04-05-06 魏五 五胡西方

 淝水ひすいの戦いにて前秦ぜんしんが崩壊。以来、中原は大いに荒れ狂っていた。その中でも大勢力を保ったのが慕容氏ぼようし姚氏ようしであり、彼らは帝位僭称をしでかした。

 またこの時流に乗って決起したものとしては元前秦将の「呂光りょこう」が涼州りょうしゅうに割拠して天王てんおうを自称した。後涼こうりょうである。

 鮮卑せんぴの「乞伏国仁きっぷくこくじん」が隴西ろうせいにて王を自称。乞伏国仁が死亡すると弟の「乞伏乾帰きっぷくけんき」が後を継いだ。のちの西秦せいしんである。

 さらには河西かさいにて鮮卑せんぴの「禿髮烏孤とくはつうこ」が涼王を自称。諸涼を呼び分けるため南涼なんりょうと呼ばれる。


 東晋とうしん安帝あんていが立った。


 涼では「段業だんぎょう」が涼王りょうおうを自称、張掖ちょうえきを拠点とした。北涼ほくりょうである。

 しかしその段業はすぐさま「沮渠蒙遜そきょもうそん」に殺された。沮渠蒙遜は匈奴きょうどの支族である。拠点を姑臧こぞうに移した。


 呂光が死亡し、子の「呂紹りょしょう」が立つも、庶兄の「呂纂りょさん」によって殺された。その呂纂は「呂超りょちょう」に殺され、呂超の兄「呂隆りょりゅう」が推戴された。

 後に後秦に降伏し、後涼が滅んだ。


 燉煌とんこうでは漢人の「李暠りこう」が独立。西涼せいりょうである。後に酒泉しゅせんに移動した。


 西秦の乞伏乾帰が国民に殺され、子の「乞伏熾盤きっぷくしばん」が立った。乞伏熾盤が南涼を滅ぼした。

 これより以前、禿髮烏孤が死亡すると、弟の「禿髪利鹿弧とくはつりろくこ」が立ち、死亡した。更にその弟である「禿髪傉檀とくはつじょくだん」が立ったところ、西秦よりの襲撃にて捕らえられ、殺されたのである。

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