第142話 朝ご飯が食べたいですわ

 長かったイベント参加の、その翌朝。


「ゔぅぃーす……」


 仕事明けか、はたまた飲みの帰りか。

 くたびれた中年のような汚い声と共に、まだ眠い眼を擦りながら、みぎわが自室からのそのそと姿を見せた。他人の目が無い事もあってか、ひどくラフ───というよりも、随分とだらしない格好であった。具体的に言えばパンツと若干ヨレたTシャツのみである。


「ちょっとミギー、貴女なんて格好をしてますの?」


「ゔぇーい……あれ、何見てんスかぁ?」


「聞いていませんわね……」


 右手をひらひらと振りながら、ゆっくりとソファに座るみぎわ。そんなみぎわの隣には、意外にもしっかりと身なりを整えたオルガンの姿があった。昨日着ていたような美麗な服ではなかったが、それでも彼女の可愛らしさを引き立てるのには十分な、そんな服だ。具体的に言えばぶかぶかのジャージ(おさがり)である。


「んぉ、ニュースっスか」


「そう。コレは凄い」


「わたくしもそうでしたけど、やはり異世界人はまずテレビに食いつきますわね」


 アーデルハイトとオルガンが仲良く視線を向けていたのは、先日購入した大型のテレビだった。そこには朝のニュースが映し出されており、普段は眠そうにしているオルガンの瞳は、すっかり画面に釘付けとなっている。


「以前に似たようなものを、わたしも作ろうとした。失敗したけど」


「あっちの世界でッスか?」


「そう。魔力の送受信を魔導具で補助すれば問題はない筈だった。事実、近い距離では上手くいっていた。でも、映像情報を含む魔力波を離れた場所まで飛ばす段階で頓挫した。しぼむ」


「ダメだったんスか?」


「少なくとも、誰にでも簡単に使えるような物は作れなかった。魔力放出量の多い者、或いは魔力操作に長けている者しか使えなかった。そんなものは失敗と同じ。『魔導具』とは呼べない。ちなみにその研究の副産物が『比翼のたま』だったりする。ぶい」


 基本的に口数の少ないオルガンだが、こと技術の話になると途端に饒舌になる。Luminousで出会った天才デザイナーの橘一颯いぶき然り、やはり何かしらの分野を極めた人間というのは、一癖も二癖もあるらしい。饒舌となった見た目幼女の技術オタクを他所に、朝のニュースは次々と流れてゆく。


 そうして三人でボケっとテレビを眺めていた時のこと。

 なにやら身に覚えのある光景が、大きな画面いっぱいに映し出されていた。


 ───二日前より開催中の世界最大規模を誇る同人誌即売会『コミックバケーション』にて、昨日、魔物が出現するという事件がありました


「あ」


「あー」


「……ぉ?」


 見覚えのある広場に、見覚えのある巨大な生物。

 恐らくは高所から撮られたのであろうそれは、何処からどう見ても昨日の一件のハイライトであった。大和が探索者を率いて戦う姿───アーデルハイトが唯一見覚えのなかった光景だ───や、月姫かぐやとレベッカの戦い、そしてアーデルハイトとウーヴェによる共闘。空を舞う雨夜の煌きアストレアと、拳による極大の一撃。戦闘速度が早すぎてブレブレではあるが、その一部始終が映し出されていた。


「わたくしですわ!!ついに全国デビューですわー!」


「まぁある意味予想通りッス。あれだけの騒ぎで、誰も撮ってないワケねーッスよねー」


 そう、これは予測出来ていた事だ。

 スマートフォンが普及した現代に於いて、十数万、ともすれば数十万にも届くであろうイベント参加者が居るあの場所で、誰もカメラを向けていないなどということは考え難い。自分達のそばで何かが起きれば、それがどれだけ下らないことでも取り敢えずカメラを向けるのが現代人だ。それはもはやこちらの世界の日常ですらある。


 だがそもそもの話、彼女達はダンジョン配信者として、全世界の誰もが視聴出来る場所で配信を行っている。今更撮られたところでどうということもない。人目を忍んでオフを満喫している時ならいざしらず、ああして自ら表に出ていった以上はさもありなん、といったところだ。


「……?」


 既に全国どころか全世界デビューを果たしているアーデルハイトが、テレビに映った自らの姿を見て無邪気にはしゃぐその傍らで。どこか不思議そうな顔をしたオルガンが、ずい、と身を乗り出し、じっと画面を見つめていた。小さな額に精一杯の皺を作り何かを思い出そうとするが、しかしどうにも思い出せない。そんな表情だった。


 突如として靄がかかったかのようなオルガンの記憶。そんな彼女が抱く違和感の答えは、ぴょんぴょんと騒いでいたアーデルハイトから齎された。


「そうですわ!オルガン貴女、アレはどういうことですの!」


 そう言って画面に映る巨大なスライムを指差すアーデルハイト。逃げられたと聞いていたが、それが何故今になってこうして現れたのか。それもオルガンと同時に異世界で、だ。それは昨夜にオルガンを問い詰めた際、アーデルハイトが聞きそびれていた最後の疑問だった。


