伊豆D編
第18話 生
汀の運転する車、その後部座席の窓を開け、アーデルハイトが外を眺めていた。以前京都のダンジョンに向かった時と異なるのは、今が夜ではなく昼前だというところだろう。日差しが眩く、すっきりと晴れた良い天気である。
開いた窓から車内に吹き込む風に、輝く金の髪が揺れる。そこだけを切り取れば非常に可憐で爽やかな、正しく深窓の令嬢とでも言えそうな光景だ。
しかし実際には、潮の香りと少しベトついた風のせいもあって、アーデルハイトの表情はそれほど晴れやかなものではなかった。眉間に皺を寄せ、まるで『くっせぇですわ』などと言いたげに顔を歪めている。
「……海、言うほど気持ち良くはないですわね」
「そうですか?私は結構好きですよ、海の香り」
「ウチも別に嫌いじゃないッスね。ちょっとベトベトするなぁとは思うッスけど」
アーデルハイトが窓を閉め、後部座席へと体重を預ける。大して重くはないアーデルハイトの身体───一部を除いてだが───を受け止め、背もたれがほんのすこし沈み込む。横を見れば、山と積まれた配信用機材と小道具の数々。汀の車はバンタイプの軽自動車だ。積載量がそれほど多くない為、アーデルハイトの隣座席までその支配領域を拡大している。
機材はともかく、何に使うのかすら不明な小道具の数々は、置いてきてもよかったのではないだろうか。そう考え、出発前にアーデルハイトは提言した。しかしクリスと汀、両者の答えは『駄目』であった。
曰く、『何時か使うときが来るかも知れない』だそうだ。
典型的な、片付けられない人間の発言である。汀の部屋は見たことがないのでわからないが、クリスの部屋はそれなりに整頓されていたような気がするのだが。
などと、偉そうに思考を巡らせているアーデルハイトだが、彼女もまた片付けられない側の人間である。
当然ながらあちらの世界では、屋敷や部屋、庭や屋敷周辺の敷地まで、従者が全て清掃を行っていた。着替えや入浴など、必要最低限な身の回りのことは自分で行うようにしていたアーデルハイトだが、貴族であれば、本来はそれらも従者や側仕えに任せる類の仕事である。
社交界を好まず、剣を握り戦場を駆け回る。そんな、良くも悪くも貴族の子女らしからぬアーデルハイトは、不要な物を捨てるのが下手だった。もう入らなくなった衣服を何時までも残していたり、ボロボロに壊れた木剣や木人形をまとめて倉庫に残しておいたり。
見かねた従者がそれら捨てようとしたとき、彼女が決まって言う言葉がまさに『もしかすると何かに使えるかも知れない』である。所謂もったいないお化けに取り憑かれているのが、アーデルハイトという少女だった。それを自覚しているからこそ、アーデルハイトは二人に従う他無かった。
今も彼女を圧迫せんとする小道具。
携帯ゲーム機や、叩くと音のなるハンマー。押すと怪しげな悲鳴を上げる黄色い鳥の玩具に、恐らくは汀の私物であろうコスプレ衣装の数々。一体何処で購入したのか、一見普通に見えるものの、下部のスイッチを押すと七色に光り、激しくテクノサウンドをかき鳴らす木魚。
自分もそうであるが故に、一時は反論出来ずに認めたものの、やはりどう考えても必要無いとしか思えなかった。これらを携帯して、一体ダンジョン内の何処で使うのか。
げんなりとした顔で謎の小道具達から視線を切り、アーデルハイトは窓に頬杖を着いて再び外を眺め始めた。要するに暇なのだ。
海岸沿いを走っていることからも分かるように、現在彼女達が向かっているのは以前に訪れた京都ダンジョンではない。静岡県は伊豆市、京都と並んで不人気ダンジョンと呼ばれる、伊豆ダンジョンへと向かっていた。
予定では前回に引き続き、京都へ向かう予定であった。では何故今回は京都ではないのか、その理由は単純だ。前回の雑談配信にて枢が口走ったコラボの件である。
枢の所属する
何故彼女達が、不人気Dとして名高い京都Dを本拠地としているのかは不明だが、ともかく彼女達は京都を選んだ。そしてそれ故に、彼女達に会うためだけに京都Dを訪れるファンも稀に居るらしい。とはいえ、わざわざ彼女達に会いに来るのは殆どが一般の視聴者であり、残念ながら探索者は増えず、依然として不人気のままらしいのだが。
無論彼女達のファンというわけではない者も多いし、個人の探索者や、配信者ではない探索者達も居るには居る。これは要するに比率の話だ。他のダンジョンに比べ、京都には
そして、そんな京都へと今の状況で向かえばどうなるかは想像に難くないだろう。あれやこれやと質問攻めに遭うか、或いは身の程知らずだなどと罵倒されるか。いずれにしても面白いことにはならないだろうし、むしろ面倒なことにしかならないだろう。
そういう訳でアーデルハイト達は昨晩会議を行い、その結果、
伊豆Dが何故不人気なのか、その答えは単純だ。立地はそこまで悪くはない。伊豆は観光地としても有名であるし、都心から大きく離れているわけでもなくアクセスも容易。普通に考えれば、むしろ人気があってもいい筈だ。
