第262話 おっけー

 肉が一心不乱に前足を動かし、黒い布地をばりばりと破いていた。その傍らでは同じく毒島さんが、牙を使って器用に布へ穴を開けている。


「あぁぁぁ! 駄目かぁ!」


「うーん、自信はあったんですけどねぇ」


 頭を抱えているのは兄の橘一颯いぶきで、腕を組みつつ何やらメモを取っているのがクロエだ。現在異世界方面軍はLuminousの店舗地下にある、橘兄妹のアトリエへとやってきていた。オルガンの技術供与によって、新たな段階へと進んだインナー制作。その試作第二弾が完成したと連絡を受けた彼女達は、こうして調査員の二匹を連れテストを行いに来たというわけだ。そしてその結果はご覧の通り、調査員の勝利である。


 肉は満足そうに鼻を鳴らし、ボロボロになった試作の布地を蹴り飛ばした。


「なんてふてぶてしい生き物なの……」


 そんな肉の姿に戦慄するのは莉々愛りりあだ。彼女は新技術の開発に興味があるからと、橘兄妹の許可を得て見学に来ていた。共にオルガンの協力を得ている立場であり、橘兄妹と莉々愛りりあは謂わば同門である。情報漏洩等の問題に気を使う必要はないというわけだ。成果の如何によっては、インナー制作に出資してもいい、などと豪語していた彼女だが───。


「……見事にボロボロね」


 見るも無惨な姿となった試作品に、莉々愛りりあは少し残念そうな顔を見せる。もしもこの装備が完成すれば、探索者の生存率は飛躍的に上昇するだろう。探索者である莉々愛りりあにとっても、このインナー制作は大きな意味を持つ研究なのだ。そんな期待をしていただけに、今回の結果はやはり残念であった。一方で、アーデルハイトやクリス、そしてオルガンの評価は違った。


「あら、十分ではなくって?」


「ですね」


「うむり」


 肉が蹴り飛ばしたボロ布を、オルガンが摘み上げる。一見すれば確かに、肉の爪痕や毒島さんの牙でボロボロだ。もしこれにがあったとしたら、それはもう大きな傷を負っていたことだろう。ではこの試作品は失敗なのかと言われれば、実はそうではない。


らは魔物の中でも最高位───だと思われる。多分、恐らく。そんな感じのヤツらっぽい気はする」


「お肉と毒島さんを相手に原型を留めている時点で、防具としては十分な性能がありますわ」


 二人の言う通り、肉と毒島さんは見た目こそこんなナリだが、魔物の中でも最上位に位置する存在なのだ。肉に関してはそれ以上とさえ言える。無論、遭遇時と比べれば随分と可愛らしい姿になってはいるが、それでもそこらの魔物では相手にならない力を持っている。軽井沢での一件など、魔物の半分は肉が倒したといっても過言ではないのだから。そんな二匹を相手にして、この試作品は前回よりも格段に長持ちしてみせたのだ。下級の魔物が相手であれば、これは十分過ぎる性能である。


「……つまり、合格?」


 恐る恐るといった様子で、一颯がオルガンに問う。この試作品にたどり着くまで、多くの苦労があったのだ。一颯にしろクロエにしろ、魔物素材で作る衣服、或いは防具というのは専門外だ。二人はプロジェクトの責任者ではあるものの、制作自体は別の者が行っている。それがLuminousの職人だけであれば問題はないのだが、外部の防具職人の手も借りている以上、技術の秘匿が必要だった。


 オルガンから得た怪しい技術を、外部の職人には詳細を知られぬように利用する。これにはかなり骨を折ったのだ。そんな数々の苦労から生まれたものが今、合否の岐路に立っている。橘兄妹が緊張するのも無理はないだろう。


 そしてその結果は───。


「おっけー」


 小さく尖った耳をぴくぴくと揺らしながら、頭の上で大きな『まる』を作るオルガン。その言葉を聞いた途端、クロエと一颯はハイタッチで喜びを表現した。


「っしゃぁー! やったぜ妹よ!」


「うん! これでやっと次に進める!」


 オルガンからの『おっけー』が出た以上、後は慣れた作業でしかない。探索者達に好まれるデザインを考え、職人たちの手で形にするだけである。ここまで来て漸く、天才二人の出番というわけだ。Luminousの総力を上げてのインナー制作は、いよいよ佳境を迎えたといえるだろう。


