第298話 妖精星域

 肉とアーデルハイト達の強行軍は、凡そ二時間も続いた。


「ぜぇっ……ぜぇっ……おぇ」


「はぁっ……はぁっ……ぶぇ」


 死にそうな顔で息を切らし、地面に膝をつき項垂れるくるる茉日まひる。二時間もの間ぶっ通しで走り続けた二人は、ダンジョンという危険地帯にあって、もはや戦いなど出来る状態ではなかった。


「もーむりぽ……一歩も動けーん……」


「おろろろろろ」


 そんな二人を他所に、アーデルハイト達異世界組は周囲の探索を行っていた。彼女たちが辿り着いた場所は、どこか伊豆ダンジョンの低層にも似た雰囲気を持つ、真っ白な砂浜であった。先程まで追い回していた筈の兎は露と消え、それどころか魔物の姿もまるで見当たらない。一行を先導するように駆け回っていた肉は、やはり今回も兎を見失ってしまった苛立ちからか、砂浜を一心不乱に掘り起こしていた。


「ここは……海ですの?」


みぎわの予想通りですね」


 ここまでは予想通りの展開であった。出発前にみぎわから、『これが本当に因幡の白兎になぞらえたギミックだとしたら、多分どこかに海か塩湖があるはずッス』と聞かされていたのだ。『因幡の白兎』とは、海辺で困っていた兎を大国主命が助ける話だ。故に、兎を追ってゆけば『そこ』にたどり着くであろう、と。兎を追いかけここまで来たを考えれば、『因幡の白兎』というよりはむしろ『不思議の国のアリス』といった展開ではあったが。


:まさか二時間も移動シーンを見ることになるとはなぁ

:アーデルカート・怒りのデスロード

:面白かったからヨシ!

:後ろの二人死にそうだけどw

:オルたそ落ちてない? 大丈夫?

:途中で何体か魔物轢いてたよなぁ?

:アデ公ほどにもなると移動するだけで撮れ高

:ばいんばいんしててありがたやー


 勿論、ここまでの道中は全て配信されていた。森の中を疾走する怪しい荷車と、それを必死の形相で追いかける有名配信者。ただ移動していただけだというのに、立派なエンタメとして成立してしまっていた。


:はえー、出雲ダンジョンにこんな場所あったんか

:なんか伊豆っぽいね。蟹(聖女)はおりゃんけど

:これも未踏破地域になるんかな?

:いや、一応海っぽいのがあるって報告はあった筈

:そうね。ただ魔物が全然いないからっていうんで誰も来ない

:遠いしな……途中の戦闘考えたら、普通の探索者ならワンチャン一日かかるぞ

:みなさんも轢けばよろしくてよ?(暴言


 視聴者達の中には、出雲ダンジョンに挑戦した経験を持つ者も何人か見受けられた。そんな視聴者達からの情報によれば、どうやら未発見の場所、というわけではないらしい。だが魔物はおらず、また砂浜であることから、資源の採取も望み薄ということで、誰もこんなところには来ないのだそうだ。休憩地点として利用しようにも、ダンジョンの入口からはあまりにも離れている。唯一景観はそれなりに良かったが、探索者は別に観光をするためにダンジョンへと潜っているわけではない。そんなお散歩気分でダンジョンに潜る者など、そこの異世界人達くらいである。


 アーデルハイト達もまた、暫く周囲を歩いてみたものの、これといった何かを見つける事は出来なかった。そんな折、地上で探索の様子をモニターしていたみぎわから、アーデルハイト達の下へと通信が入った。


【お嬢、海の方になんか居たりしねーッスか? 具体的にはサメとか】


 その一言に、アーデルハイトのセンサーが敏感に反応した。B級サメ映画愛好家のアーデルハイトは、どうもサメに幻想を抱いている節がある。頭がいくつもあるサメや、非常識なまでに巨大なサメ。そして空を飛ぶサメなどなど。そんな現実にはいるはずもないサメ達が、或いはダンジョン内であれば、と。


「サメですって!?」


【興奮してるところ悪いッスけど、お嬢が好きなタイプのやつは多分出てこないッスよ】


「はいシケですわー」


 現実は非情である。

 サメ型魔物の発見報告は一応あるが、どれもアーデルハイトが期待しているようなものではない。地中を泳ぐサメや低空を飛ぶサメなど、近しい魔物はいるのだが。


 すっかり期待を裏切られたアーデルハイトだが、しかし一応の確認をするため、オルガンを伴って水際へと歩を進める。クリスは動けなくなった二人のお守りだ。現在は戦闘が起こる気配もないため、自動追尾カメラで十分だった。


「んぅ……特に何も居ませんわよね?」


「つまんな」


:まーた海なのにジャージのやついるな?

