第110話 出し入れ自在ですわ(質問回)

 沢山の可愛らしいぬいぐるみ。見ているだけで力が抜けてゆくような、間抜けな顔をしたマスコットの数々。ひらひらとしたレースカーテンに、ふわふわのベッド。そこは白とピンクで整えられた、ひどく少女趣味な部屋だった。


 そんな部屋の床で、一人の女性が奇行に走っていた。


「あばばばばばば!!」


 もこもことしたパジャマ姿で、カーペットの上を縦横無尽に転がりまわる。ベッドの足に腕を打ち付けようが、テーブルの足に頭をぶつけようが、その奇行が治まることはなかった。

 そうしてしばらく暴れまわった国広あかりが、息を切らしながらベッドの上のスマホへと手を伸ばす。震える指で画面をタップし、近頃はすっかりお馴染みとなったトークグループを開く。


「くッ……き、聞いてないんですけどお……ッ」


 最後の力を振り絞り、頼れる二人の先輩へとメッセージを送る。

 力尽きたあかりはうつ伏せになってベッドに沈み、布団をかぶって夢の世界へと旅立っていった。ただの現実逃避でしかないことは彼女にも分かっていたが、そうせずにはいられなかった。


 投げ出されたスマホの画面には、つい今しがたあかりが送った『ボスケテ』という四文字だけが、未読のまま表示され続けていた。




 * * *




「それでは次の質問に参りますわよ」


『待てぃ!』

『あいや待たれぃ!!』

『しれっと次に行こうとするなw』

『説明不足ゥ』

『どういうことなんですか団長!?』

『階層主が出なくなる、だと?』

『あんま詳しくないんだけどそれは駄目なの?』

『わかんねぇ!!』

『階層主素材は高値で売れることが多い』

『湧かなくなるって言われるとちょっと判断難しいな』

『何故なんですか先生!?』


 誰がどう聞いても重要な内容だというのに、アーデルハイトはさっさと次の話題へと移ろうとしていた。当然視聴者達からは待ったがかかり、アーデルハイトは詳しい説明を余儀なくされる。

 といっても、あちらの世界でもまだ解明されていないことのほうが多いのだ。地球よりは幾分研究が進んでいるが、結局は殆どが推測の域を出ない。つまりアーデルハイトも、そしてクリスも、説明を求められたところでそう大した話が出来るわけではないのだ。


「何故か、と言われましても……そもそも、実際に伊豆ダンジョンで確認したわけではありませんし、もしかしたらあちらの世界とは違うかもしれませんわよ?」


「あちらの世界では、一度攻略されたダンジョンは低級冒険者にとっての良い稼ぎ場になっていましたね。階層主が出なくなる代わりに、鉱物や植物系の資源が増えるんですよ。ダンジョンが階層主の生成に使う魔力を、資源の生成に回すようになる───と言われていますね。因みに、理由は不明です」


 答えに窮したアーデルハイトへと助け舟を出すかのように、画面外からクリスの声が聞こえてくる。そんな天の声に、クリスのファン達は大喜びであった。


 クリスの言うように、あちらの世界に於ける攻略済みダンジョンの扱いは、専ら初心者冒険者の修行場のようなものであった。階層主が出ないということは、特定階層を突破出来ない者達でも、深部の資源を採取することが出来るようになるということだ。


 もちろん階層主ではない通常の魔物は引き続き出現するが、少なくとも階層主よりは弱い魔物が殆どである。大量の魔物に囲まれて逃げられなくなる、などという事態にさえ気をつけていれば、強力な階層主と戦うよりも余程楽だろう。


 また、資源の量が増えるのはもちろんのこと、その質も上がると言われている。攻略前であれば深層でしか採れなかった資源が、攻略後は中層や上層からでも採れるようになるのだ。もちろん希少な資源は変わらず希少なままだが、可能性が生まれるというだけでも十分にメリットと言える。攻略前はドロップ率0%だったものが、攻略後は1%になる、といえば視聴者達にも分かりやすいだろうか。


 そういった理由から、駆け出しの冒険者や、あまり戦闘が得意でない錬金術師などの非戦闘職の者達にとって、攻略済みのダンジョンは非常にありがたい存在とされていた。反対に、階層主の素材を売って生計を立てていた上級冒険者達からすれば、ダンジョン制覇はデメリットが目立つとされている。


 このように、あちらの世界では一長一短だったダンジョン制覇。

 だがこちらの世界に関して言えば、メリットの方が大きいと言えるのではないだろうか。なにしろ、トップ層の探索者ですら30階層前後までしか進めていないのだ。

 ごく僅かな者だけが得ることの出来る、それほど大したことのない───アーデルハイト達にとってはだが───階層主の素材。それらが採れなくなることよりも、上層で質のいい資源が簡単に採れる方が恩恵は大きい筈だ。


 といった旨の説明を、アーデルハイトが行う。


「───といったところですわね。まぁ、本当に伊豆がそうなっていればの話ですけれど」


『ほう……』

『そう聞くと悪いことばかりじゃない気がするな』

『むしろ俺達みたいな雑魚探ざこたんからしたら朗報では?』

『物にもよるけど、下手したら前より人気になる気がする』

『もともと伊豆は不人気だけどな!!』

『どうせあんな奥まで行けないしなぁ』

『ヨシ!無罪!!』

『どっちにしても、確認やら色々込みで伊豆支部はしばらく地獄になりそう』

『現地民からしたらこれで活気が出れば嬉しいんだけど』

『支部長の泣き顔が目に浮かびますわー!!』

『それが彼らの仕事だから仕方ありませんわー!!』

『ドーエスハイトやめろw』


「はい、それでは今度こそ次に行きますわよ」


 アーデルハイトが膝をぱんぱんと叩き、話題の移行を視聴者達へと促す。送られてきた大量の質問の中からいくつかに絞っているとはいえ、今はまだ1つ目なのだ。今回の配信は単純な質問回であり、そう長い時間行う予定はない。故に、こんなところで止まっていては後ろに支障が出てしまう。


