第132話 なんだか嫌な予感がするな

 魔物とは何故存在しているのか、どうやって生まれたのか、その全てが謎に包まれている生物だ。ダンジョンそのものについてもそうだが、数十年前にこの世界に現れて以降、研究は遅々として進んでいない。

 ダンジョン内へと足を踏み入れたものに対し、敵対的な行動をとる生物。当初はそう定義されていたが、実際には無害な魔物も存在していることが判明した。結局何もわからないまま、ただ『そういうもの』として認識され続け今に至る。


 それはアーデルハイト達が元いたあちらの世界でも変わらない。ダンジョンの内だけに留まらず、世界中のあちこちに魔物がいる世界だ。こちらの世界よりは随分と一般的な存在だが、その起源や目的などは一切不明である。

『魔力』の存在が一般的なため、こちらの世界よりも幾分理由をこじつけやすい、という程度の違いでしかない。死神リーパーのようにある程度の根拠を以て解明されていることもあるが、そんなものはほんの一部に過ぎない。


 結局どちらの世界でも、魔物について確かと言えるようなことは殆ど無いのだ。


 そういった学術的な面はともかくとして、魔物について簡単に分かることが一つある。それが魔物の『強さ』だ。強い弱いを語るのに、起源や目的などといった理屈は必要ない。ただ実際に戦って強いかどうか、ただそれだけで測れるのだから。場合によっては見ただけで、或いは聞いただけでも分かる。その外見や風聞だけでも、大凡の強さは測れるものだ。これは両世界で共通している。


 強いと思う魔物は何か?と探索者達に聞けば、その答えは十人十色になるだろう。グリフォンと答える者もいれば、ゴーレムと答える者もいるだろう。各々の戦闘スタイルによって得手不得手が存在し、個人によって相手の強さが変動するのは当然の事だ。

 あちらの世界ではドラゴンだろうか?ドラゴンにはいくつか種類が存在するが、そのどれもが強大な力を有しているのは広く知られている。はたまた殆ど伝説上の存在といわれる巨獣ベヒモスか、或いは国喰らいヨルムンガンドだろうか。確認されている魔物の数に差があるため、実際に挙がる名前は両世界で異なるが。何れにしても、やはり冒険者達の答えはいくつかにバラけるだろう。


 では逆に、最も弱い魔物はなんだろうか。

 強い魔物は何か、という問いとは異なり、こちらは大凡2~3種類の魔物に答えが絞られるのではないだろうか。その蔓延しているイメージの所為か、ゴブリン、スライム、コボルトといった、比較的弱いと知られているこれらの魔物に票が集まるのではないだろうか。


 少なくともこちらの世界ではそうだ。探索者達に問いかければ、ほぼ間違いなくこの三種類の魔物の名前が挙がる。なにしろこの三種類の魔物は、探索者達が使用する武器によって有利不利がつかない。近接武器であろうと遠距離武器であろうと、さほど苦労することもなく討伐することが出来る。探索者になりたての新人でさえ、油断さえしなければ倒すことの出来る相手だ。名前が挙がるのも当然のことだろう。


 だが、ここに両世界での違いが出る。


 ゴブリンは確かに弱い。コボルトもそうだ。個々の力は貧弱そのもので、知能も低い。群れを作って集落を襲うこともあるが、それだってそう苦労することなく鎮圧出来る程度の戦力でしかない。身体能力スペックで言えば人間よりも高い場合が殆どである魔物という存在の中で、この二種の魔物は人間と同等か、或いはそれ以下でしかないからだ。


 だがあちらの世界の冒険者達は、スライムの名前を挙げない。長年魔物と戦っている熟練の冒険者も、駆け出しの冒険者も、街の治安を守る騎士団員も、地方の兵士も、傭兵も、村人も。弱い魔物は何かと聞かれて、スライムの名前を挙げる者はいないのだ。


 スライムとは、個体によってその強さが大きく変化する稀有な魔物だ。勿論他の魔物達にも個体差は存在する。先に挙げたドラゴンであっても、体が大きな個体は力が強く、小さな個体は素早さが高い。そういった違いは当然ある。だが、スライムのそれは他の魔物の比ではないのだ。


 こちらの世界で確認されているスライムは、どれも体長1mに満たない小さなものばかり。半固形で粘度の高いゼリー状の体。数こそ多いが動きは鈍重。探索者達に対して一応の敵対行動はとるものの、攻撃手段といえば微妙にぴりぴりする酸性の体液を飛ばすだけ。ずっと付着していれば衣服や防具程度は溶かされてしまうが、即効性はまるで無い。体内の『核』を攻撃する以外にダメージを与える方法は無いが、しかし『核』を破壊すればそれで終わりの、極めて貧弱な魔物だ。


 だがそれは、彼らの生息域がダンジョン内に限られているからだ。

 彼らの主な食料は鉱物資源であり、それらを溶かして吸収することでスライムは成長する。だがこちらの世界に於いて、スライムが姿を見せるのはダンジョンの浅い階層で、そういった場所では新人探索者達がこぞって資源を採取する。故にダンジョン内にはスライムの餌が少なく、他の魔物や探索者といった天敵も多い。つまりこちらの世界には、スライムが成長できるような環境が存在しないのだ。


