第203話 世界の破滅は近い

 アーデルハイト達の居室、そのバルコニーにて。

 今日も今日とて、月姫かぐやは魔力操作の特訓を行っていた。みぎわからの『自分が最も集中出来るスタイルで』というアドバイスもあり、ここ最近は蛟丸を手にした状態で特訓を行うようになっている。その甲斐あってか、みぎわ程ではないにしろ、月姫かぐやの魔力操作は随分と様になりつつあった。


 月姫かぐやが習得しようとしているのは、ファンタジーで言うところの身体強化魔法に近い。厳密に言えば身体能力そのものを強化しているわけではないので、『身体強化魔法』という呼び方は適切ではない。だが現代人である月姫かぐやにはこちらの方が理解りやすいだろう、という理由でそう呼んでいるのだ。


 身体強化魔法と一口に言っても、その種類は様々だ。アーデルハイトが行っているような、最も高度な身体強化ともなれば、最上位の攻撃魔法よりも難易度が高くなる程だ。だが月姫かぐやが現在練習しているのは最も基本的なものであり、体内での魔力操作のみ完結する。つまり魔力を体外に出力する必要がない為、みぎわが習得したものに比べて難易度は低めとなっている。


 そんな、極々簡単で初歩的な魔法ですら、一朝一夕では身につかない。一月と少しという僅かな時間で習得するまでに至った、みぎわが特別だったということだろう。現代に生きる人間にとって、『ファンタジー』とはそれほど遠い存在なのだ。


 しかしそんな月姫かぐやの訓練も、一先ずの区切りを迎えようとしていた。遂にというべきか、漸くというべきか。集中状態にあった月姫かぐやが瞳を開くのと同時、微かな燐光を纏っていた蛟丸がゆっくりと元に戻ってゆく。


「お嬢様、如何でしょうか?」


「んぅー……まぁ、及第点といったところではなくて?」


 一体何処で覚えてきたのか、ジャージの上着をプロデューサー巻きにしたアーデルハイトが鷹揚に頷く。見事とは言い難いが、しかしギリギリ使い物にはなるレベルだろう、と。眼前で行われた試技を総評すれば、概ねそんなところであった。


「びみょう」


「ミーちゃんは要求水準高すぎるッス」


 しかしもう一人の指導役、オルガンからの評価は低かった。といっても、彼女の場合は求める水準が高すぎるだけなのだが。あちらの世界でも一、二を争うような魔法の使い手だ。そんな彼女から比べれば、現代人の拙い魔力操作など見るに耐えないことだろう。


「差し当たって、こちらの世界のダンジョンであれば十分に通用する水準かと」


「ですわ。それにあの子のようなタイプは、使っている内に勝手に上手くなりますわよ、きっと」


 そんな可もなく不可もなく、といった厳し目の評価を頂戴した月姫かぐや。しかし当の本人は額にじっとりと汗を浮かべ、ニタニタと笑いながら手のひらを見つめていた。


「クク……我が右腕に封印されし闇の力が、ついに目覚めてしまったようだな……刮目せよ……!! 世界の破滅は近い……」


「はいはい、近いですわ近いですわー。それじゃあ今の感覚を忘れないように、もう一度最初からやりますわよー」


「あ、はいっ!」


 アーデルハイトがぱんぱんと手を叩き、月姫かぐやを怪しい世界から連れ戻す。漸く魔力操作が形になったとはいえ、ここは魔物も居ない安全な場所である。戦闘中にも出来なければ意味がないのだ。


 そうして再び蛟丸を構え、瞳を閉じて集中を始めた月姫かぐやの眼前。しびしびと毛を逆立て、尻を突き出した状態で鼻を鳴らす肉の姿があった。


「……あれは一体何をしていますの?」


「魔物の前でも集中出来るようになる為の特訓だそうですよ」


 本人達は至極真面目にやっているのだろうが、しかし傍から見ればその光景は怪し過ぎた。だが、肉は仮にも元巨獣である。アーデルハイトにはまるで理解出来なかったが、どうやらちゃんと効果があるらしく、現に月姫かぐやの額には、先程よりも大量の汗がびっしりと浮かんでいた。だが、しかし───。


「絵面がシュール過ぎねーッスか?」


「確かに、馬鹿みたいな絵面ですわね」


「ふむり……あれが元ベヒモスとは、あに図らんや」


 その後、数度の休憩を挟みつつ、日が暮れるまで月姫かぐやの特訓は行われた。アーデルハイトが見込んだだけのことはある、とでも言うべきだろうか。一度感覚を掴んだ月姫かぐやは、たった数時間の間にも順調に練度を上げてゆく。そうして最終的には、随分と安定した魔力操作が出来るようになっていた。


