第172話 殺す気か
全身から血を流し、一体の
(よし、我ながら悪くねぇ)
梟熊の血に濡れた、真新しい短剣を腰元の鞘へと収める。東海林はミイラ取りがミイラにならぬよう、慎重にここまで進んできた。決して無理はせず、罠を回避し、魔物との戦闘は一対一を心がけて。経験豊富なベテラン探索者である彼は、ダンジョン内で最も大切なことをしっかりと理解している。当然、娘が危機的状況にある今もそれは変わらない。多少の焦りはあるが、しかしそれでも彼は冷静だった。
所属していたパーティが解散して以降、惰性と倦怠の海に沈んでいた東海林。腕は錆びついて久しく、身体は鈍る一方だった。だが、アーデルハイトと出会ったあの日から彼は変わった。かつての力を取り戻すため、初心にかえり一から鍛え直した。そうして数ヶ月、レベルアップこそしてはいないものの、彼はかつての動きを大凡取り戻すことに成功していた。
そればかりか彼自身、僅かなりとも以前より強くなっている気配すら感じている。原因はいくつかあるだろうが、その最たるものは間違いなくアーデルハイトとの出会いにあるだろう。良くも悪くも、あの規格外の令嬢から得たモノは大きかった。
(新調したコイツもよく馴染む。やっぱ高ぇだけあるなぁ……)
腰に佩いた短剣は、アーデルハイトに協力した際に得た資金で購入したものだ。これは魔物由来の素材で作られたものではなく、『
素材そのものが希少、かつ加工が難しい。それ故、個人の探索者が持つ武器としては非常に高額な代物だった。薄っすらと赤く発光するそれは、ファンタジー世界にありがちな『燃える剣』などというものではない。だが強度、切れ味ともに申し分なく、強固な魔物の表皮さえも軽々と切り裂けるだけの性能を有している。
なお参考程度ではあるが、世界的探索者であるレベッカの大剣は魔物素材で作られており、日本円にして1000万円近くするのだとか。閑話休題。
そんな東海林は正規ルートを
そんな戦闘が本職ではない彼が、しかし戦闘自体は積極的に行っていた。複数の魔物を相手にしなければならない場合こそ避けるものの、一対一の場面では出来る限り魔物を間引いてきた。
(さて、嬢ちゃん達は今どの辺かね……そろそろ追いつかれてもおかしくねぇ気もするが……もう少し積極的に間引くべきか?先走った手前、ただ追いつかれるのも情けねぇし……)
かつての彼であれば苦戦したかもしれない梟熊も、新装備の威力もあって危なげなく勝利を収めることが出来ている。東海林の戦闘スタイルが梟熊に対して、好相性だったということもあるだろうが。
それも全ては、後続のアーデルハイト達が素早く進めるようにする為だ。彼女達の到着こそ待てなかったものの、しかし自分一人で救出が出来るなどとは東海林も思ってはいない。先に到着した時間的猶予を有効に使う為、彼はこうしてルートをクリアしながら進んでいるのだ。
(まぁ、要らん世話な気もするが……やらねぇよりは幾らかマシだろ)
数秒の思案の後、東海林はルートクリアに重点を置くことを決める。アーデルハイト達がこの程度の魔物に苦戦するなどとは到底思えないが、しかし、ほんの少しでも早く進めるように。
(よし───あ?)
