02-06-07 漢四 宣帝劉詢 4

 前 64 年、宣帝せんてい匈奴きょうど討伐を志した。丞相の魏相ぎしょうが諫めて言う。

「乱を救い、暴を討つ。これは義兵でありましょう。義兵を操る者であれば天下の王たり得ます。敵の侵攻にやむを得ず兵を起こすのを応兵と申しまして、この兵が負けることはありません。しかし小事を根に持って怒りで兵を起こす忿兵や、人の土地や財貨目当てで起こす貪兵、あるいは単なる示威のために起こす驕兵は必ず敗れましょう。ここで匈奴がこちらの国境を侵しておらぬのにもかからず攻めかかろうとされる振る舞いを、愚臣は何と表現してよいかわかりませぬ。いま国内では、家族殺しの事件が二百二十二人にんも及んでおります。これは一切小事でございませぬのに、陛下の側仕えが憂おうともしておりませぬ。これを無視して国外を攻めようと仰るのですか?」

 宣帝はこの言葉を受け入れた。


 前 63 年、疏廣そこうとその甥である疏受そじゅは功臣であったが引退を申し出、許されて退職金を得た。故郷に戻る二人に対し多くの者が見送りの宴を為した。その盛況ぶりに、両名の人気のほどがあらわれていた。二人は帰郷すると、下賜された黄金を元手に毎日宴を開いた。子孫のための運用を行おうとはしなかった。そして、こう語る。

「賢人であっても財を多く抱えておれば、その志が損ねられよう。愚人が財を多く抱えれば、過ちを犯そう。富とはとかく民の恨みを買うものである。ならば残さぬに越したこともない」



蒙求もうぎゅう

二疏散金じそさんきん 陸賈分橐りくかぶんしゃ

疏広・疏受(前漢)&陸賈(前漢)

 疏広そこうとその甥、疏受そじゅは皇帝や皇太子の教育係としての栄誉に浴していたが、やがて引退。皇帝らより多くの金を授かる。故郷に戻ったふたりは皇帝よりの金で毎日酒宴。周りのものは「陛下よりいただいた金はもっと別のことに使うべきでは?」と諫めるも、かれら「既に我が家には資産がある、だと言うのにこの金を持ったままでいたらみなだらけて働く気もなくなろう」と答えた。

 陸賈りくか劉邦りゅうほうの命により南海なんかいのひと趙佗ちょうたを漢に取り込もうと出向いた。そこで趙佗に大いに気に入られ、値千金の宝玉が入った袋を授けられた。やがて呂雉りょちが専横を極めた時代に郊外に引退。五人の子に二百金分ずつ財宝を分け与えた。更にその後、漢室から呂氏勢力の排除に尽力もしている。

 財宝を元手にした余計な欲望を抱くことなく、終わりを全うした三人。

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