 故に、こちらの世界の住人は知らないのだ。森や山、渓谷や湖、そんな自然の中で大量の資源を食い漁り、大きく成長したスライムの厄介さを。ましてや、それがある人物の手によって強化を施された場合一体どれほどの脅威になるのか。そのような事、彼らには知る由もなかった。


「これは……スライム、なのか……?いや、でもこの大きさは……」


 眼の前でふるふると揺れながら静かに佇む、巨大な半固形の液体を見つめる探索者の男。その装いはただの私服で、普段装備しているような防具は一切身につけていない。誰がどう見ても休暇中に居合わせただけの、ひどく不運な男だった。

 だが彼にとってはともかく、探索者協会に言わせれば彼が偶然ここに居合わせたことは幸運だった。こうした非常事態にあって、適切な判断を下せる人間は得難い。それが協力的な探索者であれば尚の事だ。今現在負傷者が一人も出ていないのは、彼の迅速かつ適切な指示があってこそだ。


「協力感謝します、大和ヤマトさん!!」


 男の背後、一般の参加者達が避難している方から数人の協会職員が駆けつける。恐らくは出展していたブースから持ち出して来たのだろう。彼らはそれぞれが両手に一杯の武器を持ち、周囲の探索者達へと武器の供与を始めていた。とはいえ探索者達の使う武器は重く大きな物が多い。数は少なく、全員に行き渡っているとはとても言えない。


「あぁ、いや、大したことはしてないよ。たまたま居合わせただけだから」


「相変わらず運が悪いですね。いえ、我々からすれば幸運でしたが」


 そんな協会職員の言葉に大和は苦笑いを浮かべる。どうにもそういう星の下に生まれたらしい事は自覚しているが、他人から言われるとそれなりに傷つくものだ。


「既に本部からは魔物の討伐指示が出ています。武器は貸与ではなく供与になりますので、自由に使って下さい」


「こんな非常事態だっていうのに、判断が早いね。足止めしようにも武器が無くて困ってたんだ。助かるよ」


「しかし何故地上に魔物が……それに、この魔物はいったい……?」


「僕にも分からない。『核』らしき物が見える以上は、スライムだと思うんだけど……実際の所はどうなんだろうね。こんな大きさは初めて見たよ」


 今はまだ攻撃してくる様子はないが、しかしゆっくりと動き始めている。その速度は大したことがないが、これほど多くの人間を非難させるとなれば時間が足りないかもしれない。故に討伐するか、最低でも足止めが必要だった。


「本当は下手に手を出すのは嫌なんだけど……このままじゃ避難している人達に追いつくのも時間の問題だ。武器の行き渡った人達で、取り敢えず攻撃してみるしかない」


 職員から長剣を受取り、大和が眼前の巨大スライムを睨みつける。その瞳には既に困惑の色はなく、ただ探索者としての使命のみを宿していた。


「已むを得ませんね……討伐は無理そうですか?」


「やってみなきゃなんとも言えないな。後続の応援は期待出来るのかい?彼女達は?」


「会場に居合わせた探索者には既に協力を呼びかけています。付近の支部にも応援を要請していますが……そちらは少し時間がかかるかと。例の彼女達についてはなんとも……急ぎ飛び出して来たので、私は何も聞いておりません」


「……この状況じゃあ仕方ないね。今ある物で、今出来る事をやるしかない。避難誘導の方はお願いするよ」


 大和が長剣を片手に構える。眼の前のスライムらしき魔物は一見無害なように見えて、実はそうではないことに彼は気づいていた。見ればスライムの通った跡は、何かが焼けるような音と共に小さく煙を上げている。恐らくはアスファルトや地面のタイルなどを溶かしているのだろう。建造物への被害は勿論のこと、コレがイベント参加者達のところまで辿り着けばどうなるかなど、言うに及ばずだった。


「遠距離攻撃が出来る者は『核』へ攻撃を始めてくれ!!」


 とはいえ、いきなりの近接武器による攻撃は流石に躊躇われた。様子見を遠距離攻撃で行うのは、対魔物戦に於けるセオリーだ。どういった魔物なのかは未だに知れないが、もしも大きいだけのスライムであれば、遠距離攻撃だけで『核』を破壊出来るかも知れない。そういった意味でも、まずは遠距離攻撃で様子を見ようとしたのだ。


 指示を出しているのが『勇仲』の大和であることは既に知れている。『勇仲』といえば押しも押されぬ日本探索者界のトップであり、その経験と実力は確かなものだ。故に周囲にいた探索者達も、彼の指示に従うことに否やはなかった。


 そうして大和の背後から、二人の探索者が攻撃を仕掛ける。それぞれが協会から供与された、魔物素材由来の高価な武器を有していた。とはいえ、彼らもまた偶然居合わせただけの名も知らぬ一般探索者だ。いくら装備が良い物であったとしても、大和はそれほど攻撃の成果には期待していなかった。敵の反応が見られれば良し、といった程度だ。