「確か冬のコミバケで発表するつもりなのよね? あんまり時間はないけど……間に合うの?」


 心配性な莉々愛りりあの問い、しかし二人は力強い言葉を返す。


「当然!」


「間に合わせます!」


 そう言うや否や、クロエはどこかへと電話をかけ始める。一颯はボロ布と化した試作品を手に、どたばたとアトリエの奥へと消えていった。やる気に満ち溢れた二人の姿を見つつ、異世界方面軍の一行はアトリエを後にする。一応は招待された側の立場だった筈なのだが、しかし今の橘兄妹に水を差すのは野暮だと思えたから。




       * * * 




 アトリエを後にした一行はLuminousの一階、店舗部分の奥に位置する休憩スペースへとやって来ていた。既に何度か足を運んでいる所為もあり、勝手知ったるといった様子である。クリスなどはコーヒーメーカーを勝手に使い、全員分のコーヒーを手早く用意する始末であった。未だ地下からは、どたばたと騒がしい物音が聞こえてくるが───そのうちクロエが、客の存在を思い出して戻って来ることだろう。


「そういえば、アンタ達も冬コミには出展するの? 夏コミでは随分と話題になってたみたいだけど……」


 ソファに腰掛け、すっかりリラックス状態となった莉々愛りりあが問い掛ける。話題は先にも出た、年末に開催されるコミックバケーション。通称『冬コミ』についてである。異世界方面軍が『夏コミ』に於いて大いに話題となったことは、莉々愛りりあももちろん知っていた。謎の屋外スペースに隔離された挙げ句、長蛇の列を作って運営に迷惑をかけたのは記憶に新しい。


「もちろん参加するッスよ! 既に当選済みな上、今回はなんと壁配置ッス!」


 忙しい配信業の傍ら、みぎわは今回もちゃっかりと申し込みを行っていた。夏コミに於いて異世界方面軍が齎した衝撃は大きく、今回の冬コミからは『探索者』ジャンルが作られたそうだ。夏には二日目の『男性向け』で出展していた異世界方面軍であったが、冬コミでは一日目の『探索者』ジャンルでの参加となる。そんな中でも人気の証である壁配置だ。


「前回は壁を通り越して『外サークル』とかいって、しこたまネタにされたッスからね……」


「それ、ネットニュースで見たわよ。あの暴君レベッカを列整理につかったとかなんとかで、滅茶苦茶ネタにされてたわね」


 どこか遠い目をするみぎわと、それに胡乱げな目を向ける莉々愛りりあ。コミバケについて詳しい訳では無い莉々愛りりあだが、それでもレベッカを小間使いとして使うことがどういうことなのか、その程度は容易に想像がつく。


「……まさか今回も、彼女に列整理させるつもりじゃないでしょうね?」


「頼んでみましたけど、断られましたわ。年末は一度帰国するそうですの。まったく、使えないヤンキーですこと」


 小さな溜め息をひとつ吐き出し、悪役令嬢のような台詞を呟くアーデルハイト。世界的に有名なトップ探索者といえど、異世界公爵令嬢からすればただのチンピラ扱いであった。と、そこでふとアーデルハイトが手をうち、何かを思いついたような顔をする。


「そうですわ! 丁度いい代わりが、ここに居るではありませんの!」


 そう言ったアーデルハイトが見つめる先には、桃色の髪をもさもさと揺らす金持ち女の姿があった。常に不機嫌そうな表情からは少しキツそうな印象を受けるが、顔立ち自体は整っている。組んだ腕の中で窮屈そうにしている胸部装甲も立派だ。髪色も目立つし、探索者としての知名度も抜群。何より彼女には『回復薬』という弱みがある。


 ビジュアル良し、人気良し、使い勝手───


「ヨシ!」


「何が『ヨシ』なのよ!? 絶対嫌よ!」


こうして異世界方面軍は、臨時の売り子を手に入れた。

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