冬のアレ編

第250話 もすもす

「もすもす」


 黒くて四角い、一見すればスマホのようにしか見えない何か。そんな怪しい物体を耳に当て、まるで電話でもするかのようにオルガンが話し始める。このスマホっぽい何かは納豆エルフ曰く『異世界間通信用魔導具』であるらしい。比翼のたまを利用して作られたそれは、彼女がこの世界に来てからずっと制作を続けていたものだ。


「もすもーす」


 以前にシーリアと通信した際は、ただの石ころ───というよりも比翼のたまそのものといった見た目であった。だが今の形状を見るに、オルガンもまた随分と、この世界の影響を受けているらしい。ちなみにだが、オルガンはこの魔導具のことを『アナホ』などと呼んでいる。アナザーワールドフォンの略らしいが、なんとも如何わしく聞こえるのだから不思議である。ともあれ、重要なのは通信が出来るのかどうかだ。見た目や呼び方などどうでもいい。


 そうしてオルガンが返事待つこと暫し、アナホからは女性の声が聞こえてきた。続いて衣擦れの音と、がたがたと何かを漁るような物音。以前に行った試用時と比べ、音質がクリアになっている。声の主との関わりが薄いクリスや、そもそも別世界の住人であるみぎわには分からなかったが、しかしアーデルハイトにはよく分かる。


『ん……こんな時間に一体何だ、やかましい……』


 酷く眠そうな声ではあったが、それは間違いなくシーリアの声であった。どうやらあちらの世界は現在夜中であるらしく、彼女は就寝中だったらしい。


「出るのが遅い」


『む……? その声……まさかオルガンか!?』


「うむり。おはろー」


『おはろー、ではない! お前、今が何時だと思って───いや、それよりも!』


 シーリアがそう言ったかと思えば、次いで慌てた様子の物音が聞こえてくる。前回は終始音質が悪かった上、最後に謎の一言を残してそれきりだったのだ。しかしこうしてオルガンのクリアな声が聞こえてくれば、何か進展があったのだと容易に想像がつく。シーリアが慌てるのも無理はないだろう。


『少しそのまま待っていろ! 分かったか!?』


「うるさ」


 そう言い残し、シーリアの声が遠ざかってゆく。それと同時に、アナホの向こうからは『痛っ』という小さな声と、扉が閉まる音が聞こえてくる。オルガンは眉根を寄せつつ、アナホを耳から離してテーブルの上へと投げ捨てた。


「……なんというか、結構お茶目さんなんスね」


「いえ……私も公の場でしか見たことがありませんが、とても毅然としていらっしゃる方でしたよ」


 音だけを聞けば非常に忙しないその様子に、みぎわとクリスが意外そうな表情を見せていた。シーリアは『宮廷魔術師筆頭』兼『魔導師団長』、そして『六聖』という肩書きを持っている。そうクリスから説明を受けていたみぎわは、落ち着きのある威厳たっぷりな相手を想像していたのだ。ともすれば、漸くまともな『六聖』のお出ましだ、とさえ思っていた。


 だが蓋を開けてみれば、イメージしていた姿とは随分と異なっていたのだ。


「あれは寝起き弱いから」


「朝はふにゃふにゃ、昼は堅物ですわね」


「めんどい女」


「シーリアも、貴女にだけは言われたくないでしょうけど」


 やれやれと肩を竦めるオルガン。それをみたアーデルハイトもまた、やれやれと肩を竦めて見せる。そんな鋭いブーメランの投げ合いに、クリスとみぎわが顔を見合わせ、同時に小さく息を吐き出した。


 そうして待つこと五分ほど。

 扉が開く音と共に、漸くシーリアが戻ってきた。


『すまない、着替えに手間取った』


「何故着替えたし」


 どうやらシーリアはわざわざ着替えてきたらしい。顔が見えるというわけでもないのに、随分と律儀なことである。こういったあたりから、アーデルハイト曰くの『堅物』らしさが見て取れるだろう。


『それで? そちらの首尾はどうなんだ? 連絡してきたということは、何か進展があったのだろう?』


「え、特にはないけど」


『……何?』


 オルガンがむっつりとした表情で───表情があちらに伝わることはないが───そう答える。何かしらの成果が聞けるのだと期待していたシーリアは、当然の様に怪訝そうな声を上げる。


