第169話 興味ないね

「蔵人、腕出して……です」


「……興味ないね」


「今はそういうのいい……です」


 真面目な顔をした合歓ねむにそう言われ、真っ赤な血に染まる右腕を差し出す蔵人。ざっくりと開いた傷口へと染み込む消毒液に、顔を歪めながら。そうして一通りの応急処置を終えた合歓ねむは、溜息を一つ零す。


「まさか『誘引トレイン』を擦り付けられるとは……最悪、です」


 普段は『†漆黒†』の頭脳役を務める冷静な彼女であるが、今回ばかりは悪態の一つも吐きたくなるというものだった。協会からの要請により、ものの一時間も経たない内に救援へ駆けつけた彼女達が見たもの。それはひとつのパーティが対応できる限界を超えた、まさしく大群に追われる要救助者達の姿であった。彼らは『大規模合同探索レイド』が始まる直前、『†漆黒†』の面々に対して妬ましそうな目を向けていたパーティだった。


誘引トレイン』とはゲーム等でよく聞く『トレイン狩り』から来ており、つまりは魔物を大量に引き連れる事である。ゲーム上に於けるトレイン狩りとは、多数のモンスターを誘導して一箇所に纏め、範囲攻撃によって一気に倒す行為のことである。非常に効率が良い方法として知られているが、しかしそれはあくまでもゲーム内での話に過ぎない。

 これがゲームであれば、範囲攻撃スキルや魔法などといったもので効果的に魔物を処理出来るのだろう。だがこれは現実で、スキルなどといった都合の良いものは存在しない。当然ながら非常に疎かな行為であり、探索者としては絶対に避けるべき状況の一つとされている。


 ましてや、それを他のパーティに擦り付けるなど。探索者資格の剥奪どころの騒ぎではない。先のゲーム用語で言えばMPK、つまりはMonster Player Killingだ。モンスターを利用した他者への攻撃行為であり、それは殺人と殆ど同義だ。


 彼女達が救援に駆けつけた時はまだ掃討の芽もあった。少なくとも、追いかけられている者達と協力すれば十分にやりようはあった筈なのだ。だがそうはならなかった。要救助者達は『†漆黒†』に全てを擦り付け、こともあろうにニヤニヤと笑みを浮かべながらその場を立ち去った。つまりは意図的な行為だった。許せる筈もない。

 大方、比較的経歴の浅い『†漆黒†』がちやほやされているのが気に入らなかったのだろう。酷く幼稚で下らない理由だった。少なくとも、犯罪行為に手を染めるほどの理由だとは思えない。


 彼らの卑劣な行為に憤慨しているのは合歓ねむだけではなかった。足に包帯を巻き、合歓ねむの対面に腰を下ろしている金髪の男。彼もまた、先の一幕を思い起こして苛立たしげに拳を握りしめている。


「なんて卑劣な……普通に犯罪行為でしょ」


「ルシ…」


「……刑務所の中でじっとしていてくれ」


「蔵人の言う通り、一応配信はしてたから、何もしなくても彼らは裁かれる筈……です」


 合歓ねむに『ルシ』と呼ばれた男、二階堂ルシファーが地面を殴りつける。返る痛みに顔を歪め、そうしてうんざりとした様子で樹に背中を預ける。口調が素に戻っていることからも、彼の複雑な感情が窺い知れた。


 どうにか魔物の群れを撒くことに成功した彼らは現在、現場から大きく離れた水場の近くで怪我の治療を行っている。全員が満身創痍であり、とてもではないがダンジョンから自力で脱出することなど出来そうにない。

 そんな状態の彼らがこうして逃げ切れたのは、偏に月姫かぐやの活躍が大きかった。彼女は身の丈よりも大きな長刀を振るい、魔物の群れを切り開いて路を作った。彼女が居なければ、今頃は全員が黒霧となって消えていたことだろう。


 そうして怒りを顕にする『†漆黒†』の面々であったが、当の月姫かぐやはといえば、意外なほどに落ち着き払っていた。絶望的な今の状況にあって、しかし彼女は刀を抱えたまま静かに目を閉じていた。


