第278話 絶対ウソじゃんね

 時刻は午後四時を少し回った頃。異世界方面軍の四人が住まうマンションのすぐ近く。有名な神社ほど大きくはないが、しかしそれほど小さくもない。地元の住民くらいしか訪れない、そんな至って普通の神社があった。


 そこは都心から離れたベッドタウンとあってか、静かで落ち着きのある空間となっていた。周囲を木々に囲まれ、傾き始めた陽の光が木漏れ日となって境内へと降り注ぐ。朝方にほんのりと積もっていた雪は溶け始め、それがまたなんとも、得も言われぬ余韻を感じさせる。ある種幻想的ともいえるような、そんな光景だった。


 朝から昼にかけて、参拝客で賑わっていたであろうそこに、異世界方面軍の四人の姿があった。マフラー、帽子、ブーツ、手袋。全員が全員、フル装備である。折角容姿の整った四人が集まっているというのに、着物などは誰一人として着ていない。唯一、クリスだけはいつものメイド服姿であった。ポンチョタイプのストールを肩にかけてはいるが、何れにせよ神社という場所では浮いていた。


「って、結局来てるやないかーい!」


 ふかふかのコートにジーンズ、頭にはニット帽というお出かけスタイルで、神社に着くなりみぎわが声を上げる。そもそもが地元民しか来ないような神社であり、加えて時刻のせいもある。周囲に見える参拝客は数えるほどしかおらず、騒ぎと人混みを嫌った彼女たちの狙いは的中したといえるだろう。


「コレがこの国の神殿ですの!? あちらの世界ではただ真っ白なだけの、面白みの欠片もない建物しかありませんでしたのに! いとおかしですわー!」


「あちらの世界は教国の影響が大きいですから、どうしてもそっち系の様式が多くなりますよね。私も神殿に関して言えば、こちらの世界の方が好きです」


 初めて見る日本の神殿────神社に大興奮のアーデルハイト。厳密に言えば神殿と神社は別物なのだが、そんな細かい話は彼女にとってはどうでもよいことだ。そもそもアーデルハイトは無宗教である。あちらの世界に於ける最大の宗教といえば、女神を信仰している通称『女神教』だろう。正式名称はまた別だが、専らその名で呼ばれることが多い。しかし例の聖女ビッチのおかげで、アーデルハイトにはすっかり胡散臭く見えてしまう。とはいえアレも、表の顔だけでいえば非の打ち所のない女だ。アレの本性を知らない民草が夢中になったとして、然もありなんといったところか。閑話休題。


 ともあれ、外出しないと宣言していた彼女たちは、結局こうして初詣にやって来た。今後についての会議が早々に終わった結果、やはり暇を持て余したのだ。そうしてゴロゴロと寝正月を過ごしていたところで、クリスがコンビニまで買い出しに行くという。ならばとアーデルハイトが着替え始め、流されるまま残りの二人も付いてきた、というわけだ。なお、肉と毒島さんはそうそう外に出すわけにもいかない為、家でお留守番である。


「ちょっとクリス! あれは何ですの!? なんというか────ショボめの噴水がありましてよ!」


「あれは手水舎ちょうずやですね。詳しくは私も存じませんが……」


 なんとも罰当たりな表現をするアーデルハイト。とはいえ彼女たちは異世界人だ。こちらの世界、ましてや日本の参拝についてなど知っている筈もない。そうなると意見を求める先は、自然とみぎわになる。二人がみぎわの方へと視線を送れば、彼女はなにやら『よくぞ聞いてくれました』とでも言いたげな顔をしていた。


「よくぞ聞いてくれたッス! ウチが参拝のマナーを教えて上げるッスよ! ホントは鳥居を潜るところからやるんスけどね。初詣でそこまでやる人は居ないんで、まぁいいでしょ。」


 ドヤ顔でいそいそと前に出てくるみぎわ。まるで『見本を見せてやる』とでも言わんばかりだ。そうして手水舎の前まで歩き、アーデルハイトたちへと作法を教示する。


「いいッスか? 手水ってのは要するに、『みそぎ』の簡略版みたいなもんなんス。あ、禊は分かるッスよね?」


「勿論知っていますわ。上空から手刀で降ってくるアレですわよね?」


「ちげーよ! 格ゲーの話はしてねーんスよ!」


 さも当然のように誤答するアーデルハイトに呆れ、しかしそれも仕方ないかと諦めるみぎわ。こちらの世界に来て数ヶ月、この国の様々な文化に触れてきた異世界勢ではあるが、神事ともなれば流石に守備範囲外である。彼女たちが文化を学びに来ていたのならともかく、そうではないのだから。


「いいッスか? 滅茶苦茶ざっくり説明すると、参拝前に手と口を清めましょうって話ッス。ちなみにッスけど、実はこれには心を洗うという意味もあったりして────」


「寺といい神社といい、何故そんなに詳しいのですか……」


 簡単に説明すると言いながら、早々に話が脱線し始めたみぎわ。やたらと木魚に愛着が合ったり、参拝の作法に詳しかったり。これはみぎわの謎の部分でもある。殆どの日本人は、参拝の正しい作法など知らないだろう。しかしそれで何か問題があるのかと言えば、全くない。よく言われる二拝二拍手一拝とて、長い歴史の中で一般的な形に整えられたものに過ぎない。神社や祀られている神によって、細かな作法は異なるものだ。つまり最も大切なことは間違えないことではなく、神々を敬う気持ちなのだ。


 「とまぁ、こんな感じッス」


 いつの間にやら手水を終え、手本をやりきったみぎわ。真剣に話を聞いていたアーデルハイトは、顎に手を当て興味深そうに頷いていた。


「ふむふむ……大体ルールは分かりましたわ!」


「絶対ウソじゃんね」


「わたくしの高貴なるお手洗いを、とくとご覧あれですわ!」


「トイレみたいに言うな」


 ふざけているつもりなど本人には毛頭ないのだろうが、しかしなんとも残念な言葉選びであった。たっぷりの不安な気持ちを抱えつつ、みぎわがアーデルハイトの手水を監督する。本人にふざける気持ちがないとはいえ、あまりにも酷いようであればすぐにでも止めるつもりであった。


 みぎわの監督の下、アーデルハイトが静かに手水舎の前に立つ。その顔は真剣そのもの。アーデルハイトが右手で柄杓を取り、水を汲んで左手を清める。次いで柄杓を左手に持ち替え、右手を清める。再び柄杓を右手に持ち替え、左手に水を受けて口をすすぐ。そうして左手を清め、最後に残った水で柄杓の柄を清める。それは先程みぎわが手本としてみせた作法と、全く同じものであった。


「────如何でして!?」


「完璧だよ! 何で一回見ただけで出来るんだよ!!」


 なんだかんだでやはり育ちが良いということだろうか。所作のひとつひとつは洗練され、ともすればみぎわよりも上手くやってみせるアーデルハイト。何か失礼なことでもしないだろうか、とハラハラしながら見ていたみぎわは、何故だか無性に悔しい思いをすることとなった。なお、一緒に来ていた筈のオルガンは早々に飽きてしまったのか、数分前の時点で既に行方不明となっていた。

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