しかし、それらの理由がそっくりそのまま、伊豆が不人気であるその理由となる。探索者達は口を揃えてこう言うだろう。
────『伊豆に行くくらいなら、人気のある東京まで行くよね』と。
ダンジョンの存在する地域に住んでいる者はいいだろう。移動の手間も省けるのだから、態々遠くへと遠征する理由がない。それこそ
しかしそうではない、ダンジョンへと遠征に来るタイプの探索者達からすればどうか。アクセスが容易ということは、足を伸ばしやすいということだ。であれば、どうせ足を伸ばすのならば東京まで行けばいい。東京には、日本一と言っても過言ではない人気を誇る渋谷Dが存在するのだ。別に観光をしにダンジョンへ向かう訳ではないのだから、探索者であれば誰だってそうするだろう。
それこそ、人の少ないダンジョンを敢えて選ぶ、アーデルハイト達のような異端側の者達でなければ。
伊豆のダンジョンに何か問題があるわけではない。ただ立地が半端に良いせいで割を食うことになってしまった、ただそれだけである。
しかし不人気とはいえ、訪れやすいのは紛れもない事実である。山奥に存在している所為でアクセスの悪い京都Dよりは、人の入りも多少はマシな方だ。以前は人の少なさのみを勘案して京都へ向かったアーデルハイト達。そんな彼女達からしても、車で何時間もかけて京都へ向かうよりは随分と気が楽であった。
「まぁほら、今日は旅館も取ってあるッスから。明日は海で泳げるッスよ」
「一泊二日の伊豆旅行だと思って頑張りましょう、お嬢様」
「それは楽しみですわ。あちらでは海水浴なんて、したことがありませんもの」
旅行と聞いたアーデルハイトの気分が幾らか晴れる。
あちらの世界で暮らしていた頃のアーデルハイトには、水場で泳いで遊ぶなどという経験が無かった。
無論、市井の民達が水浴びなどをして遊んでいたことは知っている。しかし彼女にとって海や川といった水辺は、足場が悪く戦いにくい場所という認識でしか無かった。そうでなければ、行軍の際に迂回しなければならない邪魔な場所か、もしくは危険な渡河を行わなければならない面倒な地形、である。
こちらの世界へとやって来て、そういった観点から開放された今。彼女とて、ただ気ままに遊ぶのも吝かではなかった。果たして自分は水着など所持していただろうか、という懸念が頭を過りはしたものの、クリスが居るのだからその点は心配要らないだろうと、すぐさま
そうして一行は海を眺めながら車を走らせ続け、途中で一度の休憩を挟み、昼を少し過ぎた頃には目的の場所へと辿り着いていた。
伊豆ダンジョンの探索者協会は、およそダンジョンという危険なモノを管理する建物とは思えない程に、随分と綺麗な外観をしていた。山奥に建てられている関係上、樹々や蔦、苔などの所為で、何処か陰鬱とした雰囲気さえ感じる京都の協会とは真逆と言えるだろう。
本日は少し汗ばむような気温だったが、協会の建物内部には冷房がしっかりと効いており、寒すぎない程度の風が汗ばんだ肌に心地よかった。
入場許可と受付をクリスに任せ、アーデルハイトと汀はそのまま食堂兼休憩所へ。全国全てのダンジョン上に建てられているこの探索者協会は、配置や部屋数こそ違えど、何処へ行っても同じ施設がある。ダンジョン配信者が配信を行う場合、この食堂で準備を行うことが殆どだ。
メンバー全員がダンジョン内に潜る場合は、全ての荷物をロッカーに預けたりするものだが、アーデルハイト達のように居残り組が存在する場合は違う。配信が長時間になる場合もあるのだから、こうして落ち着いた場所で配信を行うのは理に適っていると言える。
汀が機材の準備に取り掛かる。アーデルハイトもまた、肩に担いだカバンごと、持っていた配信用機材を汀に預ける。そうして食堂内を見渡してみる。受付の前を通ったときにも感じていたが、不人気というだけあってやはり人は少なかった。
彼女達の他には、探索者と思われる男女二人組に、恐らくは地元の配信者であろう男女が四人。そして座敷に寝転び、サボってテレビを眺めている女性職員が一人。計七人だけであった。
広々とした食堂内にこれだけの人数しか居ないというのは、やはりなんとも言えない気分にさせられる。国の運営であり、ダンジョンの管理が主目的である以上、人が居ないからといって潰れたりするわけではないが、それでも少し寂しく感じるものだ。
とはいえ、不人気であればあるほどアーデルハイト達にとっては都合が良い。実際には今現在ダンジョンに潜っている探索者達も居るのだろうが、恐らくは知れた数だろう。これならば、アーデルハイトが多少本気でダンジョン内を駆けたところで、交通事故の可能性はぐっと減る筈だ。そもそも彼女は、不注意で人身事故を起こすようなヘマはしないのだが。
アーデルハイトがなんとなく食堂内を眺めている間に、受付を済ませたクリスが食堂へとやってくる。その後、カメラの調整や配信ページの設定等、汀の作業は多少の時間を要する。それらが終わるまでの間に昼食を済ませてしまおうと、アーデルハイトとクリスは食券を購入しに向かった。
