第48話 即席の焼豚

 時間は少し遡る。

 アーデルハイトが勢いよく飛び出していった一方で、入り口周辺でも戦いは続いていた。魔物の群れを飛び越えてゆく自らの主の姿を眺めつつ、クリスもまた行動を開始する。


 視聴者達の誘導で25階層へと向かっている間、魔女と水精ルサールカ側の状況もコメントで逐一報告されていた。どうやら彼女達は中々の危機的状況にあるらしく、二人は到着してすぐに戦闘へと突入することが予想された。そういうわけで、アーデルハイトとクリスの二人は道中の魔物を蹴散らしながら、到着後の方針を既に決めていたのだ。


 とはいえ、二人は魔女と水精ルサールカ側の状況をその眼で確認しているわけではなく、視聴者から齎される断片的な情報でしか知らなかった。

 率直に言えば、魔物は対して問題にはならないだろう。視聴者曰く、その場に居るのは豚人オークや装甲蟻、そしてそれらの取り巻きのように集まったゴブリンやコボルト等である。その程度であれば、あちらの世界で幾度となく蹴散らしてきたのだ。

 問題があるとすれば最後尾から彼女達を追い回す死神リーパーで、殿を務めるスズカの限界が目に見えて近いということだろう。


 そういった大まかな状況を聞いた上で、アーデルハイトは作戦を立案した。それこそが『わたくしが死神、クリスは残り全部作戦』である。あまりにも雑に聞こえるその作戦には当然視聴者達から懸念の声が上がったが、戦地で立てる作戦など所詮はこんなものである。現場の状況は刻一刻と変化するものであり、臨機応変な対応こそが第一に求められる。仔細な作戦を練ったところですぐに瓦解するのが目に見えているのだ。面倒になったアーデルハイトが適当に言った訳では断じて無い。


 ちなみに、この作戦を聞いた異世界方面軍ファン達は大いに湧いた。理由は勿論クリスだ。これまで彼女は初回のアクシデントでカメラに映っただけで、それ以降は手の一部などが映るのみであり、カメラの前で彼女がまともに姿を晒すことはなかった。それが漸く見られるとなれば是非もないだろう。

 しかしその後、念のために持ってきていた追尾カメラをアーデルハイト側につけると聞いた視聴者の一人が、『じゃあクリスの方は誰が撮るんだ?』とコメントをした時の視聴者達の落胆ぶりは凄まじかった。死神との戦いは勿論見たい。しかしクリスの姿も見たい。そんな欲張りな視聴者達は、皆一様に配信画面の向こうで身悶えることになったのだった。閑話休題。


 ともあれ、クリスに課せられた任務は『死神以外の全部』である。当然ながら敵を全て始末しろなどという指示ではない。要約すれば、スズカ以外のメンバーを救出しろということだ。


「遅くなりました!!」


 敵の包囲をどうにか抜け出したクオリアと、彼に抱えられた紫月しずくへとクリスが駆け寄る。見れば二人とも傷を負っており、これまでの死闘が容易に想像出来てしまう。特にクオリアの怪我が酷かった。恐らくは紫月しずくくるるを庇って最前線に立ち続けたのだろう。細く引き締まった美しい筋肉には無数の切傷が刻まれ、額からも血を流している。


「クリスさんか!!助かる!!」


 救援に来たクリスの姿を見て安堵したのか、クオリアは限界を迎えた足を引きずりながら紫月しずくを下ろした。体力を限界まで消費した紫月しずくだが、しかし震える足でどうにか立ち上がりすぐさま後方を振り返った。そうして今しがた自分達が抜けてきた隙間が既に魔物で埋め尽くされているのを認めると、泣きそうな顔でクリスへと懇願した。


「まだスズカとくるるが残ってる!!助けて!!」


 感情を表に出すことがなく、常に冷静だった紫月しずく。今日初めて出会ったばかりの短い付き合いだが、それはクリスを驚かせるには十分すぎる程の叫びだった。紫月しずく魔女と水精ルサールカメンバーの中でも特にくるると仲が良い。そして最年少である彼女にとって、スズカは姉のような存在だ。そんな大事な二人が死地に残っているというのに無表情で居られるほど、彼女は冷酷な人間ではなかった。

 今にも泣き出しそうな、否、既に瞳を涙で濡らしている紫月しずくを宥めるように、クリスは彼女へと微笑みかける。


「大丈夫、スズカさんのところへはお嬢様が向かいました。万に一つもありませんよ。そしてくるるさんは───」


 一体何処から取り出したのか、クリスの両手にはいつの間にか黒い単剣が握られていた。まるで十字架のような形状をしたそれは片手剣にしては短かく、短剣と呼ぶには些か長い。先端に向かうにつれ鋭く尖ってゆく刃が特徴的な、こちらの世界ではあまり見慣れぬ武器だった。


