200回記念SS 前編

 伊豆ダンジョンを攻略した、その翌日のこと。一行がホテル内のレストランで朝食をとっていた時、月姫かぐやが徐ろに立ち上がった。


「いやいやいや!! 海行きましょうよ!!」


 比較的近場であるとはいえ、折角の伊豆である。伊豆といえば、水質ランクの高い綺麗な海水浴場が多いことで有名だ。勿論海だけではなく、それ以外にも多くの観光スポットが存在する。そんな観光地として名高い伊豆まで来ておいて、ただダンジョンを攻略し、そのまま帰宅するなどあまりにも勿体ない。月姫かぐやが言いたかったのは、つまりそういうことである。


「こんな綺麗な海を前にして、何そのまま帰ろうとしてるんですか!!」


 月姫かぐやがテーブルを叩いたことで、アーデルハイトの皿に乗っていたウィンナーが中を舞う。特に慌てた様子も見せず、くるくると舞い上がる肉詰めをフォークで器用に突き刺し、アーデルハイトはそのまま口へと運んだ。


「あんなベタついた水、髪が痛みそうですもの」


「ウチ、こう見えてインドア派ッスから」


 一般的な若者であれば、海を前にしてテンションが上がらないなどあり得ない。そう言いたげな月姫かぐやであったが、しかし異世界人は一筋縄ではいかなかった。そればかりか、純日本人のみぎわですらも、消極的な姿勢を見せている。彼女の場合は単純に、根が陰の者寄りだからというのもあるだろうが。


 一方のアーデルハイトは、実際にはそこまで嫌というわけではなかった。だが貴族家に生まれた子女として、海で遊ぶなどという習慣は持ち合わせていない。何より、彼女にとって海や湖というものは、行軍の邪魔になる『障害物』でしかないのだ。遠征中に水浴びをする事こそあったが、しかし今はそのように差し迫った状況ではない。


「くッ……そういえばそうでした……この人達、根っからの変人でした……」


 どうしても遊びに行きたいらしい月姫かぐやは、一縷の望みに賭けることにした。異世界方面軍に於ける最後の砦、クリスティーナ・リンデマンへと。


「どうなんですか、クリスさんは!?」


「……月姫かぐやさん。私はお嬢様のメイドです」


「ッ!! でも……折角……」


「そんな私がまさか───お嬢様の水着を用意していないとでも?」


「や、やったァーーーッ!!!」


 逆転勝利を収めた月姫かぐやは、周囲の宿泊客の目も気にせず、いそいそと小躍りを始めた。その一方で、インドア派のみぎわが抗議に出る。


「なっ……おのれ裏切り者めが! お嬢、裏切り者が現れたッスよ!」


「正直なところ、わたくしはどちらでもよくってよ。遊びに行くなら行くで構いませんわ」


「き、貴様ァーッ!」


 賛成二、中立一、反対一。

 異世界方面軍の本日の予定は、こうして決定したのであった。ちなみにこの時、東海林はまだ部屋でいびきをかいていた。その後、起床し四人と合流した彼は、荷物をどっさりと渡されることになるのであった。




 * * *




 夏本番というにはまだ少し早いが、それでもジリジリと照りつける日差し。伊豆ダンジョンも斯くや、といった様子の広大な砂浜は、カップルや家族連れなど、多くの海水浴客で賑わっていた。とはいえ、時期が時期だけにまだまだ混雑と言う程ではなく、遊ぶには絶好のコンディションだと言える。


 そんな伊豆の海辺に、異世界からやってきた黒船───否、黄金船が姿を見せる。


「うぉ……」


「……はい好き」


「昨日帰んなくてよかった……ありがたや……」


「ちょっ、カナ!! 団長居るよ!! うん、海水浴場!! 早く来なって!!」


 老若男女関係なく、誰もが視線を奪われてしまう。金の髪を海風に靡かせ、あれやこれやをゆさゆさと弾ませながら砂浜を歩く。ただ歩いているだけでありながら、しかしその所作には得も言われぬ気品があった。真っ白なビキニが眩しく、小脇に抱えた怪しい生き物も気にならない。その堂々とした歩みは、恥ずべき部分など一片も無いと言わんばかりだ。パレオの隙間からはすらりとした脚が見え隠れし、それがまたなんとも扇情的であった。


「ベタついてあまり好きではありませんでしたけど───存外、気持ちがいいですわね。とはいえ、この水着は少し下品な気もしますけれど」


「ぁぁぁぁぁーッ!! ナイスクリスッス!! ナイクリ! よくぞ白を選んだッ!! クリスは出来る子だと、ウチは信じてたッスよ!!」


 アーデルハイトの登場に大喜びしているのは、先程までは乗り気でなかったみぎわだ。彼女はホテルでレンタルした青いビキニの上から、パーカー状のラッシュガードを羽織っていた。一部に圧倒的な格差社会が発生しているが、それも含めて彼女の魅力とも言えるだろう。アーデルハイト程のインパクトはないが、しかし彼女によく似合う格好だ。興奮のあまり限界オタクと化したみぎわは、パラソルの下から灼熱の砂浜へと飛び出してゆく。


「実は前々から用意だけはしていましたからね。前回伊豆に来た時、視聴者達の嘆きが凄かったものですから」


 出来る女クリスが、どこか得意げにそう語る。初めての伊豆ダンジョン探索の折、ダンジョン内が砂浜だというのに、普段通りの芋ジャージであったアーデルハイト。それを見たリスナー達から、怨嗟と悲しみの声が数え切れない程に上がっていた。それを受け、クリスは何時来るかわからないこういった場面に備えて、しっかりと水着を用意していたのだ。とはいえ配信を行っていない今、やはり視聴者達が見ることは叶わないのだが。


