第245話 卓球とやらをしよう(閑話
「また……救えませんでしたわ……っ」
アーデルハイトが悲痛な表情を浮かべ、手を握りしめる。胸の前で、まるで抱きしめるかのように。しかしそれでも叶わない。彼女の願いも、そして叫びも、その細く美しい指の隙間から虚しく溢れてゆく。
力が及ばなかった悲しみは、やがて溶けて消えゆく。そうして嘆くしか出来ない彼女の肩に、そっと背後から手が差し伸べられた。
「お嬢様……温泉に入浴剤を入れるのはやめて下さい」
「……あら? いけませんの?」
「せっかくの温泉が台無しです。あと、溶けかけの入浴剤でシリアスな雰囲気を出すのもやめて下さい」
「いけませんの!?」
クリスから注意を受け、アーデルハイトは手の中に僅かに残っていた炭酸入浴剤のかけらを握りつぶす。粉々になったカケラたちは小さく泡を吐き出しながら、じんわりと消滅していった。
「コレがわたくしの楽しみですのに……」
伊豆ダンジョンでの一幕を終え、異世界方面軍の一行は、初めて伊豆を訪れた際にも宿泊した旅館『雪月花』へとやって来ていた。ダンジョン近くの宿ということもあってか、深夜でも出入り可能な高級旅館である。昼のうちにチェックインを済ませておいたというわけだ。
そうして部屋に戻るなり、アーデルハイトは部屋に備え付けの温泉へと突撃していったのだが――――
アーデルハイトは入浴の際、普段から炭酸系入浴剤の『パフ』を使用している。異世界人である彼女には、景色や風情を楽しむ感性はあっても、お湯そのものに対しての感想は特に持ってはいない。そういった理由から、普段のノリでパフを投入してしまったという訳である。当然ながらクリスに叱られてしまい、現在はぷぅと頬を膨らませている。
ちなみに先の怪しい茶番劇は『死闘の末戦いに勝利するも、大切な人を失ってしまった勇者ごっこ』という遊びらしい。なんでも、アーデルハイトが暇な時に読んでいる漫画にありがちな展開とのこと。決して
そうしてクリスに背中を流してもらうこと暫し。オルガンが肉と毒島さんを抱えて風呂場へ乱入。そのまま湯船にダイブし、クリスに摘み出されるという一幕もあったのだが――――それはまた別の話である。
* * *
温泉から上がった後のこと。部屋に置かれている旅館の案内を指差しながら、オルガンはこう言った。
「卓球とやらをしよう」
それはあちらの世界には存在しなかった遊びだ。まだこちらの世界に来て日の浅いオルガンは、物珍しいものにはすぐに食いつく傾向があった。とはいえ、彼女がスポーツを提案するとはまさに青天の霹靂。他の面子は一人残らず驚きの声を上げていた。
「………貴女がスポーツを提案するなんて、一体どういう風の吹き回しですの?」
「卓球ですか。引きこもり……失礼しました。陰キャのオルガン様にしては珍しい提案ですね」
「いやぁ、やめた方がいいんじゃないッスかねぇ」
しかし異口同音に告げられたのは、当然の『やめとけ』であった。既に誰もが知る
「ふむり。何かバカにされた気がする」
「バカにしてる訳じゃないッスけど……あ、ちなみにウチは卓球そこそこ上手いッスよ。自分でいうのもアレっスけど。ふふん」
「よかろ。ヒトとエルフの格の違いを教えてやる」
しかしそもそもの話、現在は深夜を超えて既に早朝に差し掛かろうという頃だ。他の宿泊客への迷惑を考えれば、この時間は利用不可なのではないか。
「というか、この時間から利用出来ますかね……?」
そんなクリスの疑問に答えたのは、いつの間にやらフロントへと電話をしていたアーデルハイトであった。
「問題ないそうですわ! 24時間利用可能だそうですわよ! 素晴らしい旅館ですわね!」
ぐっと親指を立ててサムズアップしてみせる公爵令嬢。どうやらこのフィジカルモンスターもまた、スポーツと聞いて闘志を燃やしていたらしい。つい数時間前には拳聖と激しい戦いを繰り広げていたというのに、随分と元気なことである。
ともあれ、こうして異世界方面軍による大卓球大会の開催は決定したのであった。始まる前から結果の見えている戦いが今、始まる。
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