第49話 歩く猥褻物
「いやー、良かった良かった」
PCに映る配信画面を眺めながら、協会の食堂でカレーを食べていた
彼女は配信開始からずっと、ダンジョンに潜っているアーデルハイトとクリスの様子を確認していた。目を離したのはカレーを注文した時と飲み物を注文した時、そして予備バッテリーを車まで取りに行った時と、あとはトイレくらいのものだ。目を離し過ぎである。
気がついたときには既に分断後で、死神出現時の
「流石というべきか、やはりというべきか。こと戦闘に関してはあの二人を信じておけば間違い無いッスねぇ」
少々浮世離れしたような発言の多いアーデルハイトだが、その根底にあるのは溢れんばかりの自信だろう。アーデルハイトのこれまでの人生は率直に言って特殊だ。幼少の頃から自らの力で道を切り拓いてきた彼女は、きっと誰よりも自分を信じている。一度決めた自らの判断を疑わないし、それを成し遂げるための努力を惜しまない。
あの若さで数千の騎士を束ねる騎士団長という役職に就き、果ては世界中に名を轟かせる剣の頂点、剣聖ですらあるのだ。彼女はただの世間知らずな公爵家令嬢ではなく、周囲の言いなりになるような
大まかなこれまでの経緯を聞いただけに過ぎないが、
一方、クリスの本質は恐らく献身にある。彼女は誰かに尽くすことでその才を発揮する。そしてその『誰か』とは言うまでもなくアーデルハイトで、クリスは彼女を支えるために全てを賭けている。幼少期から共に居た所為もあってか、二人は互いを補い合うように出来ている。主であるアーデルハイトの為ならば躊躇することなくその身を
もしも本当に不味い状況だったのならば、アーデルハイトが余裕の表情を浮かべることなどないだろう。もしもアーデルハイトの判断が間違っていたのなら、クリスがそれを正すだろう。そんな二人が焦って居ないのだから、恐らくは本当に大丈夫なのだ。戦場に於いて、異世界という過酷な環境で生きてきた二人の下した判断ならばきっと間違っていない。
ともあれ、そういった理由から
「あの、双海さん」
「んぉ?」
そんな風に
「すみません、ちょっとご相談がありまして」
「はいはい、何スか?」
「実は、先程の戦闘で
「ありゃ、そりゃ大変っスね。んじゃこっちの映像を回せばいいッスかね?二つの配信で同じ映像を流す事になっちゃうッスけど、何も無いよりはマシでしょ」
「助かります!迷惑をかける分のお金はちゃんとお支払いしますので、是非よろしくお願いします」
「ちなみになんスけど、いつ頃から映ってないんスか?」
「丁度そちらのお二人が現場に着いた辺りから厳しい状態でした。どうやら自律AIもやられたみたいで、殆ど定点カメラ状態です」
「あちゃー……ってことは戦闘シーンも?」
「配信映像としてはゴミ同然ですね……辛うじて状況が分かる程度で、あとは殆どスズカさんのケツしか映ってません」
スタッフからその話を聞いた時、
そんなカメラの状態では
そう思う反面、クリスという隠し玉があちらのカメラに映っていなかったことを喜ぶ自分も居た。ここまで来ればクリスも演者として使っても良い気はするのだが、仮にそうするにしてもやはり最初は異世界方面軍の配信で使いたい。
(んー……ま、こっちも慈善事業でやってるわけじゃないし、仕事ッスからね)
そもそもコラボとは互いの合意の元で、双方がメリットを求めて行っているのだ。謂わば配信業というビジネスの一環であり、過度な気遣いなどビジネスには必要ない。あまり相手を気遣い過ぎればそれこそ一方的な施しとなってしまうだろう。
そうすぐさま割り切って思考を切り替えられる程度には、
「とりあえず映像はそっちに飛ばしておいたんで、あとは適当にやっといてほしいッス」
「ありがとうございます!」
断られるとでも思っていたのだろうか、随分と安堵したような表情を浮かべて男性スタッフが
「歩く猥褻物ッスね……センシティブ判定されなきゃいいッスけど」
* * *
