第304話 折角ですものね
精々が数分といったところだろうか。アーデルハイトが荷車を牽いた時間は、思いの外長くなかった。長い砂浜の丁度中央あたりに差し掛かったところで、やはり兎を見失ってしまったからだ。見晴らしがよく、隠れられるような場所もない砂浜で、しかし兎は煙のように消えていた。
「流石におかしいですわよね?」
「今の流れで見失う筈などありません。私もずっと見ていましたから」
事此処に至り、例の兎がただの兎ではないのは明らかだ。追跡していたはそこらの探索者ではないのだ。箸で蝿を掴む、などといった芸当を容易く行うような者が、こんな開けた場所で目標を見失うなどあり得ない。肉の嗅覚にも引っかからないあたり、本当に『消えた』としか言いようのない状況だった。
「いみぷ。いったい何をさせたいのか」
すぐに終わる探索だと思っていたのだろう。思いの外長引いている追跡劇に、ただ荷車に座っていただけの使えないエルフも、頬を膨らませてぶぅぶぅと文句を垂れている。するとそこで、同じく荷車に座っていた
「……あれ? 待って、何か聞こえない?」
「……ホントだ。何か、地響きみたいな……違う、滝みたいな音がする」
耳を澄ませてみれば、成程確かに、どこか遠くから音が聞こえてくる。地鳴りのような、瀑布のような、あまり聞いたことのない音だった。
「というより、地面が揺れていますね」
「地震ですの!? わたくし、アレは嫌いですわ!」
あちらの世界に於いて、地震というものは殆ど発生しない。それこそ数百年に一度、世界のどこかであるかどうか、といった頻度である。そんな世界からやってきたアーデルハイトは、日本特有の地震が大の苦手なのだ。これは彼女の数少ない弱点と言えるかもしれない。とはいえ、今彼女たちが居るここはダンジョンの内部である。そういった自然現象は起こらないと言われており、少なくとも前例はない。
「ここはダンジョン内ですし、それは流石に……おや?」
「なんですの!?」
「あれは……お嬢様、海の方をご覧下さい」
「サメですの!?」
地震を嫌がったり、かと思えばサメに喜んだり、コロコロと表情を変えるアーデルハイト。視聴者的には大変嬉しい画ではあったが。
そうしてクリスに促され、アーデルハイトを含めた全員が海の方へと視線を向ける。するとそこには、俄には信じがたい光景が広がっていた。魔法が当たり前に存在する、そんなファンタジー世界からやってきたアーデルハイトでさえも、それは初めて見る光景であった。
「ちょっとクリス! 大変ですわ! 海が割れてますわよ!?」
「……割れてますね。ちょっと意味が分からないです」
そう、海が割れているのだ。
聖書に記されたモーセの海割りよろしく、それはもう綺麗な割れっぷりであった。出来た隙間に海水が流れ込むような様子もなく、ただただ割れっぱなしである。
極短時間という制限付きでならば、アーデルハイトが全力で聖剣を振るえば、或いは再現出来なくもない。それはそれで異常なのだが────ともあれ、目の前で起きている現象は、そういった力技とは明らかに異なっていた。
「すご……こんなの初めてみた……」
「……『因幡の白兎』って、兎がサメの背中を渡っていく話なんだよね? それを現代版にすると、こういうことになるの?」
:ダイナミック改変やめろw
:これのどこが因幡の白兎なんだよ! いい加減にしろ!
:すっげぇ撮れ高
:兎を追いかける←わかる サメを倒す←まぁわかる 海が割れる←は?
:せめて指向性の転移罠とかで良かっただろw
:ビジュアル的には確かに、こっちの方が笑えるけどもw
:なんならもう肉が駆け出してるんだよなぁ……
:嬉しそうで草
目の前で起こった天変地異に、誰もが呆けていた。それを他所に、肉が早くも突撃を開始している。海が割断されることで現れた、どこかへと繋がる怪しい道を。その足取りは随分と軽く、心做しかスキップしているようにすら見えた。
「つまりこれはアレですの? 海を渡れ、的な話ですの?」
「……まぁ、十中八九そうでしょうね」
「また髪が塩でベトベトになりますわ……」
などと文句を言いつつも、しかしゆっくりと歩き始める異世界方面軍御一行。ここまで来ておいて、まさか進まないわけにもいかないだろう。果たしてこれが正規ルートなのかと言われれば、酷く怪しいところではあったが。
* * *
海のど真ん中を徒歩で移動すること、凡そ三十分。距離にすれば3km程だろうか。一行の目の前では、怪しさ満点の洞窟がぽっかりと口を開いていた。洞窟の入口には、赤く大きな鳥居がいくつも設置されている。海が割れたことで出現したということは、この洞窟は普段、海底に沈んでいることになる。
兎を探し、追いかけ、鮫の群れを倒し、再び兎を追いかけ、そうして漸く辿り着くことが出来る洞窟。そういうギミックと言われればそうなのだろうが、酷く面倒な手順を要求されたものである。道理で出雲ダンジョンが発見されてからこちら、誰も発見出来ないわけだ。
「いやはや、如何にもって感じですなぁ……」
「滅茶苦茶イヤな予感がする反面、探索者としてはやっぱりワクワクしちゃうよね。こういうの」
ダンジョン内部に於いて、今回のように新たな道が見つかることは珍しい。基本的にはどこのダンジョン────探索者の少ない不人気ダンジョンを除く────も、探索者達の手によってマッピングが行われている。深層ならばいざ知らず、低階層であれば、その殆どが明らかになっている事が殆どである。
それはここ、出雲ダンジョンにも同じことが言える。
あまりにも内部が広大な為、全域とまでは流石にいかない。だが入口周辺からある程度の距離までは、先達探索者達の手によって既に地図化が成されている。しかし当然ながら、こんな洞窟の情報はどこにも無かった。故にこれは立派な『未踏破地域』であり、アーデルハイト達が初めての発見者となる。
洞窟内を覗いてみれば、どうやら内部はそれなりに開けた空間となっている様子。奥の方までは暗くてよく見えないが、長い石階段が下の方へと続いていた。
:はえー……なんか幻想的な光景ですね
:なんやろ、神社的なことなんかな?
:洞窟の中の神社、実はそこそこあったりする
:海底の神社は流石に聞いたことないんですけど、それは
:実は千葉県にあったりするんやで
:そんなことより、両サイドに見える海の断面がやかましすぎる件
:コッチダァ、アデ公……
:なんだこの階段はぁ!?
:とにかく入ってみようぜぇ……
新たな資源、新たなルート。新種の魔物や、見たことのない武器・防具。新たな発見というのは、ダンジョン配信の醍醐味のひとつと言えるだろう。
探索そっちのけでダンジョンを練り歩きがちな異世界方面軍にとって、これはなかなかに新鮮な展開であった。伊豆ダンジョンの深層などを除き、アーデルハイト達が新たに発見したものなど、精々が京都ダンジョンの火山地域くらいのものである。それはそれで十分な功績ではあるのだが────そもそものきっかけが転移罠であった事や、その後に起きたパンツ事件の事も考えれば、異世界方面軍にとってはあまりよい思い出とは言えなかった。
「ま、とにかく入ってみましょうか。折角ですものね」
未知のエリアにも動じる事なく、凛とした姿で階段を降り始めるアーデルハイト。すぐ後にクリスが続き、その脇を肉が弾むように駆け抜ける。どこか緊張した面持ちの
数日間に渡る出雲ダンジョン攻略は、いよいよ佳境を迎えるのだった。
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