来訪者編

第75話 閉店ガラガラですわー!!

「あーーーーっ!!」


 すっかり早くなった夜明けと共に、家中へアーデルハイトの声が響き渡る。まだ起きていないのはみぎわだけだったが、アーデルハイトの叫び声はそんな彼女を目覚めさせるのに十分な声量を持っていた。


「うぉ……こんな朝から何スか……」


 寝巻き姿のまま、のっそりと自室から姿を見せるみぎわ。寝ぼけ眼の彼女がそこで見たものは、同じく寝巻き姿のままでわなわなと震えるアーデルハイトと、どこか困ったような顔でそれを見つめるクリスの姿。そして、短い前足を起用に動かし、一心不乱に聖女ちゃんカニ人形をわしわしと引っ掻き回している肉の姿であった。視聴者からのプレゼントである聖女ちゃん人形は、目玉が弾け飛び、中の綿は飛び出し、見るも無惨な姿となっていた。


「草」


「草ではありませんわよ!!」


「ビーズの人形じゃなくてよかったです。片付けが大変ですからね」


 一頻り堪能したのか、満足そうな表情をしながら肉が鼻息荒く部屋を出てゆく。バルコニーへ続く引き戸を、前足を使って器用に開けて。項垂れるアーデルハイトへと、みぎわが慰めの言葉をかける。


「まぁ……多分視聴者も許してくれるッスよ。なんなら新しく送ってくれるかもしれないッスよ?」


「……それもそうですわね!!」


「切り替え早すぎません?」


 散らかった聖女ちゃんの残骸を片付けながら、呆れたような声でツッコミを入れるクリス。元より騒がしい三人の日常だったが、その騒がしさは肉の加入によって更に増すこととなった。朝の早くからこの騒ぎっぷりだ。隣が空き部屋で良かったと、クリスは心の底から安堵するのだった。




 * * *




 本日は配信の予定もなく、三人は久方ぶりにゆっくりとした休日を過ごしていた。そうして昼食を終え、アーデルハイトとクリスがバルコニーにて、みぎわの魔法修練を監督しているときのことだった。ふと、思い出したかのようにみぎわが二人へと疑問を投げかける。


「そういえば昨日の……なんとかって人は一体なんだったんスか?」


「何が言いたいのかまるで分かりませんわ……」


「ウーヴェの事ですか?」


「そうそう、それッス!あの時はスルーしたッスけど、それって配信の時にちらっと言っていた『六聖』の一人なんじゃないんスか!?」


 それはアーデルハイトとクリスが見なかったことにした、例の職務質問男についての話であった。運転中、かつお金の使い道について妄想中であったためにみぎわはその男の姿を見ていない。しかし日本生まれ日本育ちのみぎわとしては、アーデルハイト達を除けば初となる、あちらの世界の住人らしいその男に興味があったのだ。そうでなくとも、やはり『六聖』などという肩書の付いた括りに属しているとなれば、現代人としては不思議と心が躍るものなのだ。なお、肉は聖女ちゃんを破壊した罰としてバルコニー100周の刑が言い渡されており、現在はみぎわの周りをせっせと走り回っている。


「んー……とはいえ、わたくしも一度手合わせしたことがあるだけで、あの男についてはあまり知りませんわよ?」


「そもそも、何故こちらの世界に彼が居るのかも謎ですしね」


 しかし、そんなみぎわの質問に対するアーデルハイト達の反応は芳しくなかった。アーデルハイトもクリスも、自分達が何故こちらの世界にやって来たのかすら分かっていないのだ。故に、当然ながらウーヴェがこちらの世界に居る理由など分かる筈もない。


 とはいえ、恐らくは自分達と同じ様に、どうせあの聖女ビッチ絡みだろうとは予想していた。ウーヴェを目撃したその直前に、あの女の気配が色濃く感じられる巨獣と戦闘をしているのだ。何の関係も無い、ただの偶然だとはどうしても思えなかった。ウーヴェにしろ巨獣にしろ、あの女の手が加わっていると考える方が色々と腑に落ちる。だがみぎわにとっては、そんな複雑な事情や理由などはどうでもよかった。