 ちなみに、クリスもまた水着姿である。

 アーデルハイト程ではないにしろ、そのスタイルは見事の一言に尽きる。基本的にはクール系の性格をしているクリスだが、意外にも可愛らしい系のビキニを着ている。普段は下ろしている髪を頭の後ろで纏め、ポニーテールにしていた。艶めかしいうなじに、靭やかでありながら抜群のスタイル。普段とは異なるそんな彼女の姿は、同性であるみぎわから見ても、ドキリとさせられる姿でだった。


「師匠、凄く似合ってますよ! 綺麗です! っていうかいろいろ凄いです!」


「ありがとう存じますわ。月姫かぐやもよく似合っていましてよ」


 月姫かぐやは普段通りというべきか、上下の水着が黒で統一されていた。それだけならばともかく、どう考えても水着には必要のないファーや、普段装備しているものよりもパワーアップしたスタイリッシュ眼帯、そして謎のシルバーチェーン等など、怪しい装飾品もたっぷりで。水着と呼べるのかどうかも若干怪しい、そんな仕上がりであった。


 東海林の水着姿に関しては、必要がないので割愛。


 もしもシーズン真っ只中であれば、それはもう多くの野次馬が集まって身動きが取れなくなっていたことだろう。ともあれ、こうして異世界方面軍とその他数名(+二匹)が、伊豆の海辺へと降り立ったのだった。ちなみに、暑さに弱い毒島さんはクーラーボックス内でお休みである。




 * * *




「それで結局、海とは一体何をして遊ぶものですの?」


「さて……泳ぐ……のでしょうか?」


「ウチはスケッチで忙しいんで、東海林さんにはカメラを頼むッス」


「おぅ……なんか、昔家族で海に来た時を思い出すな……」


 海水浴経験の無いアーデルハイトは、海での遊び方が分からない。限界オタクはパラソルの下で何やらスケッチを始めている。クリスも知識としては知っているが、しかし海で遊んだ経験はない。意気揚々と海に繰り出した異世界方面軍だったが、誰一人として海での作法を知らなかった。つまりこの場で海の作法を知っているのは、月姫かぐやと東海林の父娘だけということだ。


「クク……烏滸言を! 身を焦がす陽光! 耳に響くは濤声とうせい!! 淵底となれば、やはりコレしかあるまい!」


 仰々しい身振り手振りと共に、先程までは通常運転であった月姫かぐやが、突如として中二状態へと移行する。余談だが、高レベルの探索者はよっぽどのことがなければ日焼けをしない。日焼けとはつまり軽度の火傷であり、いわばダメージのようなものだからだ。閑話休題。


「あ、月姫かぐやがめんどくさいモードになりましたわよ」


「みんなで遊べるからテンション上がっちゃったんスねぇ」


「まぁ、我々は海での遊び方を知りませんからね……ここは彼女に従いましょうか」


 遊び方を知らない三人は、とりあえず黙って月姫かぐやに従うことにした。そうして月姫かぐやの方へと目を向ければ、その手にはまるまるとした立派な西瓜を抱えていた。


「一体なんですのそれは!?」


「あー……ベタっちゃベタッスけど、確かに定番なんスかね?」


「成程。勿論私も知識としては知っていますが……この面子で、ゲームになるでしょうか……?」


 三者三様の反応を見せる異世界方面軍の面々を他所に、月姫かぐやがいそいそとシートの準備を行う。そうして西瓜をセットし終える頃には、東海林が目隠し用の手ぬぐいと木刀を用意していた。見事な裏方仕事である。


「クク……これは古来より伝わる闇の試技。名を『西瓜割りブレイクスルー』と言う」


 月姫かぐやの提案。それは定番中の定番である『西瓜割り』であった。本来であれば海水浴に来て初手でやるような遊びではないだろうが、そのような細かい段取りは気にしない方針らしい。そもそも、『じゃあ海で泳ぎましょう』などと言ったところで、まともな光景にはならないであろうから。


「これは───恐ろしい遊戯ですわ……用意された道具を見ただけで、大体の内容が分かってしまいますもの……!」


「まぁ、多分予想してる通りの遊びッスよ」


「そして恐らく、予想している通りの結果になりますね」


 手ぬぐいに木刀、そして数メートル先に設置された西瓜。これだけの情報が出揃えば、ルールを知らずともなんとなくの内容が把握出来てしまう。月姫かぐやは知る由もないことであるが、実は異世界にも似たような内容の遊びがあったりするのだ。やはりアーデルハイトはやったことのない遊びではあるが、そちらの方は知識として知っていた。


 そしてみぎわを除く面子にとっては、その程度の縛りでは障害たり得ない。目隠しをしようと、その場で何度回ろうと。アーデルハイトが的を外すようなことも無ければ、クリスが目を回すこともないのだ。

 

「クク……確かに!! でもまぁほら、こういうのは雰囲気が大事なんですよ。とりあえずやってみましょう。きっと楽しいですよ」


 しかし月姫かぐや曰く、『みんなでやること』に意味があるらしい。当然ながら、月姫かぐやに従うと決めていた三人が参加を拒むような事はなかった。


 こうして異世界方面軍による海の定番遊び、その第一幕が始まった。

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