02-03-19 漢一 季布・丁公
「季布に何の罪がございましょうか、臣ならば主のために働くのが当然のこと。季布ほどの賢人であれば、彼は北の
この直訴を受け、夏侯嬰は季布を許すよう上奏。受け入れられ、季布は無事に取り立てられた。
また季布の叔父である「
「この者は人臣として敵将を見逃した不忠者である。項羽殿の王業を挫折させたのはこの者に他ならん」
そして丁公を殺害。第二の丁公が出てこないよう、見せしめとした。
季布は項羽配下の将として劉邦を苦しめたため賞金首となったが、季布を慕う民よりの必死の懇願により許され、諸侯に任じられた。そこでの統治においてもまた「季布さまよりお認め頂くことは百金を得ることよりも貴い」と讃えられた。
竹林七賢のひとり阮咸の息子、阮瞻は、竹林七賢でありつつ位人臣を極めた王戎に引見したとき、王戎より「孔子の言葉と老荘の言葉に違いはあるのだろうか」と聞かれた。そこに対して「将無同(まぁ、同じだと言えなくもないでしょうか)」のたった三語で答えて王戎を唸らせたという。
控えめな言葉で、対手を感服させる人たち。
夏侯嬰(西京雑記)&王果(神怪志)
前漢、劉邦の側近のひとりである
王果は将軍として蜀の地に就任することになった。蜀に向かう途中、崖に石版が引っかかっているのを見つけ、調査に向かわせる。そこには骸骨が転がっていた。側の石版にはこうあった。「長江はおれを三百年間漂わせた末、ついに王果に巡り合わせるだろう」。この出会いに感じ入った王果、この骸骨を懇ろに祀ったという。
石版が見はるかす、遙かな未来。
丁公(前漢)&雍齒(前漢)
丁公は
雍齒は劉邦に対し従反常ならぬ振る舞いをしており、殺したいほど憎まれていた。しかし論功行賞において、誰よりも先に諸侯につけられた。これによって臣下らは劉邦が公正な論功行賞をなすのだと安心した。
劉邦の人事の妙が光りすぎる。
前漢は
漢代を生きる侠客たち。
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