そうして東海林が再び歩みを進めようとした時だった。彼の後方から、大きな爆発音が聞こえてきた。木々が激しく倒れる音と、彼の位置からでも見て取れるほどの砂煙。それが何を意味するのか、過去に身を以て体験していた東海林にはすぐに理解出来てしまった。
そして次の瞬間、彼の眼前を凄まじい速度の『何か』が掠めていった。目と鼻の先、あわや顔面直撃かと思う程ギリギリの軌道だ。突如訪れた命の危険に、どっと冷や汗を流す東海林。直後、木々をなぎ倒しながら飛来した『それ』が、一際巨大な樹木に着弾する。巻き上がった砂煙と爆音は、先程東海林が目撃したそれと全く同じものであった。
「ぅぉ……危っ……」
絞り出すような声で呟く東海林を他所に、『それ』がゆっくりと起き上がる。まるで水浴び後の犬のようにぶるぶると身を震わせ、きょろきょろと周囲を見回し、そしてすぐに東海林の姿を認め───ふすっ、と鼻を鳴らした。
「お肉ちゃーん!どうですのー!?」
遠く後方から、『それ』の飼い主の声が聞こえてくる。言わずもがな着弾したのは肉であり、聞こえて来たのはアーデルハイトの声である。察するに、どうやら肉を投擲して索敵を行っているらしい。危うく死にかけた東海林からすれば堪ったものではない、ひどく非常識な索敵であった。
東海林が凍りついている間に、肉はトコトコと小走りで後方へと戻ってゆく。そうして数分後、アーデルハイトとクリスの二人が、なぎ倒された木々の間から姿を現した。
「あら?あらあら?───漸く見つけましたわよ!!」
「思いの外時間がかかりましたね……ともあれ、合流出来て何よりです」
などと言いながら呑気にハイタッチをする二人。東海林としても合流は願ったり叶ったりではあったのだが、しかし合流を喜ぶその前に、言っておくべきことが一つあった。
「───殺す気か!!」
* * *
一頻りクレームを入れた後、東海林はアーデルハイトに問いかけた。合流出来たはいいものの、東海林が先に聞いていた話と状況が異なっていたからだ。
「それで、来たのは嬢ちゃん達だけか?まぁ戦力的には十分だろうが……電話では助っ人を連れてくるとか言ってた気がするんだが……?」
そもそもアーデルハイトから連絡を受けるより以前に、東海林はここ軽井沢ダンジョンに向けて出発していた。既に今回の件はネット上でもニュースになっており、それを見た時から、彼は既に行動を開始していたからだ。そうして移動中にアーデルハイトからの連絡を受け、現地で落ち合うことになった───東海林は待ちきれず先にダンジョンへ入ってしまったが───というわけだ。その際、彼は助っ人を連れて行くと聞かされていた。だが、今こうして合流したのはアーデルハイトとクリスの二人のみ。まさか肉を助っ人扱いしているわけでもあるまいし、一体どういうことかと疑問に思ったのだ。
「はぐれましたわ」
「は?」
「はぐれましたわ。一層で」
「早すぎんだろ……」
どうやら助っ人はちゃんと居るらしい。だが、あまりにも早すぎる別れであった。
「何が『ふん、俺が根絶やしにしてやろう』ですのよ。何の役にも立たないではありませんの……」
「魔物を見つけたと思ったら、秒で居なくなりましたよね……元より方向音痴なウーヴェさんはともかく、レベッカさんまで消えるとは……」
「まぁ、あのお馬鹿二人は放っておいても問題有りませんわ。二手に別れたほうが、ある意味好都合かもしれませんし」
当時の様子を思い出したのか、頬を膨らませてぷりぷりと憤慨してみせるアーデルハイト。助っ人に来ておいてこれでは、アーデルハイトが怒るのも無理はない。流石のクリスも呆れているのか、どうやらフォローする気にはなれないらしい。
「おぅ……俺にはよく分からんが……」
「それよりも、ですわ。おじさまが魔物を間引いてくれたおかげで、ここまでスムーズに進むことが出来ていますわ。この調子でさっさと
「お、気づいてたのか。そりゃやった甲斐があったな」
「勿論ですわ。へのつっぱり程度には進軍が早くなってましてよ」
「一言余計なんだよなぁ……」
ともあれ、無事に合流を果たしたアーデルハイト達と東海林。早々にはぐれた助っ人や、あわや東海林が死にかけるなど、いくつかのハプニングはあったものの進行具合は概ね良好だ。とはいえのんびりもしていられない。三人は15階層へ向け、先を急ぐのであった。
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