第158話 最高の探索者

「キミの所感を訊かせて欲しい。出来るだけ率直に」


「……率直に?」


「そう。仕事中というわけでもないんだ、夫婦の会話だと思って気楽に感想を訊かせてくれればいい」


 都内の高級住宅街にある、やたらと巨大な一軒家。殆ど邸宅と呼んでも差し支えなさそうなその家のリビングで、柔和な笑みを浮かべた男が、自らの向かいに座る花ヶ崎刹羅へと優しく話を促す。一方の刹羅は少し眉根を寄せ、一体どう答えたものかと思案していた。


「そうは言うけど、そっちでもある程度は調べているんでしょ?」


「多少はね。だけど彼女達は不思議と隙が無くてね……僕が知っているのは、各支部から上がってくる業務報告書上の情報程度だよ。実際に会って言葉を交わしたキミの感想のほうが信頼出来る。情けない話で申し訳ないんだけどね」


 そう言って、まだ昼間だというのにワインを口に含む男。

 名を花ヶ崎あおいといい、彼は四十四という若さで、探索者協会情報調査室の長に就いていた。それはつまり、ダンジョンに関する全ての情報を管理する機関の責任者であるということだ。そして、彼は花ヶ崎刹羅の夫でもあった。


 一般に情報調査室と聞けば、諜報や防諜のような役割を担う機関を思い浮かべるかも知れない。だが探索者協会に於いてはそうではない。単純に、ダンジョンに関わる情報の収集と管理を担っている機関だ。ダンジョン内で発生した異変や事件は勿論の事、新種の魔物が現れた際も、各支部は情報調査室へと報告を上げることになっている。そしてそこには当然、探索者達の情報も含まれる。


 つまり死神討伐を成し遂げた異世界方面軍を『要観察探索者』としたのは、他でもない情報調査室である。厳密には情報調査室が報告を上げ、それを受けた協会長が判断したのだが、何れにせよあおいの報告が元になっているのだから大差はない。なお、以前にアーデルハイトが肉を持ち帰った際、刹羅が話を通しておくと言っていた『あの人』というのが、まさにあおいのことである。


 つまりあおいは以前から異世界方面軍、ひいてはアーデルハイトのことを知っていたのだ。だが刹羅からの頼みもあった為、これまで彼女達に関する一切を『なあなあ』で済ませていた。実際、死神討伐やイレギュラーの制圧程度であれば、ギリギリではあるものの誤魔化しは効いていた。それら単体では、探索者業界全体へ与える影響がそれほど大きくなかったからだ。


 世界初の死神討伐にはあおいも衝撃を受けた。だがそこまでだ。死神を討伐したことで、他の探索者達が被害を受けるだろうか?彼らの探索に影響が出るだろうか?全国のダンジョンから死神が消えるだろうか?

 答えはどれも否だ。確かに偉業には違いないが、少なくともそれは個人の域を出ない話だった。


 イレギュラーの制圧もそうだ。新種の魔物情報としては重要な一件であったし、もしかすると今後の研究に活かせるような案件だったのかもしれない。だが結果として新種の魔物は討伐された。

 魔物は消滅し、それでこの話は終わり。その後の彼女達の配信には、豚か猪によく似た怪しい生き物が登場するようになったが、どうみても別の個体だ。まさか生まれ変わったわけでもあるまいし、イレギュラーの件とは無関係。そもそも、魔物を倒したら生まれ変わって小型化しましたなどと、殆ど嘘のような話なのだ。誤魔化すのは難しくなかった。


 愛する妻から『いいように取り計らってくれ』と言われれば、蒼に否やはなかった。


 特に後者、『肉』に関しては見たことも聞いたこともない、まるで創作ファンタジーのような出来事だ。蒼も半信半疑であったし、何より同一個体だという決定的な証拠は何もないのだ。故にこの件を隠すことに、蒼はそれほど反対しなかった。むしろ余計な混乱を招く恐れがある為、積極的であったとさえ言えるほどだ。

 二体目の『毒島さん』を持ち帰った際は、流石に勘弁してくれと思ったりしたものだが。


 ともあれ、異世界方面軍がこれまで好き放題出来たのは、愛妻家の偉い男が人知れず頑張ってくれていた結果と言えるだろう。

 

 これまではそれで済んでいたのだ。

 だが今回の伊豆ダンジョン制覇については、流石にそうも言っていられなかった。


 ダンジョンの変質を招いたということは、探索者業界全体に影響を与える大事件だ。別に、それを罪に問おうなどという事ではない。ダンジョンの制覇は業界の悲願でもあった。メリットもデメリットも生む出来事だったが、おかげで日本は他国に一歩先んじる事が出来たのだから。ダンジョン大国としての面子を保てたと言ってもいい。称えこそすれ、罰するなど論外だ。


