第287話 乳で見えん

 異世界方面軍一行は、敢えて飛行機ではなく新幹線を選んでいた。神が集うとされる旧暦の十月、神在月を狙うならばいざ知らず、今は一月だ。今回の遠征は特別急ぐ理由もない。となれば折角の遠出だ、旅行がてらに回り道をして向かおう、というのが彼女らの魂胆である。


「わたくしが華麗に窓際をゲットですわ!」


「ぐぬぬ」


 4人用のコンパートメント席、その窓際の席へと、アーデルハイトが軽やかに腰を下ろす。その向かい、つまりはもう一つの窓際席では、既にみぎわが陣取ってビールの缶を開けていた。


「いやぁー、たまにはこういうのもいいッスねぇ」


みぎわにはいつも運転して貰っていますからね。日頃の労いも込めて、今回はお酒も許可します」


「やったぜ!」


 クリスからの許しを得たことで、憚るものはなにもなくなった。備え付けのテーブルの上に、つい先ほど購入したつまみ類と、何故だか木魚を広げるみぎわ。ついでに肉と毒島さんもまろび出た。形の上では一応ダンジョン遠征である筈なのに、もうすっかりと旅行気分である。


 近頃は随分と数を減らしたコンパートメント席だが、ここ数年間で徐々に復活しつつある。理由はいくつかあるが、そのうちのひとつは探索者協会の存在にあった。探索者の基本的なパーティ人数は四人。つまりはパーティ単位で利用しやすいよう、協会が鉄道会社へと働きかけたのだ。新幹線での移動中にも、パーティ間で会議や打ち合わせが出来るようになれば。全国各地のダンジョンへと、気軽に足を伸ばせるようになれば。そうすることで、各地の支部も盛り上がるのではないか。そういった狙いの試みだった。


 多くのダンジョン資源を保有している協会だ。人材不足はともかくとして、こと資金面に於いては潤沢であったから。一種の業務提携といったところか。結果としてこの計画はある程度の成果を収め、探索者の遠征率は徐々に伸び始めているらしい。


 とはいえ、これによって不人気ダンジョン問題が解消されたかといえば、実はそうではない。どこぞの異世界人達がやらかした伊豆ダンジョン制覇と、正体不明の何者かによって成された軽井沢ダンジョン。資源採掘用ダンジョンと化したこの二箇所のおかげで、ここ最近の遠征人気には偏りが出てしまっているそうだ。そうそう上手くいかないものである。


「アーデ、もうちょっと詰めて。外見たい」


「お断りですわー! ここからここまで、わたくしの高貴領域ノーブル・ワールドでしてよ! 下賤な納豆お化け如きが、侵入すること罷りなりませんわ!」


 アーデルハイトの隣に陣取ったオルガンが、ぐいぐいと身体を押し付ける。如何に半個室の四人席といっても、それほど大きな余裕がある訳では無い。


「ちょっと! どこを触っていますの!?」


「乳で見えん」


「あら、ごめんあそばせ」


 どうやらアーデルハイトには退くつもりがないらしい。しかしそうは言いつつも、偉そうに仰け反っていた姿勢を正し、ほんのちょっぴりと乳を引っ込めた。車窓を流れる雪景色が漸く見えたことで、オルガンも満足げな表情を浮かべる。雪景色自体は珍しいものではない。むしろ景観の美しさだけでいえば、冬季のエルフの森のほうが幻想的で美しくさえある。天を衝くほどの大樹と、それらの合間をキラキラと舞う細氷ダイヤモンドダスト。それを見るためだけに、わざわざエルフの森を訪ねる人種もいる程だ。


 しかしオルガンにとって、それは見慣れた光景のひとつに過ぎない。そんなものよりも、乳越しに高速で流れゆく景色の方が、余程新鮮で興味深いものだった。


「あー、やっぱりまずは温泉ッスかね? 斐乃上ひのかみ温泉は絶対行くッス!」


「いいですね。日本三大美肌の湯でしたか。遠征の度に温泉へ行っている気もしますが」


「もうダンジョン遠征なのか温泉遠征なのかわかんねーッスね。あとは、銀山温泉もいつか行ってみたいッス! あそこ絶対配信ウケいいでしょ」


「ライトアップされた写真をよく見ますが、綺麗ですよね。ああいった雰囲気はなかなかありません。こちらの世界ならでは、だと思います」


 クリスとみぎわなどは、早くも次の遠征先を選定する始末であった。選定理由がダンジョン云々ではなく、温泉ありきの理由だというのがなんとも言えない。とはいえ、乗り換えを行う岡山まではたっぷり三時間ほどかかる見込みだ。最初から仕事の話をしていてはつまらないというものだろう。


「では、わたくしは少し休みますわよ」


「おい」


 もう景色に飽きたのだろうか。颯爽と窓際の席を占領した癖に、早くも就寝しようとするアーデルハイト。当然ながら、オルガンからは抗議の声が上がる。しかしアーデルハイトは聞く耳を持たず、ゆたんぽ代わりの肉を脚の上に乗せ、そのままシートへと背中を預けた。


「ぐぬぬ」




      * * *




 京都駅にて、新幹線へと乗り込む二人組の姿があった。


「温泉楽しみだねぇ!」


「だねー!」


 ダンジョン入場は解禁されたといっても、まだまだオフシーズンだというパーティは多い。この二人もその例に漏れず、少し長めオフシーズンを満喫していた。日頃から命がけでダンジョンに潜っている探索者だ。戦いの合間の、ちょっとした一息。旅行は数少ない癒やしのひとつといえるだろう。


 羽織っていたコートを脱ぎながら、くるるは自分の席へと向かい始めた。彼女らが取った席は最後尾だ、わざわざ探すまでもない。車内に乗り込めば温かいが、しかし外は現在雪がちらついている。その寒暖差にぶるりと肩を震わせたくるるは、ひとまずトイレに向かおうと考えた。


「ごめん、ちょっと先トイレ行ってくる!」


「おっけーおっけー。席で待っとくー」


 同行者へと軽く手を振りながら、そのまま座席とは反対方向のトイレへ。その後、改めて自らの座席へと向かう。


「やー寒い寒い。ごめん、おまたせ────おろ?」


 そうして席までやってきたくるるが見たものは、何やら奇行に走る同行者────茉日まひるの姿であった。自分たちの座席の更に後方、個室スペースの前で仕切りに耳を当て、何やら聞き耳を立てている様子。当然マナー違反、というか常識を疑う行為であった。


 しかし、少々イカれた知り合いが多いくるるにとって、茉日まひるは数少ない常識を持った友人である。何の理由もなく、このような行動に出るとは考え難い。一体どういうことかと訝しみながらも、くるる茉日まひるに声をかけた。


「え、茉日まひるちゃん何してんの?」


「うぇあぁ!? びっくりしたぁ……あ、くるるちゃんおかえり。いや、その……マナー違反だってのは分かってるんだけどさ……ちょっとくるるちゃん、耳澄ましてみて?」


「おん?」


 コンパートメント席とは、完全な個室ではない。仕切りで区切られているものの、その仕切りの上部は空いている。そこから僅かに漏れ聞こえる声が、どうやら茉日まひるには気になったらしい。理由もわからぬまま、くるるは言われた通りに耳を澄ましてみる。そうして聞こえてきたのは、酷く聞き覚えのある声だった。会話の内容こそ聞き取れないが、この声は─────。


くるる茉日まひるが、ゆっくりと顔を見合わせた。


「これアーちゃんじゃない?」


「だよね」




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