『クク……姫はずいぶんと落ち着いてるな』

『ククク……腹立たないのかな』

『ちゃんと通報しといたよ』

『ククク……それでこそ我らが姫よ』

『あいつらマジで許せんわ』

『ククク……我らが闇の申し子達に嫉妬するとは見苦しい』

『マジでくだらん理由っぽくて腹立つわ』

『探索者にもああいうの居るんだな……』

『クク……少数だがな』

『ククク……』

『何か言え』


 視聴者達からしても、月姫かぐやの落ち着き払った態度はひどく不思議に映っていた。ダンジョン内で移動が出来ないという今の状況は絶望的だ。通常の探索者であれば、取り乱したり喚いたりと、とても冷静では居られないだろう。そんな年齢に見合わぬ月姫かぐやの姿は、いっそ場違いに見えるほどであった。


月姫かぐや……キミは何故そんなに落ち着いていられるんだ?腹が立ったりはしないのか?」


 そんな視聴者達の疑問を代弁するかのように、ルシファーがやや芝居がかった口調で月姫かぐやに問いかける。それを受けた月姫かぐやはゆっくりと目を開き、まるで何事も心配していないかのようにこう答えた。


「勿論腹は立つけど……今は怒ってても仕方ないし。それに───」


「……それに?」


「世界で一番強い人が、きっと助けに来てくれるから」


もしかすると『なんという体たらくですの!』などと怒られるだろうか。そんな一抹の不安を抱えながらも、月姫かぐやは再び目を閉じた。兎にも角にも、まずは生き延びなければ話にならない。今は身体を休めることに専念するべきだと、彼女はしっかりと理解していた。




 * * *




 三人組の男が、息を切らしてダンジョン内を走っていた。生い茂る森の中、狭い木々の間を縫うように。


「ハァ、ハァ……へっ、ざまぁみやがれ!」


「オイ……流石にヤバくねぇか?協会から問い詰められたらどうするつもりだ?」


「何、俺達は必死で逃げただけだ。何の問題もねぇだろ」


 口々に悪態をつく二人の男と、どこか及び腰な男。彼らは『†漆黒†』に魔物を擦り付けた後、すぐに下の階層へと移動していた。ダンジョン内という特殊な環境は、時に人からまともな思考を奪う。その例に漏れず、彼らは自分達の行いが配信されていたとは考えていないのだ。ただ嫉妬に取り憑かれ、感情に突き動かされるまま犯行に及んだ。酷く短慮で疎かな行為であった。


 故に彼らは忘れていた。

 ダンジョン内では、そうしてまともな思考を欠いた者から命を落とすと言うことを。罪を犯したという緊張。急ぎ現場を離れなければという焦り。後の弁明、偽りの謝意。そうした諸々で支配される頭で生き残れるほど、ダンジョンは甘くはなかった。


「おわッ……あぶね───」


 地面から飛び出した木の根に、先頭を走っていた男が足を取られる。体勢を整えようと地面に片手をついたその次の瞬間、男の頭部は宙を舞っていた。


「えッ!?」


「は!?」


 狭い森の中は視界が悪く、木々の間から姿を現した三体のオウルベアに気づく事が出来なかった。彼らが通常の精神状態であれば、これほど不用意に接近することなどなかっただろう。上手く連携し、三体のオウルベアなど倒して見せた筈だ。


 だが、そうはならなかった。

 元より身体能力では魔物に劣る探索者だ。彼らの武器はその頭脳であり戦略、或いは連携である。それらが機能していない今、目と鼻の先まで迫った三体のオウルベアは十分に脅威となる。更には初手であっという間に数を一人減らされた。そうして出来上がったのは、身体能力でも数でも負けているにも関わらず、不用意に懐へと潜り込んでしまったという状況のみ。突然の危機的状況に彼らの頭は回らず、ただ間抜けな顔で呆けることしか出来なかった。


 頭部を失い、その場に崩れ落ちる男の身体。

 そこに新たな二つの死体が加わるのに、そう時間はかからなかった。

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