「……見覚えはある気がする。たぶん」


「アレは貴女が造った魔法生物ですわ!」


「おぉ……なんかいた気がする」


「何故アレがこちらの世界に来ていますの!?」


「……さぁ?」


「さぁ、って……何も分からないんじゃありませんの、この役立たず!!」


「すまぬ」


 オルガンという人間は執着しやすく、そして冷めやすい。興味のあるうちは他の一切を無視して没頭するくせに、しかし一度興味を失えば、まるで記憶領域の無駄だとでも言わんばかりに忘れてしまう。マイペースな彼女らしいといえばらしいが、アーデルハイトからしてみれば釈然としない話である。

 今のオルガンを見るに、実験体に逃げられた時点で既に興味を失っていたのだろう。こうなった以上、今のオルガンを問い詰めたところでめぼしい情報は引き出せそうになかった。


 行き場を失った疑問を飲み込み、ソファへとダイブするアーデルハイト。朝から大層な大騒ぎである。


「まぁなんというか、アレはもう倒しちゃったんだし別にいいんじゃないッスか?」


 見兼ねたみぎわが助け舟を出す。

 異世界の事情には明るくないみぎわだが、アレが魔物ではないというのであれば、再現性は低いのではないかと考えていた。少なくとも、世間で危惧されている魔物の地上侵攻などといったものではない。であれば、倒してしまったのだからもう問題は無い筈だ、と。


 ハッキリとしない態度のオルガンにぷりぷりと怒っていたアーデルハイトだったが、みぎわにそう言われ暫し考え込んだ。腕を組みつつおとがいに手を当て、小首を傾げながら10秒ほど。


 そうしてアーデルハイトは結論を出した。

 成程、みぎわの言う事は尤もだ、と。


「……それもそうですわね!!そんなことより朝ご飯が食べたいですわ!!」


「うむり。お腹すいた」


「切り替え早すぎッス……」


 呆れるみぎわを他所に、素早くリビングのテーブルへと席につくアーデルハイトとオルガンの二人。すると会話を聞いていたのか、まるで図ったかのようなタイミングでキッチンからクリスが姿を見せた。その手には出来立ての朝食を携えて。

 こんがりと焼けたトーストに、ほかほかと湯気を立てる目玉焼き。傍らにはアーデルハイトお気に入りの『暴薫』と、そしてサラダが盛り付けられていた。


「丁度いま出来上がったところです。お嬢様、オルガン様、配膳を手伝って下さい」


「良くってよー!」


「まかせろー」


 元気のいい返事と共に、アーデルハイトとオルガンがキッチンへと姿を消す。そうして四人で仲良く朝食を採りながら、雑談がてらに今後の予定についての相談を行う。


「昨日の今日ですし、本日の配信はお休みするとして……明日以降の予定を決めてしまいましょう」


「とりあえず次の配信では質問攻めは避けられないッス。またいつもみたいに事前に募集しておいたほうが良いッスね。あと、次の配信はなるべく早い方がいいッス」


「では明日にしましょう。そこでオルガン様の紹介もしてしまいましょう───視聴者の反応が少々怖いですが」


 流石に本日の配信はお休みだ。

 団員達は楽しみに待ってくれているだろうが、次回の配信はそれなりの準備が必要になる。イベントの感想やお礼をしなければならないし、グッズの再販関係も聞かれるだろう。件の戦闘に関しては言わずもがなだ。ウーヴェに関する質問もあるかもしれないし、雨夜の煌きアストレアに関しても聞かれる可能性が高い。


 オルガンが降ってきた時には既に避難が終了していた為、彼女の存在はまだ公には露見していない筈だ。精々が月姫かぐやとレベッカ、そして周囲に残っていた数人の探索者達に姿を見られたかも知れない、といった程度。しかしだからといって、何時までも隠している事は出来ないだろう。それに先延ばしにすればするほど、公表するのが億劫になるという面もある。


 すぐに思いつく例を挙げただけでもコレなのだ。予想される質問が多岐に渡る為、準備にも相応に時間がかかってしまう。


 そうして食事を採りながらの相談は進む。

 そんな折、つけっぱなしになっていたテレビから、今日一番の衝撃ニュースが流れてきた。


 ───なお、三日間に渡って行われるコミックバケーションですが、最終日となる本日は予定通りに開催されるとのことです


「えぇ……マジっスか」


「運営は正気ですか」


「たくましいですわねー……」


「おかわり」


 げに恐ろしきは人の欲、とでも言うべきだろうか。

 アレだけの事件があって尚、同人誌を求める彼らの勢いを止めることは出来ないらしい。しかし、あの強かなスタッフ達ならばやりきるだろう。身を以て彼らの逞しさを体感したアーデルハイト達は、その衝撃のニュースを聞いても、どこか納得の表情を浮かべるのだった。


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