04-05-04 魏五 五胡東方

 淝水ひすいの戦いにて前秦ぜんしんが崩壊。


 慕容垂ぼようすい河內かだいで決起、燕王えんおうを名のった。

 慕容暐ぼよういの弟に当たる「慕容沖ぼようちゅう」もまた平陽へいようにて決起、燕帝を自称した。慕容垂の国とかぶるため西燕せいえんと呼ばれる。慕容沖は長安ちょうあん苻堅ふけんを攻撃。苻堅は出奔し態勢を立て直そうと試みたが、姚萇ようちょうに捕らえられ、殺された。

 苻堅の息子「苻丕ふひ」が晋陽しんようにて皇帝と自称した。


 拓跋珪たくばつけいが代王として立った。

 慕容垂が中山ちゅうざんにて皇帝を自称した。


 西燕人は慕容沖、「段隨だんずい」、「慕容忠ぼようちゅう」と、主を殺しては立て、また殺し、遂に「慕容永ぼようえい」を立てた。慕容永が苻丕を打ち破ると、苻丕は南に敗走。そこを東晋とうしん軍に迎え撃たれ、殺された。

 慕容永ははじめ慕容垂に臣従する素振りを見せたが、間もなくして長子ちょうしにて皇帝を自称した。


 慕容垂が西燕を長子にて打ち破り、慕容永を殺した。

 慕容垂が死に、子の「慕容宝ぼようほう」が立った。


 東晋で安帝あんていが立った。


 拓跋珪が連年後燕こうえんを攻撃、中山ちゅうざんを包囲した。慕容宝は出奔し、のちに配下によって殺された。

 慕容宝のあとには「慕容祥ぼようしょう」が皇帝を名乗ったが、すぐに「慕容麟ぼようりん」に襲われ、殺された。拓跋珪はそんな慕容麟を打ち破り,敗走させた。慕容麟は「慕容徳ぼようとく」のもとに逃げ込んだが、慕容徳によって殺された。その慕容徳が広固こうこに出て拠点とし、自立。これが南燕なんえんである。


 慕容宝の息子「慕容盛ぼようせい」が残存勢力を取りまとめ、龍城りゅうじょうを拠点にした。こちらが北燕ほくえんである。


 拓跋珪もまた皇帝を自称、平城へいじょうを都とした。


 桓玄かんげんが劉裕に倒された。


 南燕なんえんの慕容徳が死亡。甥の慕容超が即位。晋との国境地帯を荒らし回ってた。このため劉裕が討伐の軍を立ち上げた。


 北燕では慕容の皇帝が臣下の「馮跋ふうばつ」によって滅ぼされた。

 これより以前、慕容盛は配下に殺され、その叔父の「慕容煕ぼようき」が立てられた。馮跋は慕容煕より罪人とされたので慕容煕を殺し、その養子である高雲こううんを立てたのだが、時を置かずに高雲も殺し、自立したのである。


 拓跋珪が死に、拓跋嗣たくばつしが即位した。


 劉裕が南燕を滅ぼした。

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