるか?一個前の階層まで逃げるで!」
「お断りですわ!」
「……は!?」
「折角の撮れ高チャンス、見逃すわけにはいきませんわ!」
「何を訳分からんこと言うてんねん!死んでしもたら撮れ高もへったくれもあれへんやろ!!あいつは倒せるような魔物ちゃうねん!」
スズカの言葉は尤もだった。ここまでひたすらに攻撃を凌ぎ続けてきたスズカだ、倒せるような相手であれば既に倒しているだろう。それが出来なかったのは偏に、物理的干渉を受け付けないという
確かにアーデルハイトの戦闘力は凄まじく、国内有数の実力者であるスズカをもってしてもまるで底が見えない。だが、攻撃を受け付けないというのはもはや実力云々の問題ではないのだ。スズカがそう力説しても、しかしアーデルハイトの答えが変わることはなかった。
「心配ご無用ですわ!スズカさんはそこで待っていて下さいまし。アレの相手はあちらの世界で何度もしたことがありますわ。わたくしの手にかかれば余裕も余裕、舐めてかかってお釣りが来ましてよ!」
「は!?今はそんなキャラ設定の────」
「あぁ、それと────」
そういってアーデルハイトが一歩だけ前に出た。美しくも猛々しい、まるで焔のような刀身を持つローエングリーフを軽く一振りし、眼前に佇む冥い影を睨みつける。
「アレは魔物ではありませんわ」
その瞬間、アーデルハイトの脚が爆ぜた。
否、爆ぜたのは脚ではなく地面だ。そう見紛う程の驚異的な脚力で大地を踏みしめ、アーデルハイトは弾かれたように飛び出した。その速度は圧倒的で、スズカの優れた眼を以てしても捉えることが出来ない程だった。アーデルハイトとしても軽く一当てした程度の攻撃だったのだろう。硬質な金属音を辺りに響かせながら、ローエングリーフと大鎌が交差した。
時間にすればほんの一秒にも満たない、そんな刹那のうちに
それは反応と言うと少し語弊があるかもしれない。
何しろ、死神の動きには一切の予備動作がなかった。通常、人間が身体を動かす際には必ず『予備動作』が存在する。それは呼吸に始まり、筋肉の細かな動きや目線の移動、緊張からくる身体の強張りや体重移動。それらの予備動作があって初めて身体は動く。それこそが正しい『反応』というものだ。
しかし死神にはそれらが一切無かった。大鎌を構えるような仕草もまるで見せず、僅かにすら身体が動いた様子は無かった。だというのに、気がついた時には既に防御姿勢をとっていた。動きが素早いなどということではない。その希薄な存在感故か、それとも肉体を持たない霊体であるが故か。少なくともスズカの眼にはアーデルハイトのそれと同様に、死神の動きもまた捉える事が出来なかった。
すっかり観戦者となったスズカは驚きを隠せないでいた。彼女が戦っていた先程までとは明らかに動きが違っていたからだ。スズカが戦っていたときはもう少し人間味のある動きをしていた筈だ。大鎌による攻撃には振り上げる予備動作があったし、スズカにもその動きが捉えることが出来ていた。故にここまで死神の攻撃を凌ぐ事が出来たのだから。
そしてスズカが驚いた理由がもう一つ。
今彼女が目にした光景は、はっきり言って異常だった。それはアーデルハイトの動きや速度等ではない。否、それも確かに異常ではあるのだが、ある意味今更だ。スズカが驚いたのにはもっと別の理由があった。
それは、死神が『攻撃を防いだ』ということ。
探索者をやっていれば
そう、死神は攻撃を防ぐ必要がないのだ。
だというのに、今スズカの眼の前では死神がアーデルハイトの剣を防いで見せた。どうせ何の痛痒も感じないというのに、一体何故防ぐ必要があるのだろうか。
スズカの脳内にはそんな疑問がぐるぐると渦巻いていたが、しかしアーデルハイトはうんうんと頷きながら、なにやら満足そうな表情を浮かべていた。
「ふふふ、そうですわよね。どうやらあちらの死神と同じモノのようで安心しましたわ。啖呵を切った手前、もしあちらのモノと違ったらどうしようかと少し不安でしたの」
「……なんや?どういう意味や?」
「いえ、こちらの話ですわ。さて────それではわたくしが、皆様に簡単ではない死神の倒し方を教えて差し上げますわ!いつもと違って今回は簡単ではありませんので、良い子は真似をしないようにお願い致しますわ」
死神が目の前に居るというのに、まるで警戒した様子も見せずに振り返ったアーデルハイトが自動追尾カメラへと語りかける。スズカはすっかり忘れてしまっていたが、現在も配信は継続中である。まるで緊張感のないアーデルハイトの姿を見たスズカは、そんなアーデルハイトに感化されたかのように幾らか余裕を取り戻していた。そうしてふと我に返り、配信コメント欄へと視線を送った。そこは共有された異世界方面軍ファン達のコメントで溢れかえっていた。
『待ってたぜぇええええ!!』
『そもそもいつものやつすら真似出来ない定期』
『ていうか絶対俺達のこと忘れてたよね??』
『まぁ状況が状況なんでね?』
『そんな状況で登場タイミングを見計らってた女がいるらしい』
『お待ちになって!とか言い出したのホンマ草』
『さっきから配信そっちのけで変身シーン一生見てる』
『マジで待ちに待ってたからなぁ』
『怒涛の見どころラッシュ』
『もう頭こんがらがってきた』
「……ホンマ、緊張感ないなぁ」
「それが
「それは取り柄っちゅーんか……?」
先程までのピンチは何処へやら。すっかり弛緩しきった空気を感じつつ、スズカは前方へと視線を戻す。そこにはなにやら胸の前でローエングリーフを構え、警戒するように佇む死神と対峙したアーデルハイトの姿があった。
「起きなさい!ローエングリーフ!!」
瞬間、アーデルハイトの命を受けたローエングリーフが炎に包まれた。その刀身は真紅に染まっているというのに、燃え上がる炎は煌々とした光のようで。ローエングリーフが生み出した純白の炎は徐々に勢いを増し、果てはアーデルハイトの右腕までも飲み込んでしまう。
それは『聖炎』と呼ばれる、聖剣ローエングリーフに備わった特別な力。それは決して契約者を傷つけることのない、魔を焼き尽くす聖なる炎。
『かっこえええええええ!!』
『これは姫様』
『これは公爵令嬢』
『王者の風格』
『おっぱいでっか!!!』
『お前wwどこ見て……え、おっぱいでっか!!』
『アカン、普段とのギャップがデカすぎる』
『そもそもどういう原理なんですかコレ!!』
『ここに来て圧倒的異世界ファンタジーが始まった件』
『ジャーン!ジャーン!』
『げぇ、アデ公!』
『聖炎』が仄暗いダンジョン内を明るく照らし、眼の前の死神をもハッキリと映し出す。そうして初めて露わになった襤褸の内には顔や肌などといった物は何もなく、ただどこまでも吸い込まれそうな冥い闇が押し込められているのみであった。
「行きますわよー!!」
そういって、どこか緊張感のないままに駆け出すアーデルハイト。
スズカの眼に映るそんなアーデルハイトの後ろ姿は、まさしく異世界ファンタジーの主人公そのものだった。
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