04-05-05 魏五 五胡関中

 淝水ひすいの戦いにて前秦ぜんしんが崩壊。

 慕容暐ぼよういの弟に当たる慕容沖ぼようちゅう平陽へいようにて決起、燕帝えんていを自称した。慕容沖は長安ちょうあん苻堅ふけんを攻撃。苻堅は出奔し態勢を立て直そうと試みたが、姚萇ようちょうに捕らえられ、殺された。


 苻堅の息子「苻丕ふひ」が晋陽しんようにて皇帝と自称した。

 姚萇も北地ほくちにて決起、秦王しんおうを名のった。秦でかぶるため、姚萇の国は後秦と呼ばれる。

 西燕人は慕容沖を殺し、故郷である燕に向けて移動を開始した。

 苻堅の遠縁の親族にあたる「苻登ふとう」が南安なんあんにて皇帝を自称した。


 姚萇は西燕がもぬけの殻とした長安に入り皇帝を自称。ただしそこに苻登が攻撃を仕掛けてきた。両者は互角の戦いを繰り広げた。

 姚萇が死亡し、「姚興ようこう」が立つと、苻登を打ち破り、殺した。


 東晋とうしん安帝あんていが立った。


 後秦将の「赫連勃勃かくれんぼつぼつ」が姚興に背き、朔方さくほうにて自立。大夏だいか天王てんおうを自称した。、赫蓮勃勃はすでに亡き匈奴きょうど劉衛辰りゅうえいしんの子である。


 姚興が死に、子の「姚泓ようおう」が立つと、即座に東晋将の劉裕りゅうゆうに攻め落とされ、後秦は滅んだ。


 赫蓮勃勃は劉裕が後秦討伐に出たことを聞き、言う。

「やつは間違いなく関中を取る。が、維持はできまい。もしやつが関中の守りを子弟や諸将に任せるようであれば、おれはゴミを拾うノリで関中を獲得できようよ」


 その言葉通り、劉裕は彭城ほうじょうに帰還した。赫連勃勃は長安を落として皇帝を名乗り、統万城とうまんじょうに帰還した。

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