 そもそもオルガンが説明を面倒臭がっただけであり、進展がないわけではないのだ。これまでは酷く不安定だった通信も今ではこのとおり。怪我の功名というわけでもないが、肉が封印石を破壊したおかげである。以前に比べ、格段に連絡が取りやすくなった。これは立派な進展だといえるだろう。


 しかしまだ通信可能時間が安定していない為、会話をするのはオルガン一人に任せようと、四人は事前に打ち合わせを行っていたのだ。だがそんな面倒臭がりなオルガンを見かねたのか、アーデルハイトがアナホへ話しかけ始める。


「進展ならありましてよ、シーリア」


『っ、その声はアーデか!? あぁ、無事で何よりだ……』


「当然ですわ! あんな聖女ビッチにどうこう出来るわたくしではなくってよ!」


 姿は届かないというのに、ドヤ顔で自信満々に答えるアーデルハイト。聖女にどうこうされた結果が今なのだが、どうやらそのことには触れない様子であった。


『ふふ、相変わらずだな。そういえば、君の父君が大暴れしているそうだぞ。聞いた話によると、一時は教国に攻め入ろうとしていたようだ。既のところで奥方に止められたらしいが』


「あぁ……お父様なら本当にやりかねませんわ。立場的になかなか難しいでしょうけれど、貴女の方から無事だと伝えておいて下さいまし」


 アーデルハイトの父親は厳しいが、しかしそれ以上にアーデルハイトを溺愛している。失踪の詳細は知らないはずだが、勇者や聖女に同行していたことは当然知っている。故に、聖女や勇者に襲いかかる可能性は十分に考えられた。早めに安心させておかねば、帝国と教国の戦争にまで発展しかねない。しかしそんなアーデルハイトの願いに対し、シーリアの答えは否であった。


『ああ、承っ……いや待て、すまないが暫く放置したい』


「あら? どうしてですの?」


『こういう言い方はアレかもしれないが───聖女への牽制になっている。私やアスタも動いてはいるが、手は多いほうがいい』


 アーデルハイト達が戻ってくるまでの間、陰で聖女の足止めを行っているのはシーリアとアスタリエルの両名だ。立場も力も持っている二人だが、しかし所詮は二人。これまではどうにか動きを封じることに成功しているが、この先も聖女の企てを全て防げるかと言えば、それは少々怪しいところだろう。だがシーリア曰く、エスターライヒ公爵の動きは聖女への妨害、その一助になっているとのこと。


『というわけで公爵閣下には悪いが、今暫く暴れていてもらいたい』


「そういうことでしたら、致し方ありませんわね。わたくしたちの方も出来る限り早く───」


 出来る限り早く、世界を移動する方法を見つける。アーデルハイトがそう伝えようとしたところで、隣に座るオルガンから袖をくいと引っ張られた。


「アーデ、時間」


「あら、もうそんな時間ですの?」


 そう、アナホの魔力残量が残り僅かとなっていたのだ。これはスマホでいうところのバッテリーである。つまり、これがゼロになると通信が出来なくなる。


「というわけでして、申し訳ありませんけれどそろそろお別れですわ」


『……そうか。仕方あるまい。次はいつ頃連絡が取れそうなんだ?』


「それは───ちょっとオルガン、いつ頃ですの?」


 机の上に頬杖を突きぼけっとしていたオルガンの頭を、アーデルハイトがばしばしと叩く。


「さぁ……一週間くらい? 知らんけど」


「……だそうですわ!」


 オルガンがいつもどおりの適当な答えを繰り出したところで、アナホのボディがほんのりと点滅を始める。どうやらオルガンの言う通り、通信時間の限界が来たらしい。そうしてアーデルハイトが通話を終えようとしたところで、オルガンが何かを思い出したかのように声を上げた。


「おぉ、伝え忘れるところだった」


『む、何だ』


「シーリア、こっちの世界は腐った豆がうまい」


『……何? どういう意味だ? そういえばオルガンお前、前にも同じことを───』


 ぷつり。

 そんな無機質な音と共に、シーリアの言葉が途中で遮られる。


「よし。これでまた暫くの間、悶々とするであろ」


 オルガンはそう満足そうに呟くと、アナホを持って自分の部屋へと戻っていった。彼女の言う通り、シーリアはこの後の数日間、オルガンの意味不明な言葉に頭を悩ませることになる。例えるなら、クライマックスの場面に突入した翌週から、長期休載に入った漫画のようなものだろうか。時間感覚に疎いエルフらしい、地味な嫌がらせであった。


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