03-08-03 漢一 曹丕

 の君主、曹丕そうひ曹操そうそうが魏王となって間もなくして死んだため、曹丕が王位を継承。まず九品官人法くひんかんじんほうを定め、すべての州郡に九品中正官、すなわち人品の評定官が設け、中正官の評価をそのまま採用の基準とした。

 曹丕はかんから簒奪をなすと皇帝を自称し、曹操に武帝ぶていと諡をし、黄初こうしょと改元した。


 孫権そんけんは曹丕に人質を送ると約束したが、送らない。曹丕は怒りとの同盟を破棄した。そして水軍を率いて呉を攻撃。呉は長江に戦艦を浮かべ迎撃に出た。このとき長江の水流も増して荒れていた。


 その様子を見て曹丕は嘆息して言う。

「数千の兵を率いてみたところで、これではどうとしようもないではないか!」

 そして兵を引いた。


 隠者の管寧かんねいは後漢末頃に遼東に疎開、三十七年間をその地で過ごした。魏によって召喚を受けると、渤海ぼっかいに船を浮かばせ、帰還した。ただし、職務を帯びることは拒否した。


 その後曹丕はまたも水軍を率い呉に攻め込もうとした。しかし長江はまたも荒れ狂っていた。曹丕は嘆息し、言う。

「ああ、天はもとよりこの中華を南北に割らんと思し召しであったのだ」


 間もなくして曹丕は死んだ。簒奪して七年後のことであった。文帝と諡された。 子の「曹叡そうえい」が立った。明帝である。


 曹叡の母・けん氏はすでに処刑されていた。ある日曹丕が曹叡と狩りに出ると、鹿の母子連れに出くわす。曹丕は母鹿を射殺すと、曹叡に子鹿を射るよう命じる。すると曹叡は泣いて言う。

「すでに陛下が母をお殺しになっておられます。臣には子鹿を殺すのが忍びないのです」

 曹丕はなんと思いやりある子だと感心し、曹叡を後継者としたのである。



蒙求もうぎゅう


魏儲南館ぎちょなんかん 漢相東閣かんそうとうかく

 魏の初代皇帝曹丕は南館にて文学の士と交流した。漢の武帝に仕えた公孫弘は東閣にて国を支えるべき人士らと交流を深めた。

 人材を集め、育てることを象徴する、二つの時代の二つの館。


甄后出拜けんこうしゅつはい 劉楨平視りゅうていへいし

 曹魏そうぎ文帝の妻にして明帝の母、けん氏が宴会に姿を現す。誰もがその到来に畏れ多いと顔を伏せたが、その中にあって劉楨りゅうてい一人が顔を伏せず、甄氏をガン見。不敬と言うことで処刑にすらされかけた。

 クソ度胸の劉楨さん。なお当時の代表的文人集団・建安七子のひとり。どうでもいいけどふたつでワンセット逸話のパターン突然崩すのやめてくれませんかね?

 なお甄は「しん」とも読まれることがあるそうです。こっちの方が読みとしては一般的らしいんですが、正直そういう例外的な読み方が許せないので(鄭玄ていげんを「じょうげん」と読むのも許せない教信者)、本作では「けん」と読んでいます。


管寧割席かんねいかつせき 和嶠專車わきょうせんしゃ

 後漢末のひと、管寧は友人の華歆とともに世間から縁遠い生活をしていたが、あるとき華歆が当時の貴人を見物しに行った。それに失望した管寧、ベンチをふたつに割り「おまえと並んで座ろうとは思わん」とつっぱねた。

 西晋の名臣和嶠は荀勖の副官となったのだが、とにかく真面目な和嶠に荀勖の雑な行動があわない。そこで本来荀勖に陪乗すべき車に自分ひとりで乗り込み、出発させてしまった。

 気に食わんやつの側になんぞおれるか。

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