 そうして、配信画面には二つ目の質問が表示される。


『お肉ちゃんの角について、悲しいお知らせがあると言っていましたが、一体どういうことなんですか?ことと次第によっては尻を引っ叩かせて頂きます』


「どこから目線の質問ですの……?まぁなんといいますか、これについては実際に見て頂いた方が早いですわね」


 二つ目の質問は、伊豆ダンジョン探索中にアーデルハイトがちらりと口にした、肉の角についてであった。


 渋谷ダンジョンにて、イレギュラーとして現れた巨獣ベヒモスを倒した際に獲得した、固くて鋭い立派な角。巨獣自体が目撃例の無かった魔物であったことや、アーデルハイトでなければ倒せなかったであろう圧倒的な強さ。それらを鑑みれば、他に類を見ないほどの高値が付くと期待されていた素材だ。事実、その場では買い取り金額が提示出来ないために、渋谷支部からはしばらく時間が欲しいと言われていた一品である。


 とはいえ、そんな貴重なアイテムを、売買契約を結ぶ前に協会へ預けるのは躊躇われた。協会を信用していないなどという訳では無いが、物が物だけに慎重になったというわけである。こういったケースはダンジョン界隈ではそう珍しいものではなく、協会側も二つ返事で了承している。

 そうして一度持ち帰った肉の角であるが、何やら問題が起きたとアーデルハイトは言う。


 実際に見せる、などという意味深な言葉を残し、アーデルハイトは一度配信画面から姿を消した。そうして一分も立たないうちに、画面の前へと戻ってくる。左手には角の現物を、右手には4WDと化した肉を抱えて。


「御覧くださいまし!!」


 アーデルハイトはそう言って、カメラへと左手を突き出した。正確には、左手にもった角を、だ。カメラが映し出す大きな角には、一見変わった様子はない。だがよく見てみると、その鋭く尖っていたはずの先端が、ほんのりと欠けているように見えた。


『んー?』

『どゆこと?』

『なんか変わってるか?』

『うーん、わからん!!』

『あ』

『欠けとるやないかい!!』

『あちゃーw』

『これは確かに悲しい』

『査定額、ダウンです!!』

『いや、そんな簡単に欠けるもんか?』

『加工出来るか分からんみたいな話もあったし、そうはならんやろ』

『何したんやアデ公……』


 初めは変化に気づかなかった視聴者達だが、徐々にその欠けに気づいてゆく。

 当然の話ではあるが、取得物の買取金額はその状態に大きく左右される。例えば蜥蜴人リザードマンの鱗皮などであれば、穴が空いてたりすれば防具としての加工が難しくなってしまう。宝箱から獲得した武具の類であっても、劣化していれば修復に手間がかかるため、その分の査定額は下がってしまう。故に、如何に綺麗な状態で持ち戻るか、という点も探索者としての腕の見せどころだったりするのだ。


 超高額の買い取りが期待されていた角だけに、その小さな欠けは致命的なものとなりうる。唯一無二の素材であるが故に、この程度の傷であれば何の問題もないかもしれない。だが少なくとも、ケチをつける要素を与えてしまった。仮に1000万の値段が付いたとして、傷有りで二割引かれれば200万円もの大損となるのだ。もしも1億の値が付けば2000万円だ。査定額が上がれば上がるだけ、この傷の代価も上がってゆく。


 問題は、何故こんな傷が付いてしまったのか、だ。


「話せば長くなるのですけれど……」


『言うてみ?』

『当然、深い理由があるんやろなぁ』

『試しに斬りつけてみたとかじゃないだろうな』

『団長ならあり得る』

『詳しい説明をしたまえよ』

『嫌な予感がしやがるぜ……』


「朝起きたら、お肉ちゃんがガリガリかじっておりましたの。以上ですわ」


『草』

『そうはならんやろ!!』

『以上、終わりッ!!』

『どこが長いんじゃコラァ!!』

『端的に過ぎる』

『自分の角を齧るなw』

『どうせしょうもない理由やろなと思ったけど予想以上にしょうもなかったw』

『かわいいからヨシ!!』

『それで落書きされてるんかw』


 言葉が伝わっているのか、いないのか。

 アーデルハイトの小脇に抱えられた肉が、ドヤ顔でふんすと鼻を鳴らしていた。その様子からはすっかり野生が失われ、かつての威厳や威圧感などは微塵も見られなかった。


「そしてその結果、こうなりましたわ」


 アーデルハイトはそう言うと、角をテーブルの上に置き、空いた左手で肉の尻をぺしりと叩いた。その衝撃に肉がぴくりと身じろぎし、同時に肉の額からは小さな角がにょきりと生える。アーデルハイトがもう一度肉の尻を叩くと、額の角はしゅるりと戻り、すぐに額から消え去った。


「出し入れ自在ですわ」


 当然ながらコメント欄は、『出し入れとかいう問題じゃねぇんだよ』というツッコミで溢れかえっていた。

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