02-03-18 漢一 蕭何・曹参 下

 こうしてかん軍のバックアップを務めた蕭何しょうか項羽こうう滅亡後、功績のあった諸侯に爵地を分配するに際し、蕭何の食邑が最も多かった。この差配に不満を抱いた諸侯が劉邦りゅうほうに言いつのる。

「我々が戦場を駆けずり回っている間、蕭何は帳簿とにらめっこしていたのみではございませんか! 何故そのようなものが上位となるのですか!」

 劉邦は答える。

「お前たちも猟はするだろう? 逃げる獲物をかみ殺すのは犬、しかし犬を放ち指示を出すのは人よ。確かにそなたらは命を賭して戦った、しかしそれは犬の功である。蕭何の功は人の功である」

 群臣はそれ以上、なにも言えなかった。

 また劉邦は蕭何に対し、剣履上殿、入朝不趨の二大特赦が与えた。本来剣を帯びてはならぬ宮殿において剣を帯びること、入朝したときにに皇帝のもとに向かうのに通常義務づけられているかけ足をしなくても良いこと、である。


 だい国で陳豨ちんきが謀反を起こし、劉邦自ら制圧に出る。このとき韓信かんしんの臣下の縁者と自称するものが「韓信は豨謀と結び謀反を図っている」と密告。そこで呂雉りょちと蕭何が示し合わせ「陳豨が既に敗死している」という虚報を流し、韓信を謀反人平定の祝賀に参内させた。やって来た韓信は捕らえられ、一族もろとも処刑された。


 蕭何は長安の地が狭いにもかかわらず、宮殿の林には空き地が目立つことを語り、人民に耕作地として開放してやりたい、と願い出た。劉邦は怒って一度蕭何を獄につないだが、数日後には釈放した。


 劉邦は謀反を起こした黥布げいふと戦っているときに流れ矢を浴びていた。その傷がもとで重病を得る。病床にて、呂雉りょちが劉邦に問う。

「蕭何が万一死んだら、誰を後任につけるべきでありましょうか?」

曹參そうしんが良い」

 こうして前 195 年に劉邦が死亡、そして前 193 年には蕭何も死亡した。せいの宰相となっていた曹參はその知らせを聞き側仕えに旅支度をさせた。「私は入朝し、宰相にならねばならない」とのことである。間もなく長安よりの使者がやって来、蕭何の代わりの相国となるべく伝えられた。

 そうして二代目相国となった曹參は蕭何の時代のやり方を一切変えることがなかった。そのため民より「蕭何さまのすっきりとしたなさりようを曹参さまが一切違えることなく継承してくださった、そのためわしらも安心して暮らせる」と歌った。


 その曹參も、前 190 年に死んだ。



蒙求もうぎゅう

于公高門うこうこうもん 曹參趣裝そうしんしゅそう

 前漢に仕えた于公うこうが能吏であったため、その治績を讃える祠が建てられる。が、間もなく祠の門が崩れてしまった。それを知った于公は門を高大に作り替えるように指示した。子孫に宰相クラスのものが出るだろうから、と言うのだ。実際に息子の于定国うていこくは、宣帝せんていの時代に宰相に至った。

 曹参そうしん劉邦りゅうほうの決起以来の腹心。蕭何しょうかとはいいコンビであった。項羽こうう討伐以後、せいの宰相としての辣腕を振るっていたが、ある日蕭何死亡の報が飛び込んでくる。それを聞いた曹参は礼服に着替え、長安に出る準備を整えさせた。漢の宰相としての招聘があるから、と言うのである。果たして曹参は蕭何の後継として招集を受け、蕭何亡きあとの漢を支えた。

 大官としての寵遇を予期した二人。

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