第173話 迷子二人

 軽井沢ダンジョン九階層。

 アーデルハイトとクリスに遅れること暫く、二人の迷子が道なき道を歩いていた。


「なァ、旦那」


「なんだ」


「何処よココ」


「知らん」


 小枝を踏み、ぱきり、という小気味のいい音を立てながら、ウーヴェが振り返ることなくレベッカに返事をする。二人はダンジョンに入ってすぐ、アーデルハイト達とはぐれてしまっていた。ウーヴェはダンジョンに入るなり、自信満々といった様子で魔物に突撃していき、倒し、そしてまた次の魔物へと突撃した。そんな事を繰り返している内に、いつの間にか道に迷ってしまったのだ。そんなウーヴェを師と仰ぐレベッカもまた、彼を追う内に道が分からなくなっていた。


「一応聞いておくんだけどよォ」


「なんだ」


「異世界にもダンジョンってあるんだよなァ?」


「ああ」


 ぶっきらぼうにそう答えながらも、ウーヴェは歩みを止めない。彼はあちらの世界に居た頃から、常に強者を求めて世界中を放浪していた。当然ながら旅には同伴者などおらず、ずっと彼一人であった。故にというべきか、彼は会話が得意な方ではない。無愛想に見えるこの問答も、別段機嫌が悪いというわけではないのだ。


「旦那はダンジョンとかよく潜ってたのか?」


「……いや。専ら外の魔獣と戦っていたな」


「はァん……つーとアレか。なんか理由があって先行したって訳でもねェのか?」


「……俺を何だと思っている。ちゃんと魔物が居ただろう」


「ははァん……」


 ウーヴェの脳筋まっしぐらな回答に、レベッカはなにやら得心がいった様子だった。レベッカは粗野な言動が目立つものの、こう見えて脳筋ではない。ウーヴェと違い、探索の心得もちゃんと持ち合わせている。故に、探索者としてはご法度とされているウーヴェの独断専行にも、何か逸脱者にしか分からない理由があってのことだと考えていたのだ。アーデルハイトやウーヴェのような域に達した者達には、彼等にしか見えていない何かがあるのだろう、と。見ている景色が違うとでも言うべきだろうか。自分達とはまるで違う、どこか特別な存在であるかのように。だがそんな彼女の考えは、しかしまるで的外れであった。


「何だ。その微笑ましいものを見るような目をやめろ」


「いやァ、旦那や姫さんみたいな強者でも、やっぱ人間なんだなァと思ってよ」


「当たり前だ。俺が獣人にでも見えるというのか。奴らは人間よりも身体能力が高く、何より鼻が利く。手ごわいぞ」


「そういう意味じゃねェけどよ」


 微妙に食い違ったウーヴェの答えに小さく笑いながら、レベッカは煙草に火を付ける。足元には枯れ葉の絨毯が広がっているが、ダンジョン内の植物は煙草の火程度で燃えることはない。


 ウーヴェを師と仰ぎ、彼のバイト先であるロイバに足繁く通うこと暫く。レベッカは大凡、ウーヴェという男の性格を掴み始めていた。ウーヴェは意外と面倒見がよく、かつ基本的には真面目な男だ。しかしその真面目さが、残念ながら空回りしている。というよりも、感性が微妙にズレている。異世界出身であるが故に仕方ない部分もあるが、察するにあちらの世界でも浮いていたのではないだろうか。そう思わせる程に、ウーヴェの顔と行動は一致していなかった。


 彼の性格を一言で言い表すのなら『真面目な馬鹿』とでもいったところだろうか。


「そういやァ、旦那は探索者資格は取らねェのか?」


「む……冒険者登録のようなものか?」


「多分な。旦那なら余裕でテッペン狙えるだろ?ライバルになりそうなのが姫さんしかいねェしよ。金も稼ぎ放題じゃねェのか?」


「店が忙しい。つい先日、厨房にも入るようになったからな。給金も上がったぞ」


「ほーん……」


 どこか誇らしげに、レベッカの問いに対してそう答えるウーヴェ。レベッカに言わせれば『金の稼ぎ方間違ってるだろ』としか思えない。ファミレスの店員など、精々が時給千円前後といったところだろう。ウーヴェの実力を考えれば、ダンジョン探索をしたほうが間違いなく稼ぎになる。だが満足そうなウーヴェの表情を見れば、それを言葉にするのは少々躊躇われた。


「そういやァ、アタシの腕は旦那から見てどうよ?ここ最近、かなり強くなった

 と自分では思うんだけどよ」


「む……動きの無駄が、少しずつだが減ってきている。初期の頃よりは随分マシになった」


「おっ、そりゃァ嬉しいねェ」


「だがまだまだだ。俺や剣聖と戦えば十秒と保たんぞ」


「異次元レベルのバケモンと比べられりゃァなァ……」


 口から大きく煙を吐き出し、レベッカが肩を竦める。こちらの世界でもトップクラスの実力を誇る彼女であったが、しかし異世界最強クラスの二人と比べられては分が悪い。無論彼女とて、いずれはその域にまで辿り着きたいと考えているが。


 そんな雑談をしながらも、二人は森の中をずんずんと進んでゆく。特に魔物を警戒するわけでもなく、ただ前へ前へと。もっといえば、次の階層への道のりすらも分からぬままに。そんな二人の眼前に、ふと三体の魔物が姿を見せた。東海林が間引いたのは正規ルート周辺の魔物だけであり、二人が今居るフロアの外れなどは全くの手つかずだ。故に、これまでにも戦闘を何度か行っていた。


「おっ、ありゃァ宿木鹿ミスラじゃねェか」


「見るからに弱そうだな」


「いやいや、旦那達からすりゃァそうかもしれねェが、あれで案外馬鹿に出来ねェんだぜ?探索者になったばかりの初心者なんかにゃァ、結構危険な相手だ」


「こちらの世界の人間は随分と軟弱だな……」


 レベッカが宿木鹿ミスラと呼んだ魔物は、見た目だけで言えば少し大きな鹿にしか見えない。だがその一方で、周囲の植物を操る能力を持っている。初心者などはその魔法じみた見慣れぬ力の対応に苦慮し、そのまま撤退を余儀なくされることも多い。


 こうした特殊な能力を持つ魔物というのは、ダンジョン内ではそう多くは確認されていない。京都ダンジョンに出現する『女王蟻ミストレス』などが有名だろうか。かの魔物は地形に干渉する能力を有している。残念ながらアーデルハイトが戦った際には、その能力を発揮することなく一撃で葬られてしまったが。何れにせよ、そこらの子鬼ゴブリンを相手にするのとは訳が違うのだ。


「この程度では軽い運動にもならんが……」


「んじゃァ、ここはアタシにやらせてくれよ。旦那が見つけ次第ぶっ殺す所為で、ずっと退屈だったンだよなァ」


 魔物に向かって歩き出そうとしたウーヴェを制し、レベッカが前に歩み出る。咥えた煙草を風に燻らせながら、手にした大剣を軽々と振り回して見せる。


「……いいだろう」


「うっし。それじゃァ、成長したアタシの腕を見せてやるぜ」


 言うが早いか、レベッカが靭やかな足取りで魔物達の元へと駆け抜ける。その速度は成程、確かに以前よりも鋭いように見えた。こうして魔物を処理しつつ、迷子の二人はアーデルハイト達の後を追う。凸凹師弟と思われた二人であったが、存外上手くやっている様子であった。

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