がらん、という重量感のある金属音を立て、
「ゲットですわー!!」
『やったぜ!』
『間違いなく世界初のドロップアイテムやろこれ』
『そもそも死神を倒すってのがもうね』
『いやマジであれは鳥肌立ったわ』
『ああああクリスカメラに戻ってるぅううう』
『同時視聴勢ワイ、期待してルサールカ側の配信を見るもカメラ故障で無事死亡』
『死神とアデ公とスズカのケツがノイズまみれで映るカオス空間だったな』
『まぁ死闘だったんで多少はね?』
『大鎌はロマンあるよね。実際にはクソ使いにくそうだけどさ』
元気よくそう宣言したアーデルハイトは随分と上機嫌であった。今回のダンジョン探索に於いて、収穫と呼べるようなものはまだ一つもなかった。強いて言うなら鉄パイプがそうであるが、トップ探索者の一員である
釣りで言うボウズ状態であったアーデルハイト達だが、しかしここに来て漸く収穫があったのだ。それが地面に転がっている大鎌である。言わずもがな、これは死神が所持していたものである。死神を倒したこともそうだが、その大鎌を獲得したことで視聴者達も大喜びである。やはりアイテム獲得の瞬間はダンジョン配信の華だ。撮れ高的にはこれ以上ないほどの成果と言えるだろう。
「凄い……」
「本当に死神を倒しちゃったのねぇ……驚きすぎて逆に冷静になるわぁ」
俄には信じがたい戦果を挙げたアーデルハイトへと、
「もっと褒めて下さってもよくってよ!!よくってよー!!」
胸を張って威張るアーデルハイトだったが、一方でクリスは何やら怪訝そうな瞳を大鎌へと向けていた。いつもであれば微笑ましい表情でアーデルハイトを見守る彼女だが、しかし今回はそれよりも気になることがあるらしい。
「お嬢様、これは……」
「クリスの言いたいことは理解りますけど、わたくしにも理解りませんわ!!」
言葉少なに交わされた二人の会話内容は、視聴者たちにも
クリスが訝しんだもの。それは『何故これがここにあるのか』ということである。
存在そのものが魔力の塊である死神は、当然ながら手にした大鎌までもが魔力で出来ている。武器である大鎌は死神から独立しているようにも見えるが、実際には全く同一の存在だ。要するに、大鎌の形をしているだけの死神の一部ということである。つまりは、死神の消滅と同時に大鎌も消えていなければおかしいのだ。
あちらの世界に於いても、死神が武器をドロップするなどという話はクリスでさえ聞いたことがなかった。故に不思議に思い、訝しんだのだ。
とはいえ、悩んだ所で答えは出ない。
そもそも伊豆で見かけた迷宮兎のように、あちらの世界のダンジョンとこちらの世界のダンジョンには僅かながら差異がある。故にこの大鎌もその類なのだろうと、クリスは無理矢理に疑問を飲み込むことにした。
「とにかく、今回の探索はここまでやな。姫さんらには申し訳無いけど、流石にこの状態で先には進めへんわ。残念やけど25階層はまた次の機会や」
「疲れたー!!足は痛いし血は出てるし!」
「今回は運が悪かった」
「仕方ないわねぇ。生きていればまたチャンスはあるわけだし、大人しく帰りましょうかぁ」
多少は回復したとはいえ、それでもやはり
そうして一行は帰路に着いた。先導するのは勿論アーデルハイトで、殿を務めるのはカメラを構えたクリスである。殆どの魔物を
『なんか綺麗に収まった空気だしてるけど元凶は無警戒転移だよね』
『うちの団長が申し訳ない……』
『らしいっちゃらしいけどなw』
『今回も濃厚過ぎる探索だったな……』
『クリスがまだ映ってねぇぞ!!』
『魔女と水精もお疲れさまやで』
『相変わらず見どころしかなかったわ』
『死神討伐は流石に熱すぎる』
『終わりよければ全てヨシ!!』
大鎌を除けば唯一の収穫であった、地面に突き刺さったままの鉄パイプのことなど誰も覚えてはいなかった。
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