 一人は長弓による攻撃だった。もう一人は投げ槍による攻撃だった。

 どちらも腕は悪くなく、渋谷Dの15階層以下であれば十分に通用しそうな攻撃だ。狙いもまっすぐ、ズレることなく『核』へと向かっている。これならば何かしらの反応はある筈だと、大和はそう思った。スライムは見た目こそこんなナリだが、確かに生きた魔物なのだ。弱点である『核』に危険が迫れば何かしらの防衛反応を見せる筈。少なくとも普通のスライムはそうだ。


 結論からいえば、二人の探索者による攻撃は何の反応も引き出せなかった。放たれた矢と槍は、敵の体表面へと突き刺さった所で止まっていた。『核』などよりもずっと浅い、本当に表面といっても過言ではない部位だ。僅かに敵の体表に波紋を立てただけで、矢が刺さった穴など既にすっかり塞がってしまっている。どうやらスライムの唯一の特徴と言っても良い再生能力も、しっかりと備えているようである。それも通常のスライムと比べれば何倍も強力な再生能力だ。


 当然というべきか、巨大スライムは一切危険を感じた様子がない。先程までと変わらず、ただゆっくりと前進するのみであった。強いて言えば反撃等が無かったという点だけが、ある意味収穫といえるだろうか。


「……なんだか嫌な予感がするな」


 一見無駄にみえるような今の一幕で、大和の脳裏にはある想像が浮かんでいた。

 スライムの弱点は『核』、それはもはや探索者の中では常識だ。故に大和もまた、ただ核を剣で突き刺せばいいだけの貧弱な魔物だと思っていた。

 だが、もしも『核』に攻撃が届かないほど巨大なスライムがいたとしたらどうだろうか。今まで知らなかった、考えもしなかったことだ。そんな個体は見たことがなかったし、聞いたこともなかった。もしもそんな個体が居るとしたらそれはつまり、ダメージを与えられない部位が大部分を占めるということになる。


 そう考え、大和はスライムを見つめる。先程の攻撃で突き刺さった槍と矢は、既に体内へと取り込まれ少しずつ溶け始めていた。


「……」


 大和は眉を顰め、必死に頭を回転させる。魔物の攻略法など、彼はこれまでにも幾度となく編み出してきた。ダンジョンに潜っていないときなど、無意識のうちに考えを巡らせているほどだ。そんな彼だからこそ、この程度では狼狽したりはしない。攻撃が通用しないと見るや、すぐに思考することが出来る。本音を言えば『どうしろっていうんだ』などと悪態の一つも吐きたかったが、しかし敵を前にして呆けるような、そんな程度の実力ではなかった。


 矢と槍が刺さる際に体表が揺れたということは、衝撃自体は伝わるということだ。であれば、止むことなく攻撃を続ければいずれは『核』に届くかもしれない。

 問題は再生能力だ。ダメージの有無はともかく、衝撃が伝わるのならば攻撃することには意味がある。あの再生速度を上回る速度で、かつ一定以上の衝撃力を持った攻撃を続ける。そうして敵の体を削り、僅かな一瞬で『核』を破壊する。それならば───。


「いやぁ……現実的じゃないね」


 そこまで考えたところで、大和は頭を振る。

 馬鹿げている。彼が思いついた作戦とは、乱暴に言えばつまり『核が露出するまで敵の体を吹き飛ばし続ける』というものである。まるでトンネル堀りだ。しかも先の二人の攻撃を見る限り、生半可な威力の攻撃では意味がない。周囲には何人もの探索者が居るが、もしも全員が同程度の実力だとすれば凡そ戦力たり得ない。自分の攻撃ならばある程度は削れるだろうが、手数が足りないのは試すまでもなく明白だった。


 そうして大和がうんうんと唸っている間にも、スライムの進行は止まらない。いよいよ、無駄だと分かっていながらも闇雲に攻撃をしなければならないだろうか。そう考えて剣を握り締めた、その時だった。


「いざ!!我が紅蓮の刃で敵を滅ぼさん!とりゃー!」


「おいコラ待て!!アタシが先だって言っただろうが!聞いてンのかオラ!!」


「英語わかりませーん!!先手必勝ぉー!!」


 一体どこから跳躍してきたのか、大和の頭上を飛び越えて二つの影が姿を見せる。

 一方は長い黒髪を風に靡かせ、その手には一振りの日本刀を携えていた。そしてもう一方の影は、その手に巨大な剣を携えていた。少し赤みがかった金髪を逆立てながら何やらぎゃあぎゃあと喚いている。


 そうして二人で揉めながら、巨大スライムへと踊りかかり───。


「ぬわーっ!!」


「うおぉォー!?」


 先程までは見せることのなかった、まるで触手のように伸びたスライムの腕───らしき部位───によって、二人仲良く叩き落されていた。

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