「お嬢様は何にされますか?」
「そうですわね……名前を見た所でどんな料理が出てくるのか全くわかりませんけど、気になるのはコレですわね」
そう言ってアーデルハイトが指さしたのは、『生わさび丼』と書かれたボタンであった。伊豆はわさびが有名な土地であり、これは所謂ご当地グルメ的なメニューだ。日本人であれば馴染みのあるわさびだが、異国どころか異世界からやって来たアーデルハイトが挑戦するには、なかなかにハードルが高い。
「だって生ですわよ?名前に『生』や『濡れ』と付くものは、大抵美味しいものですわ」
「……生醤油と濡れ煎餅のことですよね?」
「……まぁ、そうですわね」
「ちなみに私のおすすめはコレですね」
アーデルハイトが自分の知っている食べ物で知ったかぶりをするも、クリスにはあっさりと見抜かれていた。
そうしてクリスが指差したのは『カレー』であった。別にクリスの好物がカレーというわけではないが、しかし彼女がカレーをおすすめするのには理由があった。
「カレー……ですの?」
「はい。コレは何処で食べても、誰が作っても、何と食べても何故か美味しい、まさに魔法の料理です。大抵の場合飛び抜けて美味しいことはありませんが、飛び抜けて不味いこともありません。普通に美味しいです。まさにこの国の料理の基本、ジャパニーズスタンダードです」
「微妙に煮えきらない言い方な気がしますわね……まぁ、クリスがそこまでいうのならわたくしはカレーにしますわ」
「英断です。私は天蕎麦にします」
「それはどんな料理ですの?」
「神々の作り給うた料理です。あとで一口差し上げますね」
「ではわたくしもカレーを分けてあげますわ!」
アーデルハイトが見知らぬ料理に心を踊らせ、クリスとシェアする約束を取り付ける。こちらの世界に来て以降、食事はアーデルハイトの楽しみの一つとなっていた。食文化があまり進んでいなかった帝国とは比べ物にもならない、そんな日本の料理は彼女の心を鷲掴みにした。今は配信機材の購入等によって金欠であり、そう贅沢が出来るような状況ではない。しかし収益化の申請が通り、纏まった収入が得られれた暁には、彼女は一日かけて食べ歩きを敢行するつもりでいる。
目標のスローライフに手が届くところまでいけば、田舎で小さな料理屋でも始めてもいいかもしれない。どうにか
「それじゃああとは……汀は何が好きなんですの?」
「あの娘は何でも食べますよ。強いて言うなら焼肉が好き、と言っていた気がします」
「お肉ですの……これはなんですの?随分と名前がカッコいいですわね。必殺技みたいですわ」
「……一応はお肉っぽいですね」
そういうアーデルハイトが指さしたのは、『シャイニングゴールドリブアイロールステーキ』である。ボタンに書かれた料理名は四行にも渡り、文字のサイズは圧縮されて非常に読みづらかった。リブアイロールとは、肩ロースとサーロインの間に位置する部位の肉である。シャイニングゴールドは肉のブランド名だろう。それらが合わさったことにより、無駄に長い料理名となっているのだ。
そもそも何故こんなものが用意されているのか。それすら良く分からなかったが、その上アーデルハイトには、どんな料理が出てくるのかも今ひとつよくわからなかった。クリスにしても、ステーキと書いてある以上は何かを焼いたものだということは分かる。しかしその前の長大な『シャイニングゴールドリブアイロール』が分からなかった。値段も無駄に高く3900円である。
「まぁ、面白そうなのでコレにしてみましょう。高いですけど」
「4000円くらい、わたくしが直ぐに稼いでみせますわ!!」
「その意気です、お嬢様!」
その後、アーデルハイト初めて目にしたカレーに対して『味と香りはともかく、見た目が最悪ですわ』と感想を述べた。そうしてクリスに分けてもらった蕎麦をちゅるちゅると口に入れていた頃、汀のステーキがやって来た。
鉄板の上でじゅうじゅうと音を立て、油の焼ける香ばしい匂いが当たりに漂う。
「え……なんスかコレ?」
「貴女の昼食ですわ」
「え……重ぉ……食べきれないッスよこんなの」
「ちなみに3900円でした」
「……高ッ!!」
値段を聞いた汀は、残すわけにはいかないと必死で口に運んだ。しかしどちらかといえば少食な部類である汀は、半分を食べた当たりで脱落。残りの半分を、アーデルハイトとクリスが処理する羽目になった。なお、味は非常に良かった。
「なんか……悪戯にしては弱かったッスね……」
「そうですね……高いだけで、今ひとつ面白くなかったですね……」
ぐったりと机に突っ伏すクリスと汀。そんな二人に比べれば幾らか健啖家であるアーデルハイトだけが、満足そうな顔で食後のお茶を啜っていた。
「わたくしは大満足ですわ!」
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