 だがそれはそれだ。

 業界全体にとっての偉業を成し遂げた彼女達についての情報を、もはや『なあなあ』にしておくことは出来なかった。一般的な知名度も上昇してきている彼女達のことを、協会の情報調査室が『何も分かりません』では話にならないのだ。最低限、メンバーの人となりやパーティとしての方向性、協会に協力的か否かは把握しておかなければならない。万が一悪意ある者達であった場合、もしもの際の対策も考えなければならないのだから。


 そういった理由から、本格的に異世界方面軍を調査をしようとしたのだが───。


「あぁ……あの娘達、急に消えたり現れたりするものね……ウチも危うく逃げられるところだったわ」


「そうなんだよ。話を聞こうとして待っていると、いつの間にか姿を見失ってしまうんだ。おかげで何の情報も得られないまま、今に至るというわけさ」


 そう、異世界方面軍はどうやっても基本捕まらないのだ。つい先程まで配信をしていたと思ったら、次の瞬間には既に撤収し終えている。そうして蒼の部下、情報調査室の職員は何度も彼女達を見失っている。それらは全て認識阻害魔法によるものなのだが、そんな魔法の存在など知る由もない彼らは、為す術もなく逃げられているというわけだ。


「といっても、私もあまり詳しくはないわよ?」


「構わないよ。話した印象、性格、そういった小さなものでいいんだ。それさえ分かれば、あとはどうにでも纏めて見せる」


「そうね……」


 そう言って刹羅は少し考える素振りを見せ、そして蒼の目を真っ直ぐ見つめ、ひどく真剣な顔でこう告げた。


「彼女達の機嫌を損ねるのはやめたほうがいい、かしらね」


「……随分剣呑な話だね?配信を見た限り、それほど悪い印象は受けなかったんだけど」


「ああ、ごめんなさい。性格がどうとかいう話ではないのよ。単純に、彼女達と敵対しても良いことは無いという意味よ」


「ん……続けてくれ」


 刹羅は丁寧に切り分けたステーキを口に運び、ゆっくりと咀嚼して飲み込む。貴族のパーティに出席しても恥を晒すことなどなさそうな、とても上品な所作だった。そうして蒼に促されるまま、自らの抱いた感想を口にする。


「まず、彼女達は基本的に善性の探索者よ。その実力は他の追随を許さないほど高いし、業界に齎してくれるものも多い。間違いなく世界最強の探索者といえるでしょう。これはウチの宇佐美も同意見よ。だけどその一方で、敵対する相手には容赦しない一面も持ち合わせている」


「実力に関しては僕も同意見だけど……」


「例の『お肉ちゃん』の話をした時にね、少しだけ鎌をかけたのよ。その時の怖い顔と言ったら、とてもじゃないけど『引き渡しなさい』だなんて言えなかったわ。一回りも下の少女に、恐怖を覚えたもの。異世界出身というのが本当かどうかは分からないけれど、なんというか……私達とは潜って来た修羅場が違うとでもいうのかしらね?」


 聴取を行った時のことを思い出したのか、刹羅が少々わざとらしく肩を震わせて見せる。刹羅とて元探索者であり、少々のことでは怯んだりはしないつもりであった。だがあの時、アーデルハイトに睨まれた彼女は間違いなく怯んでいた。


「もし暴れられたとしても、彼女を制圧出来る者は居ない。そう断言出来るわ。といっても、やっぱり基本的にはいい娘達なのよ。だから私の所感を述べるのなら『敵対さえしなければ最高の探索者』ということになるわね」


 そう話を締めくくり、食事に戻る刹羅。対する蒼はといえば、顎に手を当てて思索に耽っていた。通常であれば特定の探索者を特別扱いするようなことなどない協会だが、所詮それは建前だ。『勇仲』を始めとして、色々と便宜を図っているパーティはいくつかある。刹羅の話を聞く限り、異世界方面軍はその最上位に置くべき存在といえるだろう。少なくとも蒼にはそう思えた。


「成程……敵対さえしなければ、か……これは苦労しそうだ」


 探索者協会とは、基本的には探索者に寄り添い、彼らの活動をサポートするための機関だ。だが協会も一枚岩ではない。探索者に対してやたら高圧的な態度を取る傲慢な役職者や、碌でもないことしか言わない責任者も少ないながら存在する。


 そういった者達が彼女達の機嫌を損なわないようにするのは、なかなかに骨の折れそうな話であった。


「ふふふ。だけど、彼女達と仲良くするメリットは大きいと思うわよ?苦労のしがいがあるわね」


「簡単に言ってくれるなぁ……でもまぁ、精一杯やってみるしかないね」


 こうして、異世界方面軍に対する方針が一先ずは定まっていた。しかし、そんなことは本人達は知る由もないことだ。彼女達はこの時、馬と狼の魔物を木刀片手に追い回していたのだから。

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