第138話 レナードが泣いて喜ぶ
「へくちっ」
海から引き上げられたオルガンの、最初の一言は小さく可愛らしいくしゃみだった。足首ほどの長さもあるプラチナブロンドの髪は、びっしょりと濡れて体中に張り付いている。おかげで大事な部分は隠れていたのが不幸中の幸いといえるだろうか。
オルガンをその眼で見たことがあったのは、この場ではアーデルハイトとクリスの二人だけ。ウーヴェと面識があるかどうかは分からないが、彼はそもそもこの場にはもう居ない。
背は小さく、目測で大凡130cmほど。殆ど童女、或いは幼女と呼んでも差し支えないサイズ感だ。薄い胸に細い手足。濡れた長過ぎる髪と相まって、その姿はほとんどホラーであった。少し吊り目がちで半分だけ開かれた瞳は、ともすれば少し生意気そうな印象を与える。まるで人形か、或いは作り物とも見紛うほどに長い銀色の睫毛が海水に濡れ、夕陽を浴びて紅玉のように煌めいている。
ぷるぷると頭を振って水滴を飛ばす様はまるで猫のよう。顔に張り付いた大量の銀髪をかき分け、自らの格好を気にする素振りも見せずに周囲を見回す。そうして見知った顔を見つけ、ついで見知らぬ顔を一つ一つ確認する。
「ん……」
何か考え込む仕草を見せた後、最後にもう一度アーデルハイトの元へと視線を戻し、何かに納得したようなしたり顔でオルガンはこう言った。
「……成程」
「成程、ではありませんわよ!このお馬鹿」
全裸の童女の小さな尻をアーデルハイトが引っ叩くと、ぺちり、といういい音がした。
「痛い。いきなり何をするのか」
「それはこちらの台詞ですわ!
アーデルハイトにしてみれば、オルガンがこちらにやってきた経緯も理由も理解らない。だが聖女の気配を直前に感じた事を鑑みれば、最悪の場合はあのクソ女の手先ということも考えられた。己の研究にしか興味のないオルガンの事だ。なにかしら研究に関する好条件を提示されれば、ホイホイ乗せられて聖女の尖兵と化している可能性も十分にある。アーデルハイトがオルガンを問い詰めたのも当然の事だった。
「あんなもの……?何の事?」
「知らないフリをしても無駄ですわよ!いいから全部吐きなさいな!」
そう言ってアーデルハイトがオルガンをひょいと持ち上げる。そうして肩に担ぎ上げ、そのままぐるぐると振り回し始める。
「ぬぉぉぉぉ」
「あの聖女に何を吹き込まれたましたの!!隠すとひどい目に遭わせますわよ!」
「もう遭ってる」
呆気にとられている者たちを他所に、ぎゃあぎゃあと騒ぎじゃれ合う二人。アーデルハイトにとってオルガンは、『六聖』の中で最も親しい者の一人だ。ちなみに一番中が良いのはシーリアであり、頻繁に連絡を取る仲だったりもする。
逆に、オルガンにとって親交のある『六聖』はアーデルハイトだけだ。なんだかんだで面倒見がよく融通の利くアーデルハイトは、所属する国は違えど、研究室に引きこもりがちであるオルガンにとっては丁度良い遊び相手のようなものだったのだ。
そんな様子を見兼ねたのか、クリスが間に入ろうとする。とはいえ、オルガンといえばかの有名な『六聖』の一人だ。もっといえば、あちらの世界の技術を魔導、魔法の面で格段に進歩させた、紛れもない偉人である。
クリスもオルガンと面識があるとはいえ、それも一方的なものでしかない。ただアーデルハイトの後ろに付いていただけのことで、挨拶どころか直接言葉を交わした事もないのだ。故にか、クリスの仲裁は普段よりも幾分控えめなものとなった。
「……あの、お二人共。そのあたりで一度落ち着かれては如何でしょうか」
「駄目ですわ!このお馬鹿はこの程度ではまるで懲りませんもの!!」
「ぬぉぉぉぉ…おぉ、貴女の顔は覚えている。確かアーデの侍女。よい。もっと言って。今すぐこれをやめさせるべき。あと何その格好。痴女?」
「……」
着替える暇がなかったが故に、未だ女諜報員風衣装に身を包んでいるクリス。しかしそれを全裸の幼女から、まさか『痴女』呼ばわりされるとは思っていなかった。先程までは確かにあったオルガンへの畏敬の念は、この瞬間に消え去った。
「全裸の痴女に言われたくはありません」
「……おぉ、ホントだ。裸だった。アーデ、おろして。早く」
「よくってよー!!」
そうしてアーデルハイトは、担いだオルガンを海へと放り投げる。
オルガンはそのまま大きな水飛沫を上げて有明の海へと消えていった。
* * *
「というわけで」
「酷い目にあった……」
再びずぶ濡れとなったオルガンは回収され、呆気に取られたままの
「とりあえず服を着て下さいまし」
「……誰の所為だと…」
ぶつぶつと文句を垂れながらパチリと指を鳴らすオルガン。
するとほんの一瞬にも満たない刹那に、オルガンは着替えを済ませていた。長過ぎる髪まで二つに結われている始末だ。様子を見守っていた
緑系の色を基調とした衣服は、ところどころに黄金で装飾が施されている。下は白いミニスカートに黒タイツ。肩に羽織った純白の外套には、見たこともない紋章が大きく描かれていた。見たこともない衣装の筈だが、しかし
「さて……では一応ご紹介しておきますわ。コレがわたくしの知り合いの……なんでしたっけ?」
「……」
「し、仕方無いではありませんの!普段は『オルガン』としか呼びませんもの!」
慌てたように誤魔化すアーデルハイト。
とはいえ、これは彼女が悪いとも言い切れない。なぜなら『オルガン』とは通称であり、本名とはまた異なるものだからだ。
「わたしの名はミィス・ルイン・マール・ヴィルザリースという。長いので、『ミィス』か『オルガン』でよい。よしなに」
「ちなみに『オルガン』というのは異名のようなものですわ」
腰に手をあて、無い胸を張り、どこか偉そうに自己紹介を行うオルガン。こちらに来たばかりの頃のアーデルハイトと比べれば、随分と落ち着き払っている様にも見える。そんなオルガンの自己紹介を受けても尚、地球組の面々は阿呆のように口を開いて呆けるばかりであった。あのレベッカですらも。
「というか先ほどから気になっていたのですけれど……貴女、随分と落ち着いていますわね?」
「状況は大凡理解している。というよりも、予想通りと言うべき。ここはわたしたちの居た世界とは別の───そう、異世界?」
「……予想通りですって?オルガン、貴女一体───」
そんな意味深なオルガンの言葉に対し、アーデルハイトが問い詰めようとした瞬間だった。彼女の言葉を遮るようにして、
それは地球人であれば誰もが知る、
「銀髪ロリエルフきたァーーーーーー!!」
「銀髪ロリエルフですよ師匠ォー!!薄い本が厚くなりますよ!?」
「オイオイ……レナードが泣いて喜ぶぜこりゃァ……」
渾身のガッツポーズを見せる
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