「私にお任せを」


 そう言い残してクリスが駆け出した。その速度は凄まじく、接近戦が得意なスズカやクオリアよりも余程速い。それどころか、斥候として魔女と水精ルサールカ内でも一番の速度を誇るくるるよりも速かった。アーデルハイトには流石に劣るものの、やはり彼女もまた異世界の人間ということだろう。まして彼女は、アーデルハイトの従者として勇者パーティにも追従していたのだ。何の戦闘力も持たないただのメイドであるはずがなかった。


 主人であるアーデルハイトの動きが流水や舞う花弁のようだとするのなら、クリスの動きはまるで影だった。極端な前傾姿勢で駆け抜ける彼女の足音は、紫月しずく達には微塵も聞こえていなかった。ただの一足で大きく横に逸れ、瞬く間に敵の視界から姿を消して。

 無音の歩法と低い姿勢、そして希薄な気配。側面から接近するクリスの姿を捉えている魔物など一体も居らず、その視線は未だクオリアと紫月しずくへ向けられていた。そうして『ぬるり』と敵の背後へと忍び寄り、一番手前に居た豚人オークの頚椎へと短剣を躊躇なく突き刺した。


 彼女の武器は所謂『スティレット』に近いだろうか。別名『ミセリコルデ』などとも呼ばれるそれは、敵の鎧や装甲の隙間を突き刺すための武器である。リーチが短く、専らトドメの一撃用に使われる珍しい武器だ。

 しかし、強いて言えばスティレットに近いというだけで、よくよく見ればクリスの持つ双剣にはいくつか異なる部分があった。通常のスティレットであれば持ち手の方が先端に比べて短く、また突き刺す為の武器であるが故に刃が付いていない。しかしクリスの短剣は持ち手と刃の比率が丁度半々であり、そして両刃であった。


 これはあちらの世界に於いても珍しい、というよりもクリスしか使用者が居ない武器だ。彼女が自ら鍛冶師に依頼して作ってもらったそれは、彼女が考案したオリジナルの武器だった。

 彼女は魔法使いキャスターではない。錬金術師アルケミストでもない。当然ながら剣士でもないし、偵察者スカウトでもない。確かに彼女は錬金魔法が得意だし、攻撃魔法や補助魔法も一通りは習得している。しかし、こちらの世界に来てからの彼女を見れば忘れてしまいそうになるが、彼女の本職は使用人メイドなのだ。


 メイドである彼女はそうおおっぴらには武器を携帯出来ない。故に彼女は、携帯していても言い訳の効く武器を求めた。つまりは日常生活でも使い道がある形を欲したのだ。そうして悩みに悩んだ結果、今彼女の握っている双剣へと行き着いた。左右の重量バランスが均一なほうが鍋の蓋を抑えやすい。刃が付いている方が庭木や花壇の手入れがしやすい。掃除中に扉を開けっ放しにする際、ドアに噛ませておくのに丁度良い。布の裁断も出来る。


 結局、完成した双剣を実際に家事で利用することは殆どなかったが、クリス本人は双剣の出来に満足していた。後に、アーデルハイトの父であるエスターライヒ公爵から『別に武器を持っていても構わない』と聞かされた時は白目を剥いていたが。武門の家柄である公爵家の所属で、アーデルハイトの護衛も兼任している専属使用人なのだから当たり前といえば当たり前の話である。


 制作理由はどうあれ、正確に敵の弱点を貫くクリスの技量と相まって、それは武器として十分な殺傷能力を持っていた。豚人の首から血が溢れ、直後に勢いよく吹き出した。既に絶命しているのは一目瞭然で、その眼にも止まらぬ早業を遠目から見ていたクオリアと紫月しずくは驚きを隠しきれなかった。


「……姫様もアレだけど、あの人も相当ヤバいわ」


「……同感。えげつなさで言えばクリスさんのほうが上かも」


 当のクリスはといえば、仕留めた相手を一顧だにすることなく次の獲物へと襲いかかっていた。右手で短剣を振るえば豚人の血が溢れ出し、左手を突き出せば装甲蟻の関節が圧し折れる。急所のみを狙い最低限の動きで敵を無力化し、リスクを負うこと無く最大限の成果を上げる。そんな彼女の姿は正しく影、或いは暗殺者アサシンのようであった。あちらの世界に於ける一般的なメイドがこの光景をみれば、卒倒すること間違いなしである。


