第191話 経験値いっぱい

「こ、ここここれは一体どういうことなんでしょうか!?」


「知りませんわよ」


 月姫かぐやの身体にずっしりと伸し掛かっていた疲労感や倦怠感、それらはすっかり吹き飛んでいた。レベルアップにそういった副次効果があるわけではない。驚きや喜びといった、ただの気分的なものだ。つまりは気の所為である。


 だがそれも無理はない。少なくとも月姫かぐやが知る限りでは、ダンジョン外でレベルが上がったなどという話は聞いたことがなかったからだ。一般的に言われているレベルアップとは、探索者が多くの魔物を倒すことで起こる現象だ。魔物がダンジョン内にしか存在しない以上、そう言われるのは必然だろう。


 どういうことか、などと聞かれたところで、アーデルハイトには答えようがない。何しろ彼女は未だ、そのレベルアップとやらを経験したことがないのだから。あちらの世界にはそういった概念はなかったし、こちらの世界に来てからも何ら変わることがなかった。


 剣術もそう。体術もそう。美容も、そして礼儀作法でさえも。

 全ては弛まぬ努力と日々の研鑽、そして少しの才能───彼女の才能は、とてもとは呼べないものだが───の賜物であり、そんな怪しい現象で強くなったことなど、これまでの人生でただの一度もなかった。故に、彼女に言わせれば『随分と都合の良い現象ですわね』といったところである。


「オルえもん!! これはどういうことなんでしょうか!?」


「知らない」


 月姫かぐやはオルガンにも尋ねてみるが、やはり得られた答えは同じであった。そも、レベルアップは現代特有の現象だ。異世界出身者に聞くこと自体が間違っている。しかしそんなオルガンの隣、ここまでぼけっと訓練を眺めていたみぎわには一つの仮説があった。


 探索者でもなく、戦闘に関してもまるで素人な彼女。だが、そんな彼女だからこそ思いつく、ひどくぼんやりとした仮説である。


「あれッスよ。RPGゲームとかだと、ボスと戦ったら経験値いっぱい貰えるじゃないッスか。なんかそんな感じのやつなんじゃないッスか?」


「な、成程……?」


「いや知らねッスよ? 適当に言ってるだけなんで」


 ベンチの上で足をぱたぱたとさせながら、適当な仮説を述べるみぎわ。しかしそんな適当な話が、現代人である月姫かぐやには、そして視聴者達には、不思議とすんなり腑に落ちる。


 それが正しい説なのかどうか、今この場にいる人間には分からない。それどころか、きっと地球上の誰にも分からない事だろう。だが『封印石シール』の時もそうであったように、みぎわの雑な思いつきはたまに核心を突いてくる。否、封印石の件もまだ仮説に過ぎない。だがそれでも、『とりあえず今は、それで納得しておくか』と思わせる絶妙なラインを突いてくるのだ。


「一般的な探索者では強さが足りず、経験値が殆ど入らない。だから通常の訓練ではレベルが上がらない。そういうことですか?」


「そうそう。でも今回は相手がお嬢ボスじゃないッスか。ボスと長時間戦ったことで、魔物何百匹分もの経験値が入った、みたいな」


 こちらの世界に来て暫く経つクリスには、みぎわの言いたいことが何となく分かるらしい。どさくさ紛れでボス呼ばわりされたアーデルハイトは、頬をぷぅと膨らませていたが。


「ふむり。経験値……知らない概念。興味深い」


「よく分かりませんけれど……そういうことであれば、もしかするとベッキーもレベルとやらが上っているのかもしれませんわね。なにしろ、あのゴリラウーヴェと訓練をしているようですし」


「確かにそうですね。後で連絡してみましょうか」


 アーデルハイトと戦闘を行うことで、ゲームでいうところの『経験値』らしきものが手に入るというのであれば。同じく『六聖』であるウーヴェもまた、ボス扱いである可能性が高い。


「ふむり。もしも───」


 そんな中、先程から顎に指を当て思索に耽っていたオルガンが、ぽつりと考えを述べた。


「もしもその『経験値論』が正しいとするのなら。アーデのレベルが上がらないことにも説明が付く、気がする」


「本当ですの!? ナイスですわ!」


 そうしてオルガンの語った話を纏めると、つまりはこういうことだった。

 探索者同士の戦闘では経験値が得られない。しかし魔物やアーデルハイトからは経験値が得られる。つまりレベルアップには、一定以上の強さがある者との戦闘が必要だということ。

 

 これまで、アーデルハイトはこちらの世界でも数多くの魔物を倒してきた。しかしその上で、未だレベルアップを果たしていない。もしも本当に『経験値』なる概念が存在するのであれば、アーデルハイトも経験値を獲得しているはずなのに。それらが意味するところは一つ。つまりは───。


「必要経験値量が多すぎる。だから、そこらの魔物から得られる経験値が意味を成していない。少なくとも、巨獣ベヒモスを倒して尚、レベルアップとやらが起きない程度には膨大だと思われる。つまり───」


「なんだか嫌な予感がしますわね……つまり?」


「アーデがレベルを上げることは困難。というより、ほぼ不可能。異世界人はそもそもレベルとやらが上がらない可能性もあるけど、まぁ……どっちにしても同じこと」


「いやああああああ!!」


 普段の配信では気にしていない風を装いつつも、しかしこちらの世界にやって来て以来、アーデルハイトが密かに楽しみにしていたもの。その可能性が今、ばっさりと否定されてしまった。彼女は悲鳴を上げながら、その場に力なく崩折れた。ひどく痛ましい、そして情けない四つん這い姿であった。


「おお、なんとなさけない」


「うるさいですわ!! 非戦闘員の貴女に、この悲しみは分かりませんわ!」


「うむり。知らない」


「きぃぃぃぃー!!」


 悔しさのあまりか、まるで甲子園で敗れた高校球児のように土を握りしめるアーデルハイト。コメント欄では視聴者達がゲラゲラと笑っていたが、今の彼女はコメントを気にしている余裕すらない様子であった。


 そんなアーデルハイト達の遥か後方。撮影用のカメラでも、殆ど豆粒程度の大きさにしか映っていない探索者達の姿があった。たまたまその場に居合わせ、グラウンドに解き放たれた肉と毒島さんから、早々に目をつけられてしまった不運な新人の彼等。実は彼等もまた、この日初めてのレベルアップを経験する事となった。しかしアーデルハイト達がそれに気づくことは、終ぞなかった。

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