「ああいや、そういうのは別に興味ねッス。単純に興味があるだけッスよ。やっぱ『四天王』とか『◯英雄』とか、そういうの聞くとワクワクするんスよね。こういうとこはあんまり、月姫かぐやちゃんのこと笑えないッスね」


「ふぅん……よく分かりませんけど、そういうものなんですの?」


「まぁ、私もこちらにきてからサブカル方面に傾倒していますし、みぎわの言うことも分からなくはないですよ。実際に『そういうの』があった世界を知っているだけに、微妙に複雑な心境ですけど」


 アーデルハイトは小首を傾げていたが、それはなにも、彼女がこちらの世界に来てまだ日が浅いから、というだけが原因ではない。そもそもの話、あちらの世界でも『六聖』は民達からすれば憧れの存在だったのだ。敬意と畏怖、称賛と羨望。こうありたい、こうなりたいという夢を体現する、謂わば一種のヒーローと言ってもいいだろう。しかしそういった感情は、本人達からすればどうしても実感し辛いものだ。


 周囲の側にいたクリスはともかく、『六聖』に数えられた本人であるアーデルハイトにその気持が理解出来ないのは、ある意味仕方がないことなのかもしれない。


「そうですわね……では折角ですから、少しだけ『六聖』のお話をしましょうか。こういった話は配信で行った方が盛り上がりそうではありますけど」


「配信でもするんスよ!!これはリハーサルッスよ!リハーサル!」


 みぎわがバルコニーの床を叩き、アーデルハイトを急かす。監督をしているクリスからすれば、『魔力修練はどうした』とでも言ってやりたい気分であったが。


「うーん……ではわたくしと、例の聖女アバズレについては割愛しますわよ。とりあえず、先程も話していた『拳聖・ウーヴェ』のことから話しますわ」


 どう考えてもこんな吹きさらしのバルコニーで語る話ではないのだが、アーデルハイトからすればただの暇つぶし、世間話に過ぎなかった。


「彼は、一言で言えば『脳筋の阿呆』ですわね」


「脳筋の阿呆」


「脳筋の阿呆ですわ。彼は自分を鍛えることにしか興味がなく、常に殴る相手を探してそこらを徘徊する、ほとんどオーガと変わらない男ですの。先程手合わせしたことがあると言いましたけれど、あれも殆ど事故のようなものですわ」


「フゥー……早くも嫌な予感がしてきたッス……」


 そうしてアーデルハイトは語り始めた。世間一般に噂されている『拳聖』についての話に、実際に出会ったときの出来事を併せて。


 あちらの世界で広まっている『拳聖』についての噂は、こういった話にありがちな、酷く美化されたものであった。

 曰く、弱きを助け強きを挫く修道者。曰く、村や街を襲う凶悪な魔物を倒して回る秩序の体現者。曰く、見返りを求めずただ民の為に戦う男。射抜くように鋭い瞳と整った顔立ち、クールで落ち着いた性格、などなど。

 こう聞けば大層立派な青年のように聞こえるかも知れないが、しかし所詮噂は噂に過ぎない。実際に会い、いくつか言葉を交わし、そして戦ったアーデルハイトは、それらの噂とは全く違った印象を受けていた。


 そもそも、何故アーデルハイトとウーヴェは出会ったのか。その理由は至極単純だった。修行相手の魔物を探して徘徊していたウーヴェが道に迷い、そのままふらふらと公爵領の森へと侵入。そこを巡回中の騎士団員が発見し、どうみても不審者でしかないウーヴェを捕縛するために戦闘を開始。が、当然ながら捕縛にあたった騎士団は援軍も含めて彼にボコボコにされ、最終的に団長であるアーデルハイトにお鉢が回ってきたのだ。


 そうしてアーデルハイトが現場に到着してからも、酷く面倒なやり取りをさせられた。思い出すだけで頭痛がするような、本当に酷い会話だった。


 ───貴方は何者ですの?ここが何処だか理解しての行為ですの?


 ───アンタ、強いな。


 ───もしもし?わたくしの話、聞いていまして?


 ───俺と戦え。


 ───面倒なタイプですわコレ!!


 ───こんなに拳が燃えるのは久しぶりだ。行くぞ。


 ───一体誰ですの?こんなイカれたお馬鹿を世に放ったのは!


