第267話 わたくしが居ますわよ?

 開場から少し経った頃。

 入場してすぐの場所にあるエントランスプラザでは、既に多くの者達がコスプレに興じていた。コミックバケーションに於いて、コスプレはもはや風物詩といってもいいだろう。アニメやゲームのキャラクターから、実在人物からVtuber。果てはネットミームであったり、ネタ画像そのものであったり。ジャンルも形式も性別も問わない、ただ楽しむことこそが唯一の資格。それがコスプレだ。


 現に今も、ぱっと見回しただけで様々なコスプレが確認出来る。中でも目立つのは、やはり探索者関係のコスプレだろうか。ここ数年、探索者業界の勢いは凄まじい。コスプレは基本的に流行り物が多くなる傾向にあるため、その勢いに比例して、多くの者達が自分の推しコスプレを行っていた。


「おっ、アレもしかして宴ちゃんのコスじゃね?」


「お前よく分かるな。協会職員の制服だけじゃ分かんねーよ普通」


「ちっ。素人が……」


「あ、あの眼帯してるのはぐーやコスだろ? あれは俺でも分かる」


 などと、二人組の男が会話をしている。プロのオタクと、そしてもう一人は素人のオタクだろうか。そう言いつつも歩みを止めないあたり、彼らの目的はコスプレではなく別の何かなのだろう。一方別の場所では、常人にはまるで理解不能な会話が繰り広げられていた。


「それ、京都ダンジョンの鉄パイプコスですよね? 写真いいですか?」


「大丈夫ですよ!」


「ポーズのリクエストとか大丈夫です?」


「オッケーです!」


「あ、じゃあ斜めに突き刺さって貰っていいですか? そうそう! ちょうど投げられた時の感じで!」


 リクエストに応えて気持ち斜めに立つレイヤーと、カメラを向けるカメコ。一体何を言っているのか一切分からないが、しかしこういった会話が成り立ってしまうのがコミケの恐ろしいところでもある。そうして何枚かの撮影を終えたあと、カメラを構えていた男がにこやかに話を切り出した。


「いやぁ、やっぱりここが賑わってるの良いっすねぇ」


「ですよねー。最近はこの場所使えなかったですもんね」


「っすね。コミケ来たなーって感じがムンムンする。あ、そうそう。そのコスしてるってことはアデ公推しだと思うんですけど、聞きました?」


「え、なんですなんです?」


 人間サイズのデカい鉄パイプがくの字に折れ、興味深そうな様子で男の話に食いついた。その光景は、傍から見れば軽いホラーだった。しかしこの場ではよくある光景のひとつに過ぎない。本人達も、そして周りの者達も、取り立てて気にする者は居なかった。


「防災公園のほう。なんかめっちゃクオリティ高いアデコスレイヤーさんが居るらしいっすよ。SNSでもアデコス情報は結構上がってるんすけど、その人のはマジでクオリティがヤバいみたいですよ」


「へぇー! それはちょっと、アデ推しとしては見ておきたいですね。あとでちょっと見に行こうかな」


 そんな情報交換を行った後、カメラを抱えた男は次のレイヤーの下へと去ってゆく。一方の鉄パイパーも、また別のカメコに声をかけられていた。夏以上の盛り上がりを見せているとはいえ、こうして冬コミは恙無く進行してゆくのだった。




       * * *



 

 コミケ会場のすぐ側に位置する防災公園もまた、多くのレイヤーとカメラマンで賑わっていた。元々は献血イベントが開催されていた場所だったのだが、この数年、この場所での献血イベントとコスプレは諸事情により行われていなかった。


 しかし今回の冬コミから同イベントが復活するということで、再びコスプレ広場としての賑わいを取り戻しているのだ。むしろ数年間の辛抱があったせいか、以前にもまして多くの者達が集まっているようにすら見える。


 そんな中、一際多くのカメコを集めているコスプレイヤーが数人居た。一人は流行りのアニメ、中でも作中人気の高いヒロインのコスプレをしているレイヤーだ。その少し離れた別の場所では、人気ゲームに登場するキャラに扮したレイヤーが。両者ともに衣装のクオリティが素晴らしく、かつレイヤー本人達の容姿も優れている。故にどちらも多くの人気を獲得しており、大量のカメコに囲まれていた。


 そしてもう一組。

 それこそが先程、エントランスプラザで噂されていた例のコスプレイヤーであった。所謂『併せ』と呼ばれるスタイルでコスプレを行っている、『虹丘もも』と『カステラの紙』という名の二人組。彼女らは界隈で非常に有名な人物であり、イベント参加の度にカメコ達が巨大な囲い──二人の名前から取って『ももカスウォール』などと呼ばれている──を作ることで知られていた。そんな彼女たちが現在行っているコスこそが、アーデルハイトとクリスのコスであった。


 成程確かに、遠目に見ても分かるほどのクオリティである。

 流石に映えないせいか、アーデルハイト役の衣装はジャージではなくアンキレーを模したもの。一方クリス役の方は改造メイド服であった。探索者という近年の流行り物、かつ今年特に話題が多かった異世界方面軍だ。鉄パイプのコスをしている者もいるくらいなのだから、コスプレの題材としては申し分ない。