 そうしてクリスは魔物の群れを縫うようにして奥へ奥へと進んでゆく。手際に一切の無駄がない故か、くるるの元まで辿り着くのにそう時間はかからなかった。

 魔物の群れの中で地に倒れ伏しているくるるは、どうやら脚を負傷しているらしい。恐らくは最後の突破を図った時に負った傷だろう。血を流し、痛みに耐えるように苦悶の表情を浮かべている。


「っ!!」


 そんなくるるへと、今まさに武器を振り下ろそうとしている魔物の姿がクリスには見えた。それはただの豚人ではなく、一回り大きな個体だった。通常の豚人と比べれば身体の色が少し黒ずんでおり、一目で上位豚人ハイオークだと理解る。振り上げた手に握っているのは粗雑な木の棍棒であったが、しかし人間の命を奪うには十分過ぎる凶器だ。彼我の距離はおよそ10m、クリスは一気に速度を上げた。


 10mなど、異世界出身であるクリスからすれば無いも同然の距離だ。刹那の内に上位豚人ハイオークの懐へと潜り込み、左手に保持した短剣を真っ直ぐに突き出す。

 豚人とは耐久に優れたしぶとい魔物だ。致命傷を与えたとしても、絶命するまでの僅かな間に棍棒を振り下ろされればくるるは死んでしまう。故にクリスは急所ではなく、まずはその武器を握る手を狙った。

 棍棒を握る両手の、その軸であり支えとなっている左手へと跳躍し短剣を突き刺す。上位豚人ハイオークが耳障りな喚き声を上げ痛みに悶えているのを横目に、そのまま右の短剣を鎖骨の上あたりへと捻り込む。通常の豚人オークならばともかく、上位豚人ハイオークを倒すにはこれでは足りない。肉を抉りながら食い込ませた短剣を握りしめ、そうしてクリスは呟いた。


「”フラム”」


 たった一言だけの呪文、極々シンプルな基本魔法。

 あちらの世界の魔法使いキャスターであれば誰もが使えるであろう、文字通り炎を生み出すだけの初歩的な魔法だ。

 しかし効果は劇的だった。突き刺された短剣の刃、その先端から激しい炎が溢れ出す。炎は上位豚人ハイオークの厚い脂肪の奥から体内を焼き、周囲へ肉の焦げる嫌な匂いを撒き散らす。上位豚人ハイオークの苦悶に悶える一際大きな鳴き声は、そのまま彼にとっての断末魔へと変わっていった。


 そうして出来上がった即席の焼豚から短剣を引き抜き、刃に残っていた僅かな血を落とすようにクリスが血振りを行う。刃にこびりついた脂を見て少し嫌そうな顔をした後、短剣を懐へと戻した。そんなクリスを見上げ、倒れ伏していたくるるが先程の戦いの感想を述べる。


「あはは……クリスさんもめっちゃ強いじゃん……」


「ふふ、ありがとうございます。久しぶり過ぎて、少し鈍っていましたけどね」


 よろめきながらも自力で起き上がろうとするくるるへと、クリスが手を差し伸べた。くるるの傷は致命傷と言うほどではなく、走ることこそ出来ないもののゆっくり歩く程度であれば可能であった。

 とはいえ、この後は更に魔物の群れをかき分けて階層入り口まで戻らなければならないのだ。それを考えれば、くるるの速度に合わせてのんびり撤退というわけにはいかないだろう。いっそくるるを抱えて強行突破をしようかとクリスが考えていた、丁度そんな時だった。先程まで魔女と水精ルサールカのメンバーを包囲していた魔物達が、まるで蜘蛛の子を散らすように逃走を始めていた。


「……さっきの上位豚人ハイオークが群れのリーダーだったのでしょうか?手間が省けましたね」


「ぽいね……あはは、ラッキーだったね」


「ですね。それじゃあ、紫月しずくさん達の元まで戻りましょうか。私がお姫様抱っこしてあげますよ」


「いやぁ……それは恥ずかしいなぁ」


「そうですか?お嬢様はお姫様抱っこしてあげると喜んで高笑いしますよ?」


「あ、それはちょっと見てみたいかも……めっちゃ画になりそう!」


 そんな下らない軽口を叩きつつ、結局くるるはクリスに抱えられて入り口まで戻る羽目になった。顔を羞恥に染めたくるるのそんな姿を見た紫月しずくは、先程までの泣きそうな顔など微塵も見せずにくすくすと笑っていた。一方、酷い怪我を負っているというのに隣でゲラゲラと大笑いしていたクオリアは、最後の力を振り絞ったくるるの鉄拳を受けることとなったのだった。


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