:まだわからんだろ! 海の中になにかいるかもしれんだろ!

:よし、水着に着替えて入ってみよう。なにか分かるかも!

:サメ映画といえば水着美女。そうだろ?

:水着になればサメが出るよ。僕は詳しいんだ

:え! オルたそがスク水を!?

:出来らぁ!


「というか、仮に水中に魔物が居たとして、わたくし海に入るなんてまっぴらゴメンですわよ?」


「うむり。ちなみにわたしは泳げない」


 視聴者達は微妙に期待していたのだが、やはりアーデルハイトは海に入るつもりがないらしい。異世界方面軍には水着回が存在しない。これは伊豆から続く、視聴者達にとっては忌まわしき伝統であった。とはいえ、それもある意味仕方のないことだ。ただでさえ激しい戦闘になりがちなダンジョン探索である。アーデルハイトが水着で戦闘などしようものなら、一発でアカウント停止になるだろう。


 そうして、アーデルハイトが視聴者達と戯れている時であった。むっつりと海を眺めていたオルガンが、何かに気づいた。首から提げた双眼鏡を構え、意味もなく背伸びをし、沖の方を注視する。


「む……ぬーん?」


「オルガン? 何か見つけまして?」


「なんかこっちくるかも」


 オルガンに釣られるようにして、アーデルハイトもまた沖のほうへと視線を向ける。彼女の常人離れした視力はオルガンの言葉通り、海に何かがいるのを捉えていた。海面から飛び出す黒い影。アーデルハイトが見紛うはずもない。それは確かに、例のアレであった。


「サメですわ!!」


 徐々にこちらへと向かってきている、漆黒の背びれ。アーデルハイト達のいる海岸の目と鼻の先にまでやってきたそれは、なんというか────非常識なまでに大きかった。一見したところ、そのサイズは人間の比ではない。背びれの部分だけでも、ゆうに数メートルはあるだろう。それに気づいたときのアーデルハイトといったら、先程『はいシケ』などと言って落胆していた時とは、まるで正反対の反応であった。


「おぉ……でっか」


:きた! サメきた! これで勝つる!

:来るのはえーよまだ水着に着替えてないだろうが! いい加減にしろ!

:ちょっとキミデカすぎない?

:撮れ高「ちょっと通りますよ」

:撮れ高が向こうからやって来たぞ! 囲め囲め!

:やる前からアデ公が勝つみたいな流れで草

:え?

:ん?

:これだから素人は……

:異世界は初めてか? 力抜けよ


 俄に色めき立つコメント欄。キラキラと瞳を輝かせるアーデルハイト。ぼけっとサメの背びれを眺めるオルガン。いつもの異世界方面軍らしい、緊張感の欠片もない接敵シーンであった。


「クリスー! 戦の時間でしてよー!」


「それはいいけども、アーデ泳ぐの?」


「まさか。あれを引っ張り出すのは貴女の仕事でしてよ」


 そうオルガンに告げると、アーデルハイトは嬉々とした表情でアンキレーを装備する。そうしてローエングリーフを抜き放ち、『はよはよ』とばかりにオルガンへ視線を送る。ここまで馬車から飛び出すばかりで、特に何をするでもなかった駄エルフへと。


「ふむり……しかたあるまい」


 そうしてオルガンが、眠そうに半分だけ開いていた瞳を閉じる。彼女の周囲が淡く輝きを纏い、光の粒子が身体を取り巻いてゆく。それはいつもの彼女とは異なる、どこか幻想的な光景だった。燐光は勢いを増し、いつしか周囲へと広がってゆく。それはまるで、海岸全てが光り輝いているかのようで。


 これは魔法を行使する際の前兆だ。クリスやみぎわが魔法を使う際も、これと同じ現象が起こる。だが、彼女たちのそれとは決定的に違う箇所がある。通常の魔法使いでは、これほど広範囲に魔力が広がることはない。オルガンの持つ膨大な魔力があってこそ、初めてこの光景が生まれる。彼女が普段使う錬金魔法ではなく、そしてただの戦闘魔法でもない。これに比肩出来るのはシーリアくらいのものだろう。


そして僅かな時間の後、オルガンが再び瞳を開いた。


「"妖精星域ファンタズマゴリア"」

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