 そして暖冬とはいえ、この寒空の下だ。そこそこ露出のあるアンキレーコスをしていることからも、彼女達のプロ根性がうかがえるというもの。容姿も当然優れているし、スタイルもいい。強いて言えばアーデルハイトもクリスも『美人系』であるのに対し、彼女たち二人は『可愛らしい系』の顔立ちであることくらいか。


 とはいえ、コスプレとは別に再現度が全てではない。結果として似合っているのは事実で、彼女たちもコスプレを楽しんでいる。故にそんな些細な違いは、彼女たちの人気を妨げる要因たり得ない。


 カメコ達に全方位を囲まれる形で、笑顔を絶やさず様々なポーズをとる二人。撮影は順調に進んでいるように見えたが、しかしふと、何やら囲いの奥が騒がしいことに彼女たちは気がついた。よりにもよって自分たちの囲いで、なにかトラブルだろうか。もしそうなら彼女たちに瑕疵は無くとも、安全面の問題から移動させられる可能性がある。そうして少しの後、囲いの向こう側から言い争っている声が聞こえてきた。二人は内心で『勘弁してよ』などと思いつつ、騒ぎの起こっている方へと注意を向けた。


「だから言ったじゃない! アンタが正面から入れるワケないでしょ!? あのバカみたいな光景見たでしょ!? アンタはモーセか何かなワケ!?」


「それを言うなら淫ピーだって同じでしてよ! 断じて、わたくしだけの責任ではありませんわ! ほら、貴女の弟もそう言っておりますわよ! というかモーセって何ですの!?」


 ぎゃあぎゃあと言い争いをする女の声。聞こえた声の感じから察するに、どうやら囲いの方へと向かってきている訳では無く、ただ隣を通り過ぎようとしているだけといった様子。


「えっ、僕は何も言って────あ、いえ、どっちも悪いと思います……」


「アンタどっちの味方なのよ! 姉の私よりも、そこの異世界人の肩を持つワケ!?」


「ほらみなさいな! やっぱり貴女の所為で───え、わたくしもですの?」


 その声に、自然と囲いに隙間が出来てゆく。そうして姿を現したのは、アーデルハイトと獅子堂姉弟であった。実は彼女達、少し前に正面入口から追い出されていたのだ。入場待ちの待機列をまるでモーセの海割りのように割断してしまい、スタッフから『頼むからもう少し後に来てくれ』と言い渡されてしまった。そうして時間を潰すため、仕方なく近くの公園にやってきたという訳だった。


「はぁ……まぁ今更言っても仕方ないわね……適当に時間を潰しましょ」


「これで探検する大義名分が出来ましたわね! クリスには遅れると連絡しておきますわ。ところで出店は? 出店はありませんの!?」


「お祭りじゃないのよ……」


 とはいえ、なんだかんだと楽しんでいる様子の三人。『水際族』の手伝いには遅れてしまうが、コミケの雰囲気をゆっくりと味わう分には都合が良かった。と、そこで彼女たちは漸く、自分たちが注目を浴びていることに気がついた。


「ちょっと、アンタが騒ぐから見られてるじゃないの」


「というか、これは一体何の集まりで───あら? わたくしが居ますわよ?」


 アーデルハイトと莉々愛りりあが見つめる先には、つい先程まで写真撮影を行っていたコスプレイヤーの二人が居た。アーデルハイトにとっては見慣れた、かつ唯一無二のコスチュームである。それが自分を模したものだと言うことは、流石の彼女にもすぐに分かった。


「あれはコスプレです。コミケと言えばやっぱりコスプレですからね。丁度あそこの二人は、アーさんとクリスさんのコスをしているみたいですよ」


 この三人の中では最もコミケ情報に詳しい──とはいえ、彼も参加するのは初めてなのだが──莉瑠りるが、ざっと周囲を見て現在の状況を把握する。そんな莉瑠りるの話を聞いているのかいないのか、アーデルハイトは興味津々といった様子でレイヤーの元へと近づいてゆく。


「ちょっと! 絶対入っていっちゃ駄目なヤツよコレ!?」


 鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をしている二人のレイヤーに対し、頭の上から足の先までをしげしげと眺めるアーデルハイト。そうして暫しの後、右手を腰に当て、左手を差し伸べ、ただ一言。


「大変素晴らしい出来ですわね。合格でしてよ」


 先程までの醜い言い争いなど、まるで無かったかのような圧倒的気品。黄金の髪が風に揺れ、レイヤーの二人に対して優雅に微笑んで見せる。オーラ、とでも言うのだろうか。前述の通り、『虹丘もも』と『カステラの紙』の二人も容姿は優れている。顔は良い、スタイルも良い、コスも似合っている。だがしかし、それでも────。


 コスプレ元の本人を前に、レイヤーの二人はへにゃりとその場にへたり込んでしまうのであった。



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