例のアレ編

第111話 新しいジャージ(閑話)

 伊豆ダンジョンの攻略から二日後、つまりは質問コーナーの翌日。

 伊豆を攻略したことによって、記念配信にて公約として挙げた三つの項目は全て達成したことになる。故に、異世界方面軍は束の間の小休止とでもいうべき期間に入っていた。


 とはいえ、新たに考えなければならない事も増えた。

 皇国の紋章入り経由石ワードはもちろんのこと、欠けた巨獣の角や白蛇の鱗等、素材売却の打ち合わせも控えている。戦利品として持ち帰った大太刀の使い道も決まっていないし、トレントの実以外の回復薬ポーション制作材料も集めたい。単発動画の撮影も引き続き行わなければならないし、肉と毒島さんの特訓もある。面倒だからと後回しにしていた様々な事が、ここにきて大渋滞を起こしていた。


 しかしアーデルハイトは、今日も今日とて怪しげなドラマを視聴していた。ぽりぽりと煎餅を齧りながら、時折熱い緑茶を口に含む。公爵家で父の仕事を手伝っていた時や、騎士団で調練と書類仕事に追われていた時からは想像も出来ないほどの、のんびりとした時間だった。


 配信に関する事柄はクリスとみぎわに投げっぱなしの彼女は、撮影の予定がない時は基本的にこんな調子である。いざ撮影が始まれば全力で事に当たるが、そうでないときは、およそ公爵令嬢とは思えないほどに怠けるのだ。


 そもそも貴族家の娘というのは、基本的には何もしないのが普通である。他家のお茶会に出席したり、或いはパーティに顔を出してみたりと、自分を磨くことに全力を尽くすのが貴族家令嬢の本来の姿だ。少なくとも帝国には、家の仕事を手伝うような令嬢はアーデルハイト以外にいなかった。多くの仕事を行っていたアーデルハイトが特殊なのであって、彼女が特別怠け者というわけではない。


 だがこれは、他の貴族令嬢と比較しての話だ。こちらの世界に来る以前のアーデルハイトを基準にして考えるならば、やはり今の彼女は怠けているのかもしれない。


 そんなアーデルハイトへと、すぐ隣でSNSの確認作業をしていたクリスが声をかけた。


「お嬢様」


「んー……?」


「新しいジャージ、欲しくないですか?」


 クリスにしては珍しい、なんの脈絡もない問いかけだった。

 質問の意図すら判然としない怪しい一言であるが、それはドラマに夢中だったアーデルハイトを振り向かせるのに十分な一言だった。


「欲しいですわッ!!」


「そうですか」


「そうですわ!」


 アーデルハイトが今着ているのは、こちらの世界に着てすぐの頃、近くのしもぬらで纏めて購入した安物ジャージである。何着か購入したものの、部屋だろうとダンジョンだろうと、基本的にいつもジャージを着ているアーデルハイトだ。流石にほつれやヨレが出始めている。


 そもそもダンジョン内では激しい動きをしているのだから、むしろ今まで良く保ったほうだと言えるだろう。魔物からの攻撃を受けるようなことは殆どないが、だからといって劣化しないわけではない。いくら耐久に優れた動きやすいジャージといえど、アーデルハイトの人間離れした動きの前では無力である。


 クリスが何故このような事を言いだしたのか。

 それは、彼女がつい先程見ていたDMが原因だった。


「実はですね、とあるアパレルブランドから仕事の依頼が来ておりまして」


「アパ……?なんですの、そのいやらしい響きは」


「別にいやらしくありません。要するに服飾ブランドのことですね。価格がちょっとお高めですが、上品かつ華やかなデザインが女性に人気の、比較的新しいブランドです」


「ふぅん……それで?」


 見ていたドラマを一時停止し、アーデルハイトは興味深そうにクリスを見やる。

 あちらの世界でのアーデルハイトは、衣服に対してのこだわりがそれほどなかった。基本的には騎士団の制服を着用していたし、ある時期を境に社交界へも顔を出すことがなくなったからだ。気に入ったアクセサリーを買うことはあったが、それも数える程度でしかない。彼女がそういった方面で自ら購入するものなど、趣味で集めていた手袋くらいのものである。


 そしてこちらの世界に来てからも、基本的にはジャージである。私服を着たのはほんの数回、それこそ内見の時くらいであろう。それすらも、クリスとみぎわが見立てたものだ。アーデルハイトはこちらの世界に来てからも、それほど衣服にはこだわりがないということだ。そんな彼女が唯一気に入っているものがジャージというわけだ。


「そのブランドは様々な服を取り扱っているのですが……高級かつ華やかなブランドイメージの所為か、なかなか売れないジャンルがあるそうでして」


「ある意味、貴族向けの店といったところですわね。そして話が見えてきましたわ……ジャージですわね!?」


「はい。着心地や性能、デザイン性には自信があるそうで。そこで、常日頃からジャージを着ているお嬢様に動画で宣伝をして欲しいと。代わりにジャージをいくつか頂けるそうですよ」


「勿論よくってよー!!」


 迷うことなくそう答えるアーデルハイト。愛するジャージを宣伝することは、彼女にとって苦でも何でもない。むしろ新しいジャージがもらえるというのなら、宣伝くらい喜んでやるというものだ。


 これは異世界方面軍にとって初めてとなる、所謂企業案件であった。

 実は以前から、いくつかの企業からDMでの依頼が来ていたのだ。まだまだトップ配信者とは言えない異世界方面軍ではあるが、勢いだけで言えば凄まじいものがある。ましてや彼女達は探索者だ。昨今の日本では最もアツいジャンルである。インフルエンサーとしての宣伝力でいえば、京都で行った魔女と水精ルサールカとの共同探索の時点で既に十分だったといえる。


 それに加えて、アーデルハイトの圧倒的ともいえるビジュアル。あちらの世界で多くの貴族達を骨抜きにしたその美貌は、こちらの世界に於いても健在だ。むしろ堅苦しい立場から開放されたおかげか、近頃の彼女は溌剌としていて更に魅力を増しているとすら思える。

 超が付くほどの美人でスタイル抜群、そしてここ最近は登録者数も一気に増えた。そんなアーデルハイトの元に宣伝の依頼が来るのは、ある意味当然だったのかもしれない。


 ちなみにだが、クリスにもいくつか案件が来ていたりする。彼女はいつもメイド服を着用しているせいか、主に食品や調理器具関係のものが多い。

 つい先日紹介されたばかりのみぎわにはまだ来ていなかったが、もしかするとこれからは彼女にもなにかしらの依頼がくるかもしれない。尤も、彼女の場合は商品の宣伝よりも、魔法によるマッピング依頼が殺到しそうだったが。


「では、承諾の返事をしておきますね」


「わたくしにお任せなさい!!ジャージさえあればそこらの魔物程度、いくらでもブチのめせるということを教えて差し上げますわ!!」


「普通に部屋での撮影だと思いますよ……真似する人が出てくると問題になりますので。というか、性能云々は恐らくスポーツ等での用途の話です。あちらも『是非うちのジャージを着てダンジョンへ』とは思っていないでしょうから」


「ダンジョンでも使えたほうが人気は出ますわよ?」


「死人も出ますが」


 クリスはそうツッコミを入れるとPCへと視線を戻し、返信の文面を考えに戻る。

 どこかズレた考えのアーデルハイトはさておき、こうして異世界方面軍にとって初めてとなる企業案件が決まった。探索者である彼女達が初めて宣伝する商品が、剣や槍、防具等のダンジョン必需品ではなく、ただのジャージというのがとても彼女達らしかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る