 酷い会話と称したが、もはやそれは会話ですらなかった。そうして始まった『六聖』同士の激しい戦いは数時間にも及び、結果から言えばアーデルハイトが勝利した。とはいえ楽な戦いではなく、アーデルハイトにとっても過去最高クラスに苦戦した戦いとなった。

 その拳で放たれる鋭い攻撃はまさに一撃必殺、どのような体勢からでも繰り出される蹴りは空気を切り裂く。その徒手空拳とは思えぬ破壊力に、彼の攻撃を受け止めた聖剣ローエングリーフは一度、魔剣エクリプスは二度も折られた。アーデルハイトの左腕も折れ、それは彼女にとって非常に珍しい大怪我となった。ただのイカれた男が持つには、あまりにも強大過ぎる力であった。


 その後、アーデルハイトにボコられ、意識を失ったウーヴェを騎士団が捕縛。領内の檻にぶち込んで尋問したところで、漸く彼が『拳聖』だということが判明したのだ。どうやらただ迷い込んだだけというのは本当の話らしく、流石に『拳聖』をそれだけの理由で処刑するわけにもいかず、エスターライヒ公爵は今後の領内出禁を言い渡して彼を追い出した。こうして『剣聖』と『拳聖』の邂逅は終わりを告げたのだった。


「───と、まぁそういうことがありましたわ。ほら、脳筋の阿呆でしょう?」


「確かに……道に迷って、殴りかかって、ボコられて、最終的にリリースされるのはだいぶ阿呆っぽいッスね……」


「昨日、我々がスルーしたのも頷ける話でしょう?」


「ッスねー……まぁ、なにかしらの一芸を極めた人って変な人が多いって言いますしね。そう考えるとある意味納得というか……」


 ウーヴェについての話を聞き終えたみぎわが、何か意味ありげにアーデルハイトの方へと流し目を向ける。


「……なんですの?その目は」


「い、いやぁ別に何もないッスよ……?お嬢も変なトコあるし、なんてそんなこと思ってないッスよ……?」


「はー!気分を害しましたわ!!他の『六聖』の話も聞かせて差し上げるつもりでしたけど、もう止めですわー!!」


「ああっ!!嘘!嘘ッス!!ちょっとした冗談じゃないッスか!!他の話も聞きたいッス!!」


「『聖炎』は魔法使い、『聖王』は王様、『創聖』は錬金術師、『聖女』はビッチ、『剣聖』は美人!!はい終わりっ!!閉店ガラガラですわー!!」


 実際のところ、アーデルハイトは別に気分を悪くしたわけではなく、ただ話をするのに飽きただけなのだが。丁度いい止め時を見つけたアーデルハイトは矢継ぎ早にそう言い放ち、さっさと家の中へと戻っていってしまった。彼女達が話している間に、ちゃっかり100周ノルマを終えていた肉がそれに続く。


「あぁぁ……折角の貴重な異世界話が……」


 アーデルハイトにしろクリスにしろ、彼女達があちらの世界の話を語ることはそう多くない。聞かれれば答えるが、しかし逆を言えばその程度しか話さない。サブカル好きのみぎわからすれば、またとないチャンスを自ら棒に振ったことになる。


「自業自得です。では、休憩はここまでにして修練を再開しますよ」


「え゛っ!?なんか今日はもう終わりみたいな雰囲気だったじゃないッスか!!」


「駄目です。そうのんびりもしていられませんので」


「……口は災いの元」


「理解っているなら結構です。それにどちらかといえば、目は口ほどに物を言う、の方では?」


「ぐっ……すっかりこっちに馴染んでやがる……!」


 クリスの正論によって逃げ道を失ったみぎわは、そのまま夕食の時間までたっぷりと絞られることとなった。そうして家の中へと戻ったクリスとみぎわが見たものは、ソファで昼寝をしているアーデルハイトの姿と、何処からか掘り出してきたボロボロの聖女ちゃん人形を、やはり一心不乱に引っ掻き回す肉の姿であった。当然ながら聖女ちゃんの破損は進行しており、リビングには朝と比べ物にならない程の綿が散乱していた。


「あ、私は夕食の準備がありますので。片付けはお願いしますね」


「……うーッス……」


 折角の休日だというのに、みぎわにとっては酷く疲れる一日となったのだった。

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