02-03-20 漢一 呂太后 上

 劉邦りゅうほうの死後権勢を握った、呂太后りょたいごうこと呂雉りょち。劉邦死後、文帝ぶんていが即位するまでは彼女を主役とするのが状況を見やすい。


 劉邦が占いに長けた「呂公りょこう」によりそのただならぬ貴人の相に驚かれ、娘の呂雉を嫁に、とあてがった。この頃はいまだ始皇帝しこうていの治世。始皇帝は東南に天子の氣ありと予言を受けたことがあった。そこで東南の地に巡幸した際、秦にとっての災いの芽を潰そうとした。劉邦が山に逃げ込んだところ、その居場所を、なぜか呂雉がすぐに突き止める。劉邦の上には常に瑞雲が立ちこめる、ゆえに探り当てるのが容易い、とのことだった。この話に劉邦は大いに喜ぶのだった。


 劉邦が蜂起し項梁こうりょうの下で躍進、そして項羽こううと対立、楚漢そかん戦争が始まる。前 205 年、総勢五十六万の軍勢で彭城ほうじょうを襲撃したところ項羽に逆撃を受け、軍は散り散りとなり、呂雉は劉邦の父とともに囚われる。はじめ劣勢だった劉邦軍は、徐々に項羽を追い詰めた。そして前 203 年、項羽は講和を申し出、劉邦の父と呂雉を返還。二人を受け取った後劉邦は項羽を更に攻撃し、滅ぼした。


 劉邦のもとでは、軍政にも意見を述べている。蕭何しょうかとともに韓信かんしんを謀殺し、彭越ほうえつが謀反を起こし、鎮圧されれば、その処刑を願い出た。そのためか劉邦は呂雉を差し置き側妾のせき氏を寵愛するようになり、劉如意りゅうにょいを生んだ。このままでは呂雉の息子である劉盈りゅうえいが皇位につけない。そこで呂雉は張良ちょうりょうに相談、一計を案じさせる。この計が的中し、劉盈の皇太子の座は確定した。

 そして劉邦の死亡直後、呂雉は劉如意を殺し、戚夫人の手足をもぎ、目をくり抜き耳を切り取り、喉を薬で焼き潰し、トイレの中に放り込んだ。そして「人豚」と呼び、恵帝を招いて見物させた。恵帝は驚愕の上慟哭、病を発し、間もなく起き上がれなくなった。


 なお劉邦は死の床にて、呂雉にのちの人事について語っている。

「蕭何が死んだら、その次は曹參そうしんが良く、その次は王陵おうりょうであろう。ただ王陵はやや心細いので、陳平ちんぺいに補佐させるようにしろ。陳平は知恵ものでこそあるが、全ての判断を任せるわけにもいかん。周勃しゅうぼつは重厚であるが行政処理に弱い。太尉とするのが良い。劉氏の天下を安泰に出来るのは周勃に間違いがない」

 前 193 年、蕭何が死亡した。曹参は蕭何の職務を忠実に継承し、前 190 年に死亡。前 189 年に王陵が右丞相、陳平が左丞相に、周勃が大尉となった。つまりこの遺言は忠実に守られている。

 そしてこの人事が、のちに大きな成果をもたらす。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る