「ん……これなら、連れ回しても問題ありませんわね」


「では、例の話も受けておきましょう」


「ええ。週末は皆で亀捕りですわよ!」




 * * *




 その日の夜。

 アーデルハイトと肉がオルガンの引っ張り合いをしている隣で、クリスはパソコンの画面を眺めていた。その表情は曇っているような、そうでもないような、なんとも言えない微妙なものであった。


「どうかしたんスか……お、グッズの売れ行きッスか?」


「ええ。販売開始からまだ数日だというのに、随分と好調なようです。数量限定のものは即完。そうでないものも品切れ続出のようです」


「どれどれ……あー、やっぱクソデカ肉ッションは人気あったかぁ……五万もするのにもう売り切れてる」


「まぁ、ウチに送られてきたサンプルは既に穴だらけですが」



 クリスがちらとリビングの隅へ横目を送れば、そこにはボロボロになった巨大なクッション。デフォルメされた肉を模したそれは、某ビーズクッションブランドとのタイアップ商品だ。ダンジョン探索とはまるで関係がないジャンルだが、既にLuminousとの繋がりがあるおかげか、意外にもそちら関係の企業からのオファーは多かった。そうして話を受けた数日後には、見本品と称して現物が送られてきていた。


 そんな『どう考えても既に作ってただろ』と言いたくなるような仕事の速さに驚く間もなく、届いたその日の内に、肉本人によって破壊されることとなった。つまり配信でグッズ販売の告知した時には、とうの昔にリビングで骸を晒していたのだ。見るも無惨な姿となったデフォルメ肉は、今ではすっかり毒島さんの寝床と化している。


みぎわ仕様の木魚も売れ行きは良いみたいですよ? しかし、買って何に使うんでしょうね……まさか使うわけでもあるまいし」


「ウチも無駄に面白がって、ゲーミング木魚いっぱい買ってたからアレなんスけど……マジで何に使うつもりなんスかね?」


 用途の見えない木魚の売れ行きに首を傾げつつ、ページを送ってゆく二人。種類はそれほど多くはないが、しかしクリスの言葉通り、どのグッズも軒並み人気を博している様子である。小物系はもちろんのこと、オルガン製のグッズは全てが完売となっていた。


「っていうか配信出まくってるし、今更なんスけど……肉と毒島さんって結構グレーな存在じゃなかったっけ……?」


「細かいことを気にしてはいけませんよ。協会からは何の連絡もありませんし、何より、あの二匹は架空の生き物なのでセーフです」


 既に諦めているのか、それとも目を背けているだけなのか。どうやらクリスは、協会から何か言われるまで対策をするつもりがないらしい。実際にはセーフでもなんでもなく、ただ『下手に触るな』というお達しが出ているからに過ぎないのだが。そのうち海外の探索者協会から、何かしら接触があるような気もしているが───そのときはそのときだ。場合によっては話を聞く用意もあるが、基本的には丁重にお帰り頂くことになるだろう。


「そ、そッスか……ちなみに、一番売れてるのはなんなんスか?」


「お嬢様の日めくりカレンダーですね」


「ん?」


「お嬢様の日めくりカレンダーです」


 そう言ってクリスが何度かマウスを操作し、ページを切り替えてゆく。そこにはみぎわも見覚えのない、無駄に出来の良い卓上カレンダーが表示されていた。


「なんスかこれ? 初見なんスけど」


「私がこっそり作って持ち込みました。名言付きです」


 試しにサンプル画像を表示してみれば、恐らくはバルコニーで撮影したのであろう、ドヤ顔仁王立ちをキメたアーデルハイトの画像が。写真の横には『お粗末ですわね!!』と大きく書かれており、更にその隣には、小さな文字で帝国語版『お粗末ですわね!!』が書き加えられていた。


 オルガン製のオリジナルグッズと比べれば単価は安いが、しかし数だけは大量に用意されている。基本的には印刷するだけで完成しているため、委託も容易だ。つまりはアクリルグッズと同様、酷く手軽なのだ。


「ちなみにですが、基本的に罵倒系の言葉が多いです」


「全然有り難くないの草」


 なんだかんだといいながら、他の二人のグッズより売れ行きが良い。それはカレンダーのみならず、その他のグッズを含めてもだ。Luminousとのコラボジャージにしても、アーデルハイトモデルの売れ行きがダントツである。本人はまるで知る由もないことだが、やはり圧倒的な人気を